見出し画像

自分の「人柄」こそ“唯一無二“と思えますか?

フィットネスインストラクターで
メンタルアップアドバイザーの
山﨑史子です。



突然ですが、
皆さんは「自分の人柄」のことを
自分の良さであり、価値だと思えていますか?



もちろん私も、
「人柄」を褒めて頂くと嬉しく思うのですが、



以前はそれを''特別なこと''
とは思っていませんし、
ましてやそれを
自分の価値の1つだなんて
思えていなかったんですね。



むしろ、
そもそも社交辞令かもしれないし、
なんて素直に
受け取れていないところもありました。



でも先日、学生時代の友人に会った時、
あらためて
「人柄」こそ、その人にしかないもので、
「唯一無二」なんじゃないか?
そんなふうに思えたんですね。



ですので、自分の価値ってなんだろう?
と思っている方は、
もしかしたら「灯台もと暗し」で、



そんなところにも自分の価値があると
自信が持てかもしれません。
最後まで、読んでみてください。



そもそも私の場合、
両親は、いわゆる「良い人」タイプ、
でしたので、



当然、親戚やご近所と揉めるなんて
見たことがなかったですし、
家での両親の会話の中でも、
あまり他の人を批判するような言葉を
聞くことがなかったように思います。



なので、それが周りからは、温和で
敵を作らないタイプに見えたと思いますし、
「人柄の良さ」として
感じるところだったんだと思うんですね。



ですから、
普段、温和で優しい父と母でしたけど
だからこそ、そんな両親の怒った顔は
見たくない。。。



家でも、良い人でいて欲しい。
そんなふうに子供心に思っていて
片付けをしなかったり
お皿を割ってしまったとか
障子に穴を開けたとか。。。



「何やってるん~!!」
とビックリして叱られる時
というのは、
たまにしかないことだからこそ
怖いというより、とても嫌でした。



母の感情が何か大きく動くごとに
敏感になっていったんですね。



なので、
その感情が動く手前で察知して
食い止める!
という気の回し方が
どんどん訓練されていたように思います。



そして、これは私が認定講師をしている
自分年表(未来書き換え自分年表作成講座)
で学んだことなんですが、



幼少期のそうした両親との関わりから
実は、自分の思考パターンって
出来上がっていて、



良くも悪くも、
親の価値観や関わり方って
ずっと自分の気持ちや考え方に
大きく関わり続けているんですね。



ですから私の場合も、
ずっと自分の中で無意識に
争いごとや揉め事になる手前で
何とかしようとする思考が働くので



偏ったり、一方的になることを
嫌がる傾向が強くあったんです。



例えば、
小〜中学校のクラスや部活で、
女子同士のグループや
先輩との関係性で揉めると、



相手を批判すること自体がとても嫌なので
周りが盛り上がるたびに、
どんどん気持ちが冷めてしまうんですね。



どうしてそんなに
相手のことを批判するんだろう?
どうしてそんなに
無理に仲間に取り込もうとして
多数派にしようとするのか?



そう思ってしまうので
周りの子がヒートアップしても
あまり共感ができなかったんですね。



でも、何も言わなければ言わないで
「いい子ぶっている」とか
「優等生ぶっている」ように
思われがちなので、



それも格好悪いと思うと
何かほどほどにセーブしながら関わる。。。
ということがたびたびありました。



でも、そんな自分が、
良く言えば、平和主義ですけど、
悪く言えば、どっちつかずで
とても嫌だったりしたんですね。



そしてその思考パターンは
大人になってからも変わらず、
OL時代の上司や先輩後輩との
関係性でも、



何か不穏な心の動きを察知すると
間を取り繕おうとしたり
なんとか揉めないようにと
気を回すので、


自分の感情を言うことを
躊躇したり、相手の顔色を見てしまって
どんどん遠慮がちになっていきました。



ですから、
周りの人からすれば
波風立てない「安心な存在」
だったと思いますけど、



それゆえに
なんの影響力もない「無力な存在」
に感じて、そんな自分を
何か寂しく感じていました。



ですから、
自分では自分を認めていなくて
いくら「人柄が良い」と言われても
そこに価値があるなんて思えなかったんですね。


ただ、今は?と言うと、
前にも書きましたが
自分年表という自分の人生の振り返りを
したことで、



自分の存在価値は
幼少期からの親との関わりから
培われていて、



それを元に本来の自分の価値観は
自分で生み出している
と知ったときに



一人ひとり、
歩んできた人生が違うということは
長い年月をかけて培ってきた
「人柄」って、世界に一つしかない
自分の価値なんだと思えて



もっと自信を持って
誇って良いのではないか?
と思えたんです。



ですので、
先日の友人に会った時の話に
戻りますけど、



学生時代の友人のMさんは
実は昨年から小学校の校長先生に
就任したそうで



それだけでも
充分びっくりだったんですけど



それまでずっと
中学校の教員だったMさんは、
小学校の生徒さんたちの反応が
これまでの中学生とあまりに違うので
ビックリ!と言っていたんですね。



「それはそうだよね~例えば?」
と聞くと



朝礼で、校長として
話をする時に、冒頭で
「みなさ~ん、
 どんなお休みの日でしたか?」
なんて問いかけようものなら



みんな各々が、
「楽しかった~どこに行った~
 あれやった~こうしてあ~して~」



と、ものすごい反応が良すぎる。。。
中学校の時とは全然違う。。。



という話だったんですね。
でもその時、私は
「それって、Mちゃんの人柄~
だからなんじゃない?」
そう言ったんですね。



だって、
他の校長先生が同じように挨拶しても
そんな楽しい反応じゃないかもしれない。



つまり、Mちゃんだから、
そんな風に子供たちも言いたくなる、
聞いてもらいたくなるんじゃないかな
と思ったんですね。



Mさんは昔から
「親しみやすい人柄」なんですけど、
それを一口に言っても
その雰囲気や受け止め方って
本当に全然違いますよね。



人柄って長い人生で
培ってきたものですしね。



そう思うと、だからこそ「人柄」
って“唯一無二”なんじゃないか?
胸を張って誇ってよいのではないか?
と今は思います。



みなさんは、いかがですか?
ご自身の「人柄」に価値があると
思えますか?


そう思うと私も
セミナー開催などで悪戦苦闘しながら
受講者さんのことを考えて
やり切った時



「お人柄を感じました」
と言って頂いても、以前は、
その言葉にお礼を言うだけでしたが



ちゃんと今は、
褒め言葉として受け取って
自分の「人柄」にも
自信を持って胸を張って良いと
思えています。



みなさんの中にも、
以前の私と同じように
ご自身の「人柄」について、



何かありきたりの表現だな。。。
なんて思っている方はいませんか?



もし、
それほど価値があるなんて思えない、
と思っている方がいらしたら



人柄や、その他にも
ご自分で気づいていない価値が
もっとあるかもしれません。



ご自身のことを
「もっと知りたい」「自信を持ちたい」
と思われている方は
是非メッセージをください。



私はフィットネスインストラクター
ですが、今は
メンタルからのコンディショニングとして
自分年表(未来書き換え自分年表作成講座)
もナビゲートしています。



ご自身の培ってきた人生の中には
ご自身を勇気づける要素が
詰まっていますので、
ご自身で、それを紐解いてみませんか?



新たな自分に
出会えるかもしれません。
私もぜひ、その瞬間に立ち会えることを
楽しみにしております。



ご興味ある方は、電子書籍から
ご案内しますので、メッセージを
こちらまでどうぞ⇩


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?