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2024/5/6

朝起きて妙に頭と体が重く、昨日お酒を飲み過ぎてしまったか?と思い低気圧の状況を見たら「超警戒」と表示されていて低気圧の日だった。

休みの日だったが今日は朝から仕事を少しだけしようと思って職場へ。着いたはいいけど、自分の席に座った途端「これ、明日にやろう」と全てのやる気を無くしてしまった。低気圧のせいか自分の無気力のせいか、たぶんどっちもだけどもう何もする気が起きなかったので最低限のことだけやって帰る。

帰り道にスーパーに寄り、リゾットの素か、冷凍食品でリゾットのやつを買おうと思ったが素についてはあんまり美味しそうじゃなく、冷凍食品に関してはそもそもリゾットが無くて絶望していた。もうこれからはセブンのチーズリゾットに依存するしかないのか、買いだめしようかなとか思いながら、代わりにパスタの冷凍食品を買って帰る。

昼ごはんにパスタ、ペペロンチーノを食べて昨日のイベントを思い返す。
やっぱりイベントの定員に届かなかったのは失敗で、告知とか、お知らせとかをもっとしておくべきだった。そういうお知らせに対しての感覚が欠如していたので、次回はそこを意識してお知らせしたい。
有名人でもない、特にその地域でいろいろ活動しているわけでも、お店とか企業がやっているわけでもない個人のイベントに数名でもお客さんが来てくださったのが奇跡で、とてもありがたく、それを今度は奇跡にしないような布石を考えるべきだった。


そこから当日の読書を楽しんでもらうための場についても考えていて、もうちょっとこういうところに気をつけたほうがよかったのとか具体的な対策はある程度浮かんでいたのでよかった。

それから場の「余白」についても考えが浮かんで、参加者の自発性、場を一緒に作る仲間みたいな感覚を持ってもらうにはどうあったらいいのだろうと考えていたが、そもそも一回だけ、その場に集まって何かを共に作り上げるわけでもない、各々が個別に行動するような場で、「余白」みたいなものを考えるより、それぞれが「これを守っておいたらいいよね。こういうところは自分なりに気をつけるね」みたいなふうに思ってもらえれば今回のイベントについては十分なのでは?

俺は「余白」を作りたいみたいなことに対して手段と目的を履き違えてるんじゃないか。みたいなそんな指摘が自分の内から湧いてきて、本当にそうで、だから「余白」という自己満足的な思考の部分からはちょっと離れた方が良さそうだった。根本に立ち返ったほうがよさそう。


とか色々考えつつ「読書の日記: 皮算用/ストレッチ/屋上」の続きを読む。

何かを自分に期待してくれていた人が、ただ自分に全てを任せるというか、あなたに任せるんだからそれでいいでしょみたいな仕事の振り方をしたいがために期待されたみたいなことを思い出して、無責任な期待はそりゃありふれているし、ある意味では誇らしいことなのかもしれないけれど、僕はあなたと一緒に責任を負って仕事をしたかったんだよなと悲しくなったことが頭を巡る。自分が面倒くさい。

そこから回復してYouTubeとかを見て、イベント関連でお世話になったかたがたにお礼をお伝えして布団。

ゴールデンウィークは今日がおそらく最終日で、最後の休みを有意義に過ごしたいとか、連休はまだ終わらないみたいなそんな投稿がSNSには溢れていて、10日も休めた人とかは明日から仕事に戻れるもんなんだろうか。低気圧の日だったというだけで全てのやる気が失われる社会人もいるんだが。

でもそういう自分の社会人としての不甲斐なさとは別に、休みが終わっていく中で少しでも思い出を残そうとか、美味しいものを食べようみたいな良い時間を過ごしたいみたいな欲望はとてもいいなと思う。

休みが続くことで最初の一日とか、間の日を気の向くままに過ごせるようなこともいいなと思うし。やっぱり休みっていい。半年ぐらいに年間休日を増やしてもいいんじゃないかな。

ゴールデンウィークまだやれるんだけど、本当に終わるのか。

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