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つい「大丈夫なフリ」をしがちな私が、素直に感情を解放出来るようになった話

こんにちは。
フィットネスインストラクターで
「未来書き換え自分年表作成講座」
認定講師の山﨑史子です。


突然ですが、
みなさんには、口グセってありますか?
自分では分かりにくいかもしれませんけど、


私の場合は、
「大丈夫です」だったりします。


しかも、
仕事だったり、気遣ってもらったりした時に
笑顔で、反射的に返してしまうので、


後から
(やっぱり、全然大丈夫じゃないかも・・)
と気づいて焦ってしまうこともあるんですけど、


そういう時は
(大丈夫、大丈夫・・・出来る出来る)
と呪文のように納得させて乗り切る!
みたいなことが、しばしばありました。


みなさんも、
つい反射的に「自分は大丈夫」
と、大丈夫なフリをしてしまうことって
ありませんか?


そこで今回は
「私は大丈夫です」と言いながら
辛い感情を言葉に出来なかった私が


あることをきっかけに、
自分の感情を
素直に出せるようになった変化を
書いていきたいと思います。


以前の私のように
弱いところを見せられずに
「大丈夫です」と、つい言ってしまう方や


自分を強く見せようとしがちな方たちは
とても、気持ちが楽になるかも知れません。


是非、最後までお付き合い下さいね。


私の生い立ちから、書いていきますね。


私は両親と3つ上の兄との
4人家族の中で育ちました。


小さい頃の私は、風邪一つ引かない、
男勝りで元気な「手のかからない子」でした。


一方、三つ上の兄は
よく風邪を引くような
少しひ弱な「手のかかる子」だったんですね。


なので、兄が病院に行くたびに
私も、連れて行かれて、
待合室で待たされていました。


そうすると母が
「一人で待っていられて偉いね」
と褒めてくれるので、それが嬉しくて、嬉しくて


言われれば言われるだけ
良い子にして待ちましたし、


病院で、遭遇したママ友と母の会話の中で
「この子(私)の方は、
 手がかからなくて助かるわ」
と漏らしていたのを聞くと


(丈夫で手がかからない方が、母は助かるんだ)
と思ったりしていたんですね。


子供ですから、単純にそんな思い込みが
あったんだと思いますが


そこからどうなったかというと
逆に、
「すごく不安だな」とか
「寂しいな」
と思う事があっても


「大丈夫じゃない」とは
だんだん、言えなくなっていきました。


それこそ、
兄と一緒に歯医者さんに行った時も、


兄が嫌がってダダをこねていれば、
本当は私も怖いのに
そんな気持ちはひた隠し


私は “全然平気!”
とばかりに、強がって
「自分は大丈夫な子」
とアピールしてしまいます。


「ほら、ふみちゃんの方が偉いじゃないの」
と、母が兄をなだめるように言うと


それがまた嬉しくて、
なので、ますます我慢してでも
怖いとは言えないまま


「大丈夫な顔」を見せようと強がるように
なっていったんですね。


なので、一度だけ幼稚園で熱を出した時も
本当は、すぐに
母に迎えに来て欲しかったのに
寂しかった、なんてとても言えません。


帰ってから母の顔を見て
「大丈夫だった?」
と聞かれれば
「うん、大丈夫」
と答えてしまいます。


ますます辛い時、悲しいとき、寂しい時までも
本当は大丈夫じゃないのに、
素直にそれが言えなくなっていったんですね。


ですから
(本当は強くないのに・・・)
そんな思いが、自分の中を巡って


ますます強がって、
自分の弱さを、
封印するようになっていきました。

ㅤㅤㅤ
ですが、そうしていつも
自分を守ってきた私でしたが
7年前、両親が他界したとき
一気にそれが、崩れてしまったんですね。


父が、突然倒れて、
そのままあっけなく亡くなってしまったんです。


それは、とても衝撃的でしたし、
とても悲しい事だったんですが


(これで母までが逝ってしまったら、
 耐えられないかもしれない・・・)


