古賀史健
記事一覧
『さみしい夜にはペンを持て』刊行のおしらせ。
7月18日(火)、あたらしい本が世に出ます。
タイトルは『さみしい夜にはペンを持て』。ぼくにとってはじめての、中学生に向けた本です。どんな本なのか、どういう意味のタイトルなのか、なぜ中学生に向けてつくったのか。お話ししたいことはたくさんあります。少し長くなるかもしれませんが、お付き合いください。
どんな本なのか本が好きな人ならだれでも、本によって救われた経験があると思います。
ひどく落ち込ん
自分に似合う服を見つける。
こんなおれでも、あのころは。
ハードボイルドにあこがれていた時期があった。ハードボイルドな小説、とくに「冒険小説」と呼ばれるジャンルばかり読んでいた時期があった。ジャック・ヒギンスとか船戸与一とかの、傭兵だの特殊部隊員だの、IRAのテロリストだのが活躍する物騒な小説だ。紫煙をくゆらせ、酒精をあおり、踵を返す。そういう世界である。
読んでいればもちろん、自分もその世界に染まっていく。いや、軍事の
わたしの定規を折らないために。
たとえばここに、定規があったとします。
短すぎてはいけません。まあ30センチくらいの、木や竹ではない、弾力のあるプラスチック製の定規です。それで左手で定規の下のところを持って、右手で定規の上のところをぐーっと押していく。圧力をかけていく。まっすぐだった定規はぐにゃ〜っと曲がりますよね?
この定規はあなたの心です。そして負荷によって曲がった姿が「ストレスを感じている状態」。また、圧力をかけてい
原稿が迷子になったときにやること。
しばしば事件は、迷宮入りする。
推理小説でも、刑事ドラマでも、クライムサスペンスでも、迷宮入りする。しかしながら実際の迷宮(迷路のような構造の建物、たとえばお城)に入ったことのある人は、ほとんどいないだろう。われわれは、というか探偵さんや刑事さんは、それを描く作家さんは、入ったこともない迷宮に入ったと言っているわけだ。
もしもこれを実感に即したことばになおすなら、迷子がいちばんだろう。犯人を追
エジソンの99パーセント。
ちびまる子ちゃんも歌っているように、エジソンはえらい人である。
おそらくたぶん、生まれてはじめて読書感想文を書いたのは、小学3年生のときだった。少なくとも自分の記憶にある読書感想文は3年生だ。それが課題図書だったのかどうかは忘れたけれど、エジソンの伝記を読んで感想文を書いた。小学生のエジソンは、算数の授業で教わる「1+1=2」がどうしても納得できなかった。担任の先生にしつこく、「1と1を足しても
入門書を選ぶときのコツ。
世のなかにはいま、何冊くらいの本があるのだろう。
いや、この書き方だと『窓ぎわのトットちゃん』だけでも全世界に2500万冊以上、存在していることになる。なので正確には「世のなかにはいま、日本語で書かれた本が、何タイトルくらいあるのだろう」と書かなければならない。知りたいのはタイトル数であり、しかも日本語の本なのだ。
原理的に考えて、世のなかの本をぜんぶ読みつくした、という人はいないはずだ。すべ
25歳のトップランナー。
トキワ荘の物語は、多くの人が知っていると思う。
手塚治虫を筆頭に、石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫、といったスーパースターたちが住み込んでいた漫画界の梁山泊である。藤子不二雄A先生の名作『まんが道』に、その姿は詳しい。いいよなあ、こういう場所で尊敬すべきライバルたちと切磋琢磨するなんて、最高の環境だよなあ、と若いころは思っていた。いや、いまでも思っている。
とはいえトキワ荘は、かつてのヒル
夢の値段と南無阿弥陀仏。
また宝くじのことを考えている。
