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わたしの知らない世界。

アレルギー性鼻炎。

子どものころにそう指摘されて以来、「まあ自分はそういう人間なんだな」くらいに受け止めて過ごしてきた。1980年代に放送されていたテレビドラマ『あばれはっちゃく』のオープニングテーマに

♪ あばれはっちゃく 鼻づまり
♪ おいらは 花のおちこぼれ

と聞こえる歌詞があり、勝手に親近感をおぼえていたのだけれど、正しくは「♪ あばれはっちゃく 鼻つまみ」だったことをのちに知り、ひどくがっかりしたことを憶えている。まあ、そんなふうに聞き間違えてしまうくらいぼくは、重度の鼻炎だったのだ。

けれども大人になるにつれて、この「アレルギー性鼻炎」なることばに疑念を抱くようになる。「アレルギー」はよく聞くことばだ。蕎麦アレルギーとか、小麦アレルギーとか、スギ花粉アレルギーとか、そういうやつだ。ぼくの友だちには、鮨屋に行くと「わさびアレルギー」を申告してサビ抜きの鮨を握ってもらう人間もいる。実際にはアレルギーでもなんでもなく、わさびの味が嫌い(でも鮨は好き)なだけなのに。

ともあれアレルギーとは、特定の対象があって「○○アレルギー」と語られるはずのものだ。

一方、春夏秋冬のいつでも鼻を詰まらせているぼくはいったい、なにのアレルギーなのだろうか。この鼻は、なにに反応して鼻炎の症状をおこしているのだろうか。季節を問わない通年性ということはやはり、ハウスダスト的な話なのか。


きょうは朝から鼻炎の症状がひどく、ずっとくしゃみをして、鼻をかみ、またくしゃみをして鼻をかみ、強めの鼻炎薬を二度服用した。夕方に飲んだそれがいまごろになって劇的に効いてきている。

鼻炎薬が効き、両の鼻腔がすーすーに通るようになると、ぼくは毎回感激する。鼻炎じゃない人はみんな、こんなにたくさんの空気を鼻から吸っているのかと。残念ながらぼくは他人の鼻で呼吸をしたことがないし、小さなころから鼻炎なのでほんとうに知らないのだ、両の鼻が通った呼吸というものを。

これまで何度か検討しては回避してきた鼻腔の手術、ちょっと検討してみようかなあ。たぶんレーシックとかを超える感動があると思うんだよねえ、鼻が通る人生って。

……と書いているうちに片側の鼻が詰まりはじめた。

うすーく、つらいよね。鼻炎もちの人生って。