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毒をもって毒を制す

ビチクソ感想文:『ネオノミコン』アラン・ムーア(国書刊行会)

ほんとうは読まなくてもいいと思っていたのだが、ウィキペディアの記事が妙に充実しており、ストーリーがぜんぶ解説されていたので、反対に興味を持ってしまった。このような陰惨な話を読みたくなる気分は、たしかにあって、クトゥルフ神話と呼ばれる小説群、とくにラブクラフトの小説の魅力はそのような反人類的な暗さにあることは、じゅうぶん分かっており、それは生殖と労働を嫌悪する=現世を拒否する引きこもり気質の表現の一種であり、そうした感性が人種主義的な不安や差別につながりやすいことも理解している。とてもじゃないが、そんな欲望がじぶんにあると認めたくないので、複雑な感覚なのだが、もう手遅れなこともわかっている。

観念するしかない。白状しよう。そのような気分はわたしのなかに全くないとはいえず、このような物語でしか癒しがたい剣呑な感覚が、特段なんの不自由もないはずの日常生活のなかに不意に忍び込んでくることに思い悩むこともあるのだ、わりと頻繁に、いや時々、いや、ほんのちょっとたまに。
だから読みたくなってしまう。見たくないものを思い切り見せられてしまったときに感じるような、暗い解放感を求めてしまう。本書はそうした欲望を露悪的に表現する。毒気が強いが、淡々とした美しい絵柄(ジェイセン・バロウズの画)がその毒を中和しており、独特な品が漂う。最高に気持ち悪いのに、魅了されてしまう。

最初の中編「中庭」はふつうに傑作でおどろいた。これはだれかに話したくなる。露悪的だがユーモラスな雰囲気も感じられる。「これだからクトゥルフ系は嫌になっちゃうよ」とニヤニヤしながら満足できる。画の表現もすばらしい。ラストのコピペのような大ゴマの連続と、セリフの対照が印象的だ。
だが、つづく本編はふつうにキツイ。いよいよニヤニヤできなくなる。読むのが辛くなる。堪えられない。それでも読むことを止められない。クトゥルフ的なものの嫌な部分をこれでもかと執拗にえぐり取って見せつけてくる。
キツイと書いたが、それはわたしの理性がいっていることで、理性を無視してしまえば、傑作なのかもしれない。わからない。だから他人におすすめしたいとは思わない。しかし、おのれのなかに名状しがたい毒を感じるのならば、さらなる毒でそれを消し去るために読む必要があるかもしれない。

もし、ラブクラフトがこれを読んだらと想像すると少したのしい。激怒するか、もしくは爆笑するかもしれない。これはアラン・ムーアという稀代の芸術家によるラブクラフト作品への知的な意地の悪い批評であり、歪つなラブレターでもある。わたしは読んでよかった。摂取量には注意が必要だが。

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