ふと、両親は仲が良かっただけに
そんなことが頭をよぎりました。


でも、
(まさかそんなこともないでしょう・・・)
そんな不安を打ち消すように
忘れてかけていました。ㅤㅤㅤ


父が亡くなって、
意気消沈していた母も、
1ヶ月も過ぎた頃には
やっと少し意気を吹き返していましたし、


「ちゃんと自分の人生を生きなきゃね」
と母らしい言葉が
聞けるようになった頃、


まさかの胸騒ぎが
的中してしまったんですね。


母にまで、病気が見つかって
父が他界して7ヶ月後、
後を追うように、母も他界してしまったんです。


私はその時、感情も記憶も
何か途切れてしまって


親戚の人たちに、
一体どんな様子だったのか?
と聞かれても、
すぐに思い出すことも出来なくなっていました。


本能的に、たぶん自分を守っていたんだと
思いますが
悲しい、辛い、寂しい・・・
そんな感情が麻痺してしまったかのように


そこから1年以上、感情の言葉を
口にすることが
できなくなってしまったんです。


ポッカリと私の心に穴が空いて、
「自分の人生もこのまま、両親のように
こうして、終わっていくのか・・・」


そんな風に人生観まで揺さぶられたまま、
気持ちがただただ、
さまよい続ける日々・・・


でも、今生きている私や、
家族のことを思うと・・・やはり、


『まだまだ自分の人生を生きたい』


『ちゃんと自分を活かして進みたい』


私もようやく、
そんな風に思い始めるようになったんです。


そして、そんな頃に出会ったのが、
「未来書き換え自分年表作成講座」でした。


講座では、自分の価値観が
幼少期の両親との関わりの中から出来ていて


自分の幼少期を棚卸しすることによって


どのようにして自分の価値観が生まれたのか?
人生の流れを知ることも分かって


自分を癒して、
考え方を解きほぐしていく講座
だと知ったんですね。


それまで、心の講座や資格を受けてきて
何か自分で“腑に落とす”
ということが、なかなか出来なくて


私の場合は、あまり変化しないんだろうな
と思って、諦めていたんですが


もしかしたら、
迷走している自分の感情から抜け出して


「明日の自分の人生を
変えていけるかもしれない!」
と思いました。


そこで、
思い切って受講をすることにした私は
これまでの自分を書き出していくと、
だんだんと今まで見えていなかった
自分や両親の感情が


不思議と感じられるように
なってきたんですね。


私の場合、両親の愛情不足は
感じていなかったんですが、


棚卸ししたことによって
幼少期、母が言っていた


「大丈夫な子」
という言葉への思いが、
食い違っていたことが見えてきました。


確かに、母は「大丈夫よね」
と、いつも口グセのように言っていましたが


私が大人になってから
「あなたはいつの間にか
 大人になっちゃった感じだったのよね。
 それくらい、心配なかったからね」


と、生前言ってくれていたことも
思い返したんです。


それを思うと
母は、とても私を信頼してくれていたんだな
と感じられます。


それに、あらためて
母の思いにも気づけたんですね。


というのも、
母自身、実家が自営業でしたから
両親(祖父母)はとても忙しかった上に、
高校生の頃に母親(祖母)を亡くしていたので


「母親の手本を見てないから、
 あなたたちの子育てって、
 合っていたのか、分からないのよね」
と、言っていたこともあったんですね。


母は私を、とても信頼してくれていたんだな
と感じましたし、


私に、実はもっと
手をかけたかったのかもしれないな、
と感もじたんですね。


私は「大丈夫で良い子」にしていた方が
母は嬉しいんじゃないか、
と勝手に思い込んでいたんですけど


あらためて、母の感情に思いを寄せると
辛いことや寂しいことを、
私がもっと、素直に相談出来たら良かったのにな


母はもっと、
触れ合っていたかったんじゃないかな
そう感じられて、母への思いが溢れてきました。


私は母が認めた『大丈夫な子』なんだ
と思うと、


辛かろうが、恥ずかしかろうが、嬉しかろうが
自分の感情にも自信を持って、
もう気持ちに封印する必要はないんだな、
と思えました。


棚卸しをしただけですが
強がっていた自分や、
違う方向に頑張りすぎていた自分に
気づけて目から鱗、でしたし


あらためて
「自分の人生を生きたい」
と思えるようになりました。


みなさんも、以前の私のように
自分の感情が素直に出せなくて


つい「大丈夫」なフリをしてしまうな、
と思われたり


弱いところが見せられなくて
つい無理に強がってばかりだな、
と思われる方がいらしたら
私がやったように


一度、人生の棚卸しをしてみると
見える世界が変わるかもしれません。


「人生の棚卸しが気になるな」
と思われた方は、今
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そちらを手に取ってみて下さい。


これをきっかけに
ご自身の本来持っている良さを活かして
「自分の人生を生きていく」
その一歩になりましたら嬉しいです。


最後まで、読んで頂いて
ありがとうございました♪

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