北京冬季五輪を「平和の祭典」実現のための大会に

2月4日に開幕する北京オリンピックまで1カ月となった。

中国国内での人権問題により、米国をはじめ数カ国が「外交的ボイコット」を表明、また一昨年より続く新型コロナウイルスの影響もあり、開催中止などを求める声も少なくない。観客に関しても海外客を受け入れないことは昨年までに発表されており、また開会式を一カ月後に控えた現在、国内在住者向けの観戦チケットの販売方法も発表されていないという。基本的に無観客となった昨夏の東京同様、通常通りの観客受け入れも行われない可能性も残っており、再び、多くの不安に包まれながらスポーツの祭典の幕が開く瞬間が訪れようとしている。

とはいえ、競技自体はそれらの不安とはかけ離れていなければならないのは当然であり、これまでの五輪と同じく、魅力にあふれていることも確か。さらに言えば今回の北京五輪は、1992年に行われたアルベールビル五輪(冬季・2月8日~)とバルセロナ五輪(夏季・7月25~)の冬・夏同年開催以来となる、わずか5ヶ月後のオリンピック開催。大袈裟に言っても、いまだに昨夏に繰り広げられた、数々の競技の残像が残っている人も少なくないだろう。

加えて、五輪史上初のアジアでの3大会連続(2018年の平昌冬季、東京、北京)開催であり、また北京は2008年の夏季に続いての、こちらも史上初の夏冬両五輪開催と、始まる以前から今大会自体、希有なシチュエーションが重なっていることも事実だ。いくつものネガティブな話題を除いても、世界中からの注目が集まる大会だったことに変わりはない。

それらを含むいくつもの要素から、これまでにない状況下で行われようとしている北京冬季オリンピック。昨年夏、自国開催だったこともあり、今回以上に物議をかもしながら開幕に漕ぎつけた東京大会も、期間中、繰り広げられた多くのドラマなどの選手たちによる一挙手一投足は、我々観るものの胸を打った。季節は巡り目前となった冬季大会、こちらも純粋にスポーツを楽しむための心の準備を進めても、異論はないはずだ。

●開会式は時代を映す鏡

オリンピックでは競技の他に、さまざまな演出なども多くの人々の関心を集めることは言うまでもない。毎回、特に注目されるのが開会式。大会のスタートを彩るオープニングセレモニーは、それぞれ開催国が趣向を凝らし、その国の「色」を表現することはもちろん、「時代」が映し出されるイベントともいえるだろう。

記憶に新しい、昨年夏の東京五輪では、開会式も無観客の中で行われ、その中で最終聖火ランナーとして登場したのは女子テニスの大坂なおみ選手だった。また他にも、新型コロナウイルス対応に当たった担当医師の方々や、東日本大震災の被災地各県在住の児童等も聖火ランナーとして開会式に参加するなど、大会コンセプトとして掲げられた「震災からの復興」「多様性」などを最重要視した上で行われたことが伝えられている。

また、2002年のソルトレークシティ冬季五輪では、大会の前年に発生した同時多発テロの影響もあり、厳重警戒の中、開幕を迎えている。2月9日の開会式では、ニューヨーク世界貿易センタービル跡地(テロの中心地となった)から運び出されたアメリカ国旗がセレモニーで使用された他、聖火リレーでは歴代のアメリカオリンピック金メダリストが登場し、最終点火者は1980年、レークプラシッドオリンピックアイスホッケーチームの当時のメンバーが聖火台に姿を現した。「ミラクルオン・アイス(1980年代当時、無敵を誇っていたソビエトを学生中心のアメリカが破る)」の記憶を呼び起こしたこの開会式は「強いアメリカ」を取り戻すという意思が示された内容だったとことは間違いない。

●現状を克服することで新たな方向性を

「政治とスポーツは別」と、かつては叫ばれていましたが、そのフレーズはもはや過去のものとなったと言える。前述のセレモニーのように、その国々の当時の情勢は政治と直結するものであり、オリンピックの現場にも如実に表れることが自然な流れともなっている。

もちろん、その動きは五輪大会期間中、どの場面でも見られることも間違いないだろう。また、対戦相手同士の間では他の大会以上に国際的な感情が入り込むのも、オリンピックの特徴でもある。歴史を振り返ると、しのぎを削り、コンマ一秒を争い、その先にある勝利を目指すために、時として、正しくない道を選択してしまうケースもみられた。

先に述べた通り、今回は前例にない状況が重なった大会でもあり、いくつもの困難な局面の下で行われようとしている。だからこそ、これまでには無かった、新しい一面がみられる、そんな場面に出会ったとしてもおかしくはないかもしれない。例えば、2018年の平昌パラリンピックの開会式、聖火台にはパラアスリートの他、オリンピックに出場した選手等が共に最終点火者として登場しており、そのシーンは間違いなく、新しい時代を映し出していた。

今回の北京五輪が、本当の意味でオリンピックという大会が「平和の祭典」となっていく、そのための方向性を見出す大会となることを願ってやまない。(佐藤文孝)

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