エジソンの99パーセント。
ちびまる子ちゃんも歌っているように、エジソンはえらい人である。
おそらくたぶん、生まれてはじめて読書感想文を書いたのは、小学3年生のときだった。少なくとも自分の記憶にある読書感想文は3年生だ。それが課題図書だったのかどうかは忘れたけれど、エジソンの伝記を読んで感想文を書いた。小学生のエジソンは、算数の授業で教わる「1+1=2」がどうしても納得できなかった。担任の先生にしつこく、「1と1を足しても、『1がふたつ』になるだけで、それは『2』じゃない」と食い下がった。そんな導入がおもしろかったことを記憶している。
ともあれ当時の児童書コーナーでは、偉人といえばエジソン、伝記といえばエジソン、天才といえばエジソンと、なんでもエジソンの教育がなされていた。白熱電球のわかりやすさ、発明王なる異名のおもしろさ、それから当然「天才とは99%の努力と1%のひらめきである」という、いかにも使い勝手のよい教訓。これらすべてが彼を伝記王に仕立て上げたのだろう。
それで話は「天才」について。以前にリリー・フランキーさんがこんなことをおっしゃっていた。
若いころは自分自身にも肉体的なエネルギーがあるから、これがよくわからない。しかし年齢を重ねるにつれ、そしてホンモノの天才たちを間近で目撃する機会に恵まれるにつれ、わかってくる。そうなのだ、ほんっと、秀才と天才の違いって「エネルギー」なのだ。それも圧倒的な。理解や想像の範囲を超えまくっているような。
たとえばエジソン。この人が発明王とされ、実際に白熱電球や蓄音機や電話やその他のあれこれやと発明していったのは、天才的なアイデアに恵まれていたからというより、それを実現するエネルギー(彼はそれを努力と呼んだのだけど)あってこその話だ。実際にエジソンは、超短眠型でいくらだって働いていたというし、強欲っぷりも有名だ。いまの時代でいえばイーロン・マスクも寝ないで働きまくっているというし、妄想のありかたも自己顕示欲もすごい。「エネルギーそのもの」だ。
しかも厄介なことにこのエネルギー、どうやらジムに通ったり皇居まわりをランニングしたりで増強可能なものではなく、ほんとのほんとに天賦のものであるらしい。なので凡才や秀才が「天才」を真似て仕事や遊びに臨むと、ほとんどかならず心身を壊すことになる。もちろんこれはやる気や能力の差ではなく、エネルギーの差だ。
知力や体力と別に、個々人のエネルギー量を測定できるなにか、ほしいよなあ。それひとつで防げる不幸、たくさんあると思う。