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25歳のトップランナー。

トキワ荘の物語は、多くの人が知っていると思う。

手塚治虫を筆頭に、石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫、といったスーパースターたちが住み込んでいた漫画界の梁山泊である。藤子不二雄A先生の名作『まんが道』に、その姿は詳しい。いいよなあ、こういう場所で尊敬すべきライバルたちと切磋琢磨するなんて、最高の環境だよなあ、と若いころは思っていた。いや、いまでも思っている。

とはいえトキワ荘は、かつてのヒルズ族が標榜していたような「成功者たちの集まり」とはちょっと違う。トキワ荘に住むことがゴールではなく、あくまでも修行の場、あるいは巣立ちの場として、それは存在している。なんといっても全室が四畳半、風呂なし共同トイレの木造アパートなのだ。時代が時代だったとはいえ、成功者の居住スペースではなかろう。

ところが、漫画の神様であるはずの手塚治虫も、ここに住んでいる。そもそも手塚治虫が住みはじめたことによって、彼にあこがれる若手漫画家が集まり、おもしろおかしく紡がれていったのがトキワ荘の物語だ。

いったいなぜ神様は、こんなところに住んでいたのか。『まんが道』を読みながら、いつもそこを不思議に思っていた。

で、不意に思い立って調べたところ、なんと当時の手塚治虫は25歳だったのだという。もちろんすでに『ジャングル大帝』や『鉄腕アトム』の連載ははじまっていた。トキワ荘に入居後も『リボンの騎士』の連載をスタートさせている。とんだバケモノだけど、25歳だったのだ。そしてその25歳の先生を慕って、たくさんの若者が集まってきたのだ。藤子不二雄のおふたりは、当時20歳くらいだったらしいし。

トップランナーが25歳の漫画界、そりゃあ刺激的なものだっただろうなあ。



ぼくも上京した当時、六畳のワンルームに住んでいた。ユニットバスは付いていたものの、14平米くらいだった。ふつうにベッドを置くと居場所がなくなるので、ロフトベッドを購入し、その下にちゃぶ台と座椅子を置いて仕事をしていた。

こんなスチール製のやつでした

切磋琢磨する仲間なんてひとりもいなかったけれど、あれはあれでぼくなりのトキワ荘だったし、ちょっとだけなら住んでみたいなあと思うのである。