何度か書いたことがあるけれど、ぼくは毎週宝くじを買っている。自分で番号を選ぶ、ロトくじというタイプのやつだ。銀行口座から直接購入・引き落としされるようにしていて、解約手続きを取らないかぎり半永久的にそれは継続されていく。ちょうどきょう、いつかに買ったくじが当選し、1000円の入金があったというメールが届いた。まあ、当たっても1000円か2000円がほとんどで、赤字
ページの裏側を読むように。
ゴールデンウィークと書いてはいけない。
そう教わったのは、週刊誌で仕事をしていたときのことだった。なんの記事で、どういう文脈だったかは忘れたもののぼくは、原稿のなかに「ゴールデンウィークは〜」とか「ゴールデンウィークの〜」と書いていた。すると編集のおじさんから「大型連休」と直しが入った。いやいや、いまどきみんなゴールデンウィークって言ってますよ、と思ったものの、これは映画業界がつくったキャンペー
半日間のコールド・トリップ。
きのうの東京は、すこし寒かった。
とくに夕方くらいから、肌寒さは本格のものになった。けれど、ここ数日が暑かったこともあり、なんとなくTシャツ姿のまま「寒いなあ」と思いながら仕事を続けた。いまにして思えば、この時点でなにか着ればよかった。
帰りの電車で、ちょっと頭が痛かった。駅の階段をのぼるとき、膝が震えていた。うん、これは本格的に寒いぞ。そのままスーパーに行って、鍋の材料を買った。最近気に入っ
雨降りの電車で考えた大根の話。
雨が降っている。朝からずっと、雨が降っている。
雨降りの地下鉄に乗りこむと、モワっと瞬間、独特の匂いに包まれる。平熱のサウナみたいに高い湿度。やたら生々しく吐き出される老若男女の呼気。人の数だけ持ち込まれたびしょびしょの傘。ぬるい人肌で温められる衣服の微妙な生臭さ。地下鉄だというのにぼんやり薄暗い車内に充満する、人びとの不快感。
次の駅に到着すると、一瞬だけさわやかな風が入る。密閉された車内に
子どもたちへのみくびりを払拭して。
思うところあって最近、むかしのディズニー映画を観ている。
むかしのディズニー映画と言っても『アラジン』とか『美女と野獣』とかのレベルではなく、たとえば戦前(1937年)の『白雪姫』までさかのぼって、観ている。なるほど、むかしのディズニー映画ってのはジブリ映画みたいに「テレビでたまたま観る」がないものなので、みずから積極的に観に行かないと永遠に触れないまま終わりかねないのだ。はじめての『白雪姫』の
部屋の描写がもったいない。
映画やテレビドラマを見ていると、部屋の描写が気になってしまう。
たとえば「ひとり暮らしの若者の部屋」。ずぼらさや不潔さを強調したキャラクターでないかぎり、作中の若者はそこそこ片づいた部屋に住んでいる。それなりの生活感は演出しつつも、アイドル的な俳優さんを小汚い部屋に住ませることはあまりない。
そして実際、現実世界においてもピカピカの部屋に住む若者はいる。というか、たとえばヤマダくんの家で鍋パー
会議とわたしと打ち合わせ。
これが職人気質、というものなのだろうか。
会議が苦手である。会議の場になると緊張するとか、なにも発言できないまま終わってしまうとかではなく、むずむずしてくるのだ、会議が続くと。もちろん会議が大切であることはよく知っているし、朝から晩まで会議の連続でヘトヘトになっている人のことも知っている。大変だなあ、と思うし、心からのお疲れさまを贈りたい。
しかしながら自分のことにかぎって言うと、たとえば2時
あのとき学んだ生きるための知恵。
話の流れで、小学生のころの記憶をさかのぼっていた。
転勤族の子どもとして生まれ、ぜんぶで4つの小学校を渡り歩いてきたおかげでぼくは、「2年生のころにはあの学校にいた」「3年生になってこの学校に移った」みたいな学年ごとの記憶が、かなり鮮明に残っている。それぞれの校舎も、校歌も、クラスメイトも。そして「4年生のとき、あの先生の授業でこんなことがあった」とかの記憶も。
ところがどうやって思い出そうと