古賀史健

ライター。バトンズ代表。最新刊『さみしい夜にはペンを持て』。その他『取材・執筆・推敲』…

古賀史健

ライター。バトンズ代表。最新刊『さみしい夜にはペンを持て』。その他『取材・執筆・推敲』『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』『20歳の自分に受けさせたい文章講義』など。週日更新しています。http://www.batons.jp

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    古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。

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  • 「書く人」から「つくる人」へ。 - 『取材・執筆…

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『さみしい夜にはペンを持て』刊行のおしらせ。

7月18日(火)、あたらしい本が世に出ます。 タイトルは『さみしい夜にはペンを持て』。ぼくにとってはじめての、中学生に向けた本です。どんな本なのか、どういう意味のタイトルなのか、なぜ中学生に向けてつくったのか。お話ししたいことはたくさんあります。少し長くなるかもしれませんが、お付き合いください。 どんな本なのか本が好きな人ならだれでも、本によって救われた経験があると思います。 ひどく落ち込んでいたとき、あの本に救われた。あの作者の、あのことばが生きる光を与えてくれた。あ

    • 夢の値段と南無阿弥陀仏。

      また宝くじのことを考えている。 何度か書いたことがあるけれど、ぼくは毎週宝くじを買っている。自分で番号を選ぶ、ロトくじというタイプのやつだ。銀行口座から直接購入・引き落としされるようにしていて、解約手続きを取らないかぎり半永久的にそれは継続されていく。ちょうどきょう、いつかに買ったくじが当選し、1000円の入金があったというメールが届いた。まあ、当たっても1000円か2000円がほとんどで、赤字を垂れ流すばかりの道楽である。 『さみしい夜にはペンを持て』の装画とイラストを

      • ページの裏側を読むように。

        ゴールデンウィークと書いてはいけない。 そう教わったのは、週刊誌で仕事をしていたときのことだった。なんの記事で、どういう文脈だったかは忘れたもののぼくは、原稿のなかに「ゴールデンウィークは〜」とか「ゴールデンウィークの〜」と書いていた。すると編集のおじさんから「大型連休」と直しが入った。いやいや、いまどきみんなゴールデンウィークって言ってますよ、と思ったものの、これは映画業界がつくったキャンペーン用語であって、新聞社やNHKでは「大型連休」と呼ぶのだ、と教えてもらった。

        • 半日間のコールド・トリップ。

          きのうの東京は、すこし寒かった。 とくに夕方くらいから、肌寒さは本格のものになった。けれど、ここ数日が暑かったこともあり、なんとなくTシャツ姿のまま「寒いなあ」と思いながら仕事を続けた。いまにして思えば、この時点でなにか着ればよかった。 帰りの電車で、ちょっと頭が痛かった。駅の階段をのぼるとき、膝が震えていた。うん、これは本格的に寒いぞ。そのままスーパーに行って、鍋の材料を買った。最近気に入って週一以上のペースで食べている、鶏とキャベツの水炊きをつくることにしたのだ。

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        記事

          雨降りの電車で考えた大根の話。

          雨が降っている。朝からずっと、雨が降っている。 雨降りの地下鉄に乗りこむと、モワっと瞬間、独特の匂いに包まれる。平熱のサウナみたいに高い湿度。やたら生々しく吐き出される老若男女の呼気。人の数だけ持ち込まれたびしょびしょの傘。ぬるい人肌で温められる衣服の微妙な生臭さ。地下鉄だというのにぼんやり薄暗い車内に充満する、人びとの不快感。 次の駅に到着すると、一瞬だけさわやかな風が入る。密閉された車内に新鮮な空気が入り込む。ところがそれも扉が閉まって発車すれば、もとの空気に戻ってし

          雨降りの電車で考えた大根の話。

          子どもたちへのみくびりを払拭して。

          思うところあって最近、むかしのディズニー映画を観ている。 むかしのディズニー映画と言っても『アラジン』とか『美女と野獣』とかのレベルではなく、たとえば戦前(1937年)の『白雪姫』までさかのぼって、観ている。なるほど、むかしのディズニー映画ってのはジブリ映画みたいに「テレビでたまたま観る」がないものなので、みずから積極的に観に行かないと永遠に触れないまま終わりかねないのだ。はじめての『白雪姫』の物語に、それを知った。 ぼくのような男でも知っている事実として『白雪姫』は、デ

          子どもたちへのみくびりを払拭して。

          部屋の描写がもったいない。

          映画やテレビドラマを見ていると、部屋の描写が気になってしまう。 たとえば「ひとり暮らしの若者の部屋」。ずぼらさや不潔さを強調したキャラクターでないかぎり、作中の若者はそこそこ片づいた部屋に住んでいる。それなりの生活感は演出しつつも、アイドル的な俳優さんを小汚い部屋に住ませることはあまりない。 そして実際、現実世界においてもピカピカの部屋に住む若者はいる。というか、たとえばヤマダくんの家で鍋パーティーをしよう、みたいな話になったとしよう。するとヤマダくんは(ほとんどかならず

          部屋の描写がもったいない。

          会議とわたしと打ち合わせ。

          これが職人気質、というものなのだろうか。 会議が苦手である。会議の場になると緊張するとか、なにも発言できないまま終わってしまうとかではなく、むずむずしてくるのだ、会議が続くと。もちろん会議が大切であることはよく知っているし、朝から晩まで会議の連続でヘトヘトになっている人のことも知っている。大変だなあ、と思うし、心からのお疲れさまを贈りたい。 しかしながら自分のことにