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子は鎹(かすがい)の話。

先日、地元の自治会のことを記事に書きました。

私の住んでいる地域は高齢化が進んできていて、私のような若年層があまり居ないんですよね。

いえ、居ることは居るのですが、そのような若者たちは自治会を抜ける人が多くなってきているという現状があります。

私もなぜこの自治会に所属しているのかと自問自答したりしますが、一応「この町で暮らして子供を育てているから、この町のために私がやれることがあるなら」という思いがあって、何ならそれだけの思いで辛うじて続けている感じなのです。

他方で、実際にこの地元に長く住まわれているご年配の方々の中には、先日の記事でも紹介したように、本当にくだらないこと(失礼しました)でワーワー文句を言ってくる人が居るのも事実です。

そういう中に身を置いていますと「この町に未来はあるの?」と思ってしまうこともあるのです。

言い方はすごく悪いですけど、この団体は、年寄りが我が物顔で牛耳っていて、若者に対して何か面倒ごとを押し付けようとしている。そのような印象さえ持ってしまうのです。「そんな団体が、この町の未来のために何ができることがあるんだろうか?」と。

そう思うと、正直「こんな自治会、辞めてもいいのかもな」とも思います。未来のためにならないのであれば、そんな団体に所属し続ける必要は無いし、何ならそんな団体自体は要らないでしょって。

ただ最近、それを少し思いとどまる場面もありました。

そう思わせてくれたのは、子供たちの存在です。

我が家には、子供が二人居ます。どちらも小学生ですが、毎朝、近所の人と一緒に途中まで登校しています。というのも、その近所の人も、小学生のお孫さんと一緒に登校するついでに、うちの子供たちにも付き添ってくれているのです。

ところで、小さい子供のいらっしゃる家なら分かってくださる人も居るかもしれませんが、平日の朝ってものすごくバタバタして忙しかったりするんですよね。

7時半に出発しなきゃいけないのに、7時20分くらいになって「宿題どこにやったっけ」とか「今日学校でこれ使うから用意して」とか普通に言い出すんです。いや前日の夜までにやっとけや!と叱り飛ばすこともしょっちゅうありますけど、その怒っている時間も勿体無かったりして。とにかくバタバタと時間が過ぎ去る感じです。

で、そういう心に余裕が無いときには子供に強く当たってしまうこともあります。子供にとっては、叱られてちょっとブルーだったり腹立ったりしながら、家の玄関を開けて登校していきます。

それが、登校するときには、その近所の方も一緒に付き添ってくれているので、子供も何か会話をしながら歩いていくんですよね。

そこで恐らく、出発前に親に怒られた気持ちが少し紛らわされると言いますか、子供にとってそういう気分の転換はあるんじゃないかと思います。さっきまで不機嫌だった彼らの顔が、心なしが明るくなっているように見えます。

遠巻きなので何を話しているのか私には分かりませんけど、近所の人も、(時には自分のお孫さんそっちのけで)うちの子供と何やら楽しそうにしている。

そんな様子を見ていると「地域に支えられている」と思ったりします。

もちろん、それだけのために自治会に入り続けるというのは合理的じゃないですし、これは直接自治会には関係のない話かもしれないですけど、何か、人と人との繋がりというのを感じたりします。それが、今の自分が自治会に所属する目的みたいなものとリンクしているような気がするのです。

これをもっと広い視野で、そしてすごくシンプルに考えた時に、大切な考え方は「町全体で仲良く」ということなのかと思います。

自治会に入り続けることで仲良くなれるのかは分かりませんが、そのきっかけと言いますか、何かその希望をつなぐ一つの手段にはなり得るように私は感じました。

どの町も似たような部分はあるかもしれませんが、この町には古い慣習が根強く残っていますから「自治会を抜ける」ということ自体、快く思わない人が居るのも事実です。

特に年配の世代は特に強くそう思うようです。仮に私が抜けても、きっと残された彼らは、私のことで悪口や陰口を言うであろうことは想像に難くありません。

ここを抜けるのは、恐らく簡単。でも、もう一度入るのは何となく抵抗があると思います。だって、そんな排他的で閉鎖的なコミュニティに所属したいと思うわけないですから。そうなると、このままでは、若い世代と年配の世代が断絶し続ける可能性も出てきます。

であれば、私自身はそこに所属していながら、もっと別の形で「町全体で仲良く」する方法は無いのかと模索していくのも悪くないかなと思ったのです。

この町では今、若い世代が次々と自治会を抜けているからこそ、逆に私はまだここに所属することで上の世代の人たちとの繋がりを持つ機会を得ている。そう考えることもできます。

今後ますます高齢化が進むこの町で、何か橋渡しではないですけど、自分としては今、若い世代と年配の世代とどちらともコンタクトをとれる立場にあるのかなとも思います。

もちろん、この後いつ私が心変わりして「やっぱこんなところ嫌だな。脱会しよう」となるかは分かりません。私には、そんな大層な志も無いですから。

ですが、子供たちがこの町でまだ暮らし育っていくことを考えると、やっぱり心のどこかではずっと「もっと良い町にしたい」という思いはあります。

逆に「住みよくない町にはしたくない」という思いもあるかな。そのために(そうならないために)出来ることがあるなら、という思いでしかないです。

子は鎹(かすがい)。

これは夫婦関係に関して使われる言葉のようですけど、地域にとっても、社会にとっても、恐らくそういう側面はあるように思います。

未来を考えた時に、その未来が子供たちにも繋いでいくものであるなら、自分たちの世代だけ良ければそれで良い、ってわけにはいかないと思うんですよね。

というか、そもそも個人的な事情を付け加えるなら、子供たちが居たからこそ「子供たちにとっても住みやすそうだな」と思って、我が家はこの町を選んで移り住んできた経緯があります。何の因果か、この町に住むことになった以上は、もう少し町のことも考えていきたいと思うんです。それだけの小さな思いだけです。

まぁ実際どうなることやら。この一年でこの自治会活動を通して、少しだけ考えてみようと思います。未来のためにここで何ができるのか、できないのか。おしまい。

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