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原稿が迷子になったときにやること。

しばしば事件は、迷宮入りする。

推理小説でも、刑事ドラマでも、クライムサスペンスでも、迷宮入りする。しかしながら実際の迷宮(迷路のような構造の建物、たとえばお城)に入ったことのある人は、ほとんどいないだろう。われわれは、というか探偵さんや刑事さんは、それを描く作家さんは、入ったこともない迷宮に入ったと言っているわけだ。

もしもこれを実感に即したことばになおすなら、迷子がいちばんだろう。犯人を追っているうちに、迷子になった。真相を解明しようとするなかで、迷子になった。どんなにかしこい人だって、人生のなかで一度や二度は迷子になった経験を持っているはずだ。迷子のたとえは、わかりやすい。

しかしながら迷子は、いかにもカッコ悪い。ハードボイルドな推理小説の鬼刑事が、いきなり迷子になったらいろいろと台なしになるのだろう。実際の迷宮がどんなものかは知らずとも、やはり「迷宮入り」が適当なのだ。先人たちのことば選びを、安易に否定してはいけない。


長い原稿を書いていると、迷子に似た感覚をおぼえることがたまにある。

自分がどこにいるのか、よくわからない。この道を進んでも大丈夫なのか、よくわからない。思いきって、あっちの道に行ってみようか。それとも別の道を探そうか。けれども夕陽は、もう暮れようとしている。つまり、締切は間近に迫っている。このまま行くしかないのだろうか。見覚えのない風景のなか、気持ちばかりがあせり、ひたすら心細くなる。

まさに迷子、ひとりぼっちの子どもである。

こういうとき——よく言う「原稿が行き詰まった」とき——には、わかりやすい鉄則がある。

いったん書くのをやめて、そこまでの原稿をじっくりと読み返すこと。それだけだ。言い換えるなら、自分が歩いてきた道を、もう一度歩きなおすことだ。

迷子になると人は、ついつい「先」ばかりを考える。「これから」ばかりを考える。あせりもあるし、当然の心理だ。しかしながらほんとうに道に迷っている場合、いくら「これから」を考えても意味がない。なぜならいま自分が立っている場所、つまり「これから」へのスタート地点となる現在地がもう、間違っているのだ。面倒くさかったり、読み返すには長すぎる原稿だったり、気持ちがあせったりしても最初から読みなおし、道の間違いを探していくしかない。

これからの道がわからないときは大抵、これまでの道に原因があるのだ。