見出し画像

とりとめのない、きのうの話。

きのうのこと。

帰宅した深夜、駆け寄ってきて勢いよくジャンプした犬から、ほわっといい匂いがした。聞けば、シャンプーに行ってきたのだという。清潔感のある、フローラルというよりはミント系の、いつまでも嗅いでいたい香りだ。うちの犬はおよそ月に一度のペースで、シャンプーに行っている。そしてシャンプーの香りは3〜4日ほど彼の被毛に漂い、やがていつもの彼に戻る。人間よりもずっと鼻が利くはずの彼は、シャンプーの香りをどう思っているのだろうか。「するなあ」くらいには思っているのだろうか。


きのうのこと。

就寝前のベッドで、漫画を読んでいた。デバイスは Kindle Oasis。読むのは『呪術廻戦』である。『鬼滅の刃』や『チェンソーマン』もそうだったけれど、非常に情報量が多い作品だ。それはセリフの多さとか線の細かさとかに限った話ではなく、構築された世界観や、二分されずに絡み合う善と悪の複雑さなど、いろんな意味で処理すべき情報の量が多い。以前、あるアニメーション作家さんに取材したとき、彼は「子ども向けと子どもだましは違う」とおっしゃっていたのだが、ほんとうにそのとおりだと思う。簡単にうそを見抜いてしまう子どもたちに向けてなにかをつくることは、「おとな向け」の何倍も困難な真剣勝負なのだろう。


きのうのこと。

きのうの noteに、「これが終わったら、からっぽになるだろう」と書いた。書いて、それが自分にとても大切なモノサシであるような気がした。

最近、時代の変化をひしひしと感じている。ほんのちょっと前まで支持を得ていた「あるタイプの人たち」の時代が、静かに終わろうとしている。その実感が、ぼくには確実にある。そしてそんな時代は終わるべきだと、ぼくは思っている。もしかするとこれは、次に書く本のテーマになりうる話かもしれない。


自分は自分にできることを、こつこつとやっていこう。