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お前にそんな資格はない

恐怖のリハーサル

 教会主催のゴスペル・コンサート当日。関係者らはリハーサルに余念がない。会衆席の後方に陣取った牧師が、ワイヤレスマイクを片手に指示を出す。

 「ギターちょっと上げて」
 「コーラスちょっと下げて」
 「バスドラムのマイク、少し離してみて」

 牧師の音響チェックはいつも入念だ。いわく「最高の神様は最高の音響で讃えられなければならない」。けれど私は正直、牧師が調整する前と後の違いが分からなかった。耳が肥えていないからだろうか。「霊的」に成長していないからだろうか。音響担当の信徒が調整してくれたもので、十分聞きやすかった。

 音響が整ったところで、演奏のリハーサルが始まる。奏者たちは緊張気味だ。映像担当の私もドキドキする。というのはリハーサルが無事に終わることなんてないからだ。

 「初っぱなの音が小さい!」
 「シンバルが小さい! おっかなびっくりやるな!」
 「ギター! そこはカッティングだろ!」
 「笑顔を見せろ! 笑顔を!」
 「だーかーらー、何度言わせるんだよ!!」
 
 そんな調子が30分も1時間も続く。ギターが集中的に怒られたかと思うと、ドラムにターゲットが移り、次にコーラス、次にメイン・ボーカルが怒られる。合間に音響担当や映像担当や照明担当もちょいちょい怒られる。映像切り替えのタイミングが遅い、照明の移動が遅い、云々。

 私がドラムを担当していた頃も相当怒鳴られた。ドラムの練習なんてする暇がないくらい別の奉仕で忙しいのに、ドラムの椅子に座るとプロのドラマー並みに要求され、至らないとドヤされる。理不尽だけれど、当時は恐怖でしかなかった。恐怖で支配されていたと思う。

 他の奏者たちがどう思っていたのか分からない。そういう話をする機会はなかった(そんなこと話してはいけないと思っていた)。私のように苦痛で、今も思い出すとトラウマが発動するレベルだっただろうか。

 コンサートが終わるとホッとした。すぐ次のイベントが企画されるのだけれど、少なくとも当日は(反省会の他は)何もない。なんでこんなにホッとするんだろう? 何かおかしいんじゃないの? という発想にはならなかった。「神様からの試練だ」くらいに思っていた。思わされていた。

お前にそんな資格はない

 そのコンサートが終わった後、付き合いで来ていた家族から「音響が酷かったね。もうちょっと何とかならなかったの?」とはっきり言われた。牧師に聞かせてあげたかった。ちなみにその家族はプロのコンサートにしょっちゅう行っていて、そのせいか耳が肥えていた。

 その一言が、私が牧師のハッタリに気づいた小さな一歩だったように思う。

 そんな感じのハッタリばかりの牧師だった。壮大な事業計画とか、海外大企業とのコネクションとか、大スペクタクル小説のアイデアとか、「患難時代」を乗り切る為の水耕栽培とか、次から次へと嘘が出てきた。虚言癖か何かの問題があったと思う。そういう人間がトップに立って思い通りにできてしまう、単立教会の危うさはもっと広く知られるべきだ。

 リハーサルでの牧師の「指導」は虐待でしかなかった。奏者(信徒)たちがトラウマを抱えていないことを願うばかりだ。怒鳴る、大声で中断する、呆れて見せる、長時間説教する、を毎回のリハーサルでやられて、みんな失敗するのを極度に恐れていた。牧師の意に沿う演奏ができたかどうか、顔色をうかがってビクビクしていた。信徒の中には、牧師が部屋に入ってきただけで緊張する子もいた(本人がそう教えてくれた)。

 あんなハッタリDVモラハラ牧師に何の権限があるんだよ? と今は思う。もちろんハッタリDVモラハラでなくても何の権限もない。

 人に向かって好き放題に怒ったり怒鳴ったり、お前にそんな資格はない。

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