ふるいはさみ
SNSなどで発表した過去作品をまとめています。
文字どおり、散文をまとめたものです。
寂れた町の 夜の駅舎は 孤独な星の 軌道のようで 今、離れたら 二度と会えない そんな気持ちが こみ上げてくる 電車が闇に 消えてしまえば 照らす相手も ない電灯が 視線の先を 泳がせたまま 永い時間を ただ持て余す 寂れた町の 夜はこうして ひとつの星を 守りつづける
※ここでは、七音のフレーズのみで構成された詩形式を「七ならべ」と呼んでいます。 4月はほとんど書いていませんでした… 駅舎が淡く 光り出すころ 遠い記憶が 近づいてくる あの頃ぼくは 海賊王に なれないことを 自覚していて 瑕疵ひとつない 紙ふうせんを 作ることだけ 考えていた それが何かの 役に立ったか ポストはいまも 赤らんだまま (2024年4月2日) どんよりとした 日々が続けば 白い音楽 聴きたくもなる 晴れないけれど 雨も降らない 午後の窓辺で 風もないのに
Blueskyで書いていたものをまとめました。 目覚めたら週の真ん中水曜日ベッドの海に溺れても朝 金曜の雨は優しい顔をして本音を吐けと追い込んでくる 早朝の身体は少し透けていて邪悪な雲に同化しやすい 週末のぼくら浮き輪になりたくて貪りもせず抱き合っている 春風に堕ちてはいけない恋だけどおなじ鏡に映りたかった 失った恋を数える指だけが器用になって春風の吹く 誰もいない夜のホームは眩しくてつぎの電車は土星行きです 駆け足で過ぎゆくだけの春だから本気になれば傷を負う
二の字とは文字数を揃えた(同字数を基本とした)二行詩で 雪の朝二の字二の字の下駄のあと の名句から、勝手にそう名付けています。 見上げても帰る丘がない 欲望は眩しくてさみしい (4月2日) 足元にご注意ください 諦めた昔話が蘇ります (4月4日) それを希望と言うのなら 世界は半熟のままでいい (4月5日) ぼくの窓は春に奪い取られたままで ことばより大切なものが消えてゆく (4月6日) 地が固まらない雨も降るし 所詮は他人の島のおはなし (4月6日)
毎試合というわけではないですが、書き残したいと思った時に書いています。 上茶谷大河という名の神がいて何かお布施をしたくなる春 (4月6日) ツイてない夜が続いていようとも中川颯は浮かび上がるさ (4月11日) 希望とは横浜の空高く舞う球の行方を疑わぬこと (4月14日) この夏の横浜には筒香がいて汽笛は何度鳴らしてもいい (4月18日) トンネルを抜けたら京田の誕生日戦う顔はもう曇らない (4月20日) 荒らされたマウンドにある孤独から逃げることなく徳山壮磨 (4
昨年春に改名した時、Twitterのアカウントは作り替えたけどnoteはアカウント名を変更して引き継いだ。 次改名する時はどうするんだろうな。ということを考えていた。改名したい症候群の兆しなのか、いろいろ手放したくなってきている。
ここしばらく目が痛かったり痒かったりで充血したり瞼が腫れたりしていたので、昨日眼科を受診しました。目薬と軟膏を処方されて、今日はかなり落ち着いてきました。 目から溢れた目薬が頬を流れてゆく時の感覚が好きです。なぜか優しい気持ちになるという。
きみの歌が 鳴りやんで ぼくたちの 長かった冬が 終わったんだ 多分それは あらかじめ 決まっていた でも 今もぼくは 濾した奇跡を 信じている 星になれない ぼくたちは それでも 夜空の一部に なれるから ふたたび 一筆書きのような きみの歌が ぼくに 目薬のように 沁みますように
あれだけ積もっていた雪が消えてゆく。冬を失ってぼくはぼく自身の変化に時々ついて行けなくなる。 ことばがなにも浮かんでこない時間が増えている。その結果なにかを書く機会が減っている。昨年の今頃は毎日散文と七ならべを書いていたと思うとずいぶんな変化だと思う。ただ、ぼくとしてはこれは良い傾向だと感じている。最終的にはことばを手放したいと思っているからだ。ことばも、思考も手放したい。 なにかを表現したいという感情は変わらずにある。いろいろ試したことはあるけれどぼくには言語表現しかな
ご縁があればまたどこかで会える。だとすると二度と会えないひとはご縁がないということになるが、本当にそうなのだろうか。ご縁ってなんだろう。
つらいきせつも つとめてわらう ごうじょうなほど うたれづよくて おちたてんしは かこににがして えいゆうはいま りそうのかおに 正式発表を受けて取り急ぎ書いてBlueskyにあげたものですが、もう少しなんとかならなかったものか。無理やりにもほどがある。と反省。
BlueSkyやXで書いたものをまとめました。 ウソをつく余裕ないまま春の日は大きなウソで成り立っている あたらしい靴は固まりやすくって春を発動させる沈黙 ビル風の寒さは色が違うからぼくのことばはうたになれない 週末の夜を見送る階段がブルーノートを奏ではじめる この街のどこかできみとすれ違うお互い顔を知らないままで 夕暮れの駅前通りの先に居る太陽もいま帰路につきます 犬派でも猫派でもないひとだから泣きたいときに泣けるのだろう ことばだけ優しくしても無差別に春風
各SNSで書いた散文をまとめました。 東京ドームの愛称がビッグエッグだったことをふと思い出して、たまごの殻を内側から見てみたいと考えていた。自我がもしたまごの中にあって、ぼくたちが経験しているこの世界が殻の内側に映し出された映像なのだとしたら。人生という巨人戦を終えたあと恐ろしく大きな世界を見ることだろう。 (2024年3月1日) 誰かとの距離。みなさんが今いらっしゃる場所が北海道網走市とどれだけ離れているのか。いや、そんなことよりもこころの距離が大切に思う。こころが近け
今月に入ってからいろいろと新しい試みに挑戦している。ひとつは散文。今まではX(Twitter)に合わせて140字を意識していたけど、もう少し短く、2文程度に収まるよう心がけている。 もう一つはベイスターズ短歌。まだ2首しか書いてないけど。今シーズンの楽しみにできれば。
本を作ることにはこれまで全く興味がなかったのに、今日ふと思い立って、どれくらいの費用がかかるのだろうと検索していた。 他はともかく、二の字は印刷されたかたちで見てみたい気もする。多分やらないけれど。
二の字とは文字数を揃えた(基本同字数)二行詩で 雪の朝二の字二の字の下駄のあと の名句から、勝手にそう名付けています。 からっぽの部屋を立ち去るとき 三月のすべては微睡みだと知る (2024年3月1日) ぼくたちは春を迷うように 北のはずれのまっすぐな道 (2024年3月2日) 飛行機が降りてこない滑走路の端で スタートライン引き直して空を見る (2024年3月3日) 無力で優しい三月の空気は 何かを忘れさせようとする (2024年3月3日) 今年の春もぼくは