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古代から近代までの税の歴史

税理士とうい職業柄、税金について考える日々です。

税の歴史というのは実に長く、古代の日本の税システムには租庸調と呼ばれる制度がありました。

「租」は米で収穫高の3%程度を徴収されていたようです。
一部は朝廷に送られるもののその多くは地方役所に保管されていました。
「庸」は労役で成人男子は年に60日間の労役をしなければならないという定めでした。
「調」は布や特産品。絹や糸、綿、布・鉄・塩・海産物などを納める物納制度です。調が朝廷の主な財源となっていたようです。

また、これらとは別に「出挙」という制度があり、農民に種籾を貸し出して耕作をしてもらいその半分を返還させるという制度もありました。

社会制度のようなものとしては賑給(しんきゅう)という高齢者や貧困者のために米・塩・布などを支給する制度があったことがわかっています。

このように日本の税制度は大化の改心によって律令国家が成立した頃から明治維新によって地租改正が起こるまで主に年貢を中心とするものでした。

そして1873(明治6)年の地租改正によりそれまで収穫量によって納める年貢の量が決められていた制度から地価を課税の基礎とするようになり、また物納から金納に変わりました。

収穫高に対して米を納める場合、収穫量が多いとその分年貢が増えたり、役人の権限によって不平等があったといいます。
地租改正により地価に対して一律3%と決められたことによって収穫量が増えた場合に貯えを増やすことが出来るようになり、また国においても税収が安定することになりました。
今の税制に繋がる所得税が創設されたのが1887(明治20)年ですがこのように「地租改正」という制度によって日本の税制度は大きな転換期を迎えたことがわかります。

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