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【ふなログ726】忘年会の帰りにボランティア掃除。悩むのがアホらしくなるまで続けると見えてくるものは?


今日は今年2回目の忘年会。
今度は遠出せずに東京で。


先日の土曜日、
大阪の忘年会に参加した翌朝に、
商店街と周辺の清掃ボランティアに参加してきました。

実は、去年も参加していて、
一年ぶりであるにも関わらず、
私のことを覚えてくださっていました(多分)。


例えば、このように
歩道脇に散乱したタバコの吸い殻やゴミがあって
Before↓


掃除するとこのように
After↓


吸い殻って、
こんなに捨ててあるんだ…と。


「ゴミを道路にポイ捨てするのは正しいですか?」
と質問したとしたら、
おそらく「正しくない」と答えるような人の多くが、
タバコの吸い殻になると、平気で捨てるのかな
などと考えてしまったりする。

それも、他の人が捨てている場所を見ると、
「じゃ、自分もいいかな」という心理が働いたり
もしかすると
「タバコの吸い殻って捨てるもんでしょ」といった
本人にしては「常識」のような基準があるのかもしれない。


また、私はタバコの路上のポイ捨てには、
とても憤りの感情を持っている。


子供が1歳あたりの頃、
近所を一緒に散歩していた時に、
おもむろに路上から拾ったのが
タバコの吸い殻だった。

口に入れる前に
とっさに取り上げて、事なきを得たものの、
ポイ捨てする人は、
まさかこのようなことを想像していないだろうと、
憤りの感情を持ってしまった。


よって、
以降タバコをポイ捨てする人に対しては、
「困る人が居るのを想像する力に欠けている上に、集団心理で誤魔化すことに慣れている無責任な人」
という、マイナスイメージしか持っていない。


…などということを思い出しながら、
朝の6:30から8:00までの時間で
ひたすらトングでタバコの吸い殻を淡々と拾い、
ゴミ袋に放り込んでいく。

淡々と。


そのうち、
そんな憤りを感じているヒマがなくなってきて、
タバコの吸い殻で汚れた路上をスッキリさせていく過程を
楽しめるようになってきた。


色々な感情があったとしても、
少しでも良くなる行動を一つずつ積み重ねていけば、
だんだんとそれを楽しめるようになる。

「落ちているタバコの吸い殻が何本あるのか?」
などと悩んで、ゴミ拾いするのは無意味だ。

淡々と拾っていくうちに、
悩むことがバカバカしくなっていく。


そして、一定時間で一掃できた後、
ボランティアの皆さんにご挨拶して、
帰路に着く。

離れた場所に飲みに行って、
帰りに掃除して帰る人間は、そうそう居ないだろう。


これを毎日、毎週続けている
ボランティアの皆様はとても凄いとしか
言いようがない。

実際に続けてみなければ、
その心境を知ることはできないだろう。


「あとどのくらいやればいいのか?」
「どのくらい続ければいいのか?」

という問いは、
何かに向かって取り組んでいる過程で、
必ず直面するものだ。


小さなことでもいいから、
日々積み重ねて、「悩みが小さくなった」
と笑い飛ばせるようになるまで、
継続していくことこそが、
とてつもないことを起こす道であると、

そんなことを思った
大阪の帰り道でした。
帰りは新幹線から、お約束の富士山を撮影!


…風邪は悪化しましたが(笑)
ま、いいや。


それでは、
今日も素敵な1日をお過ごしください。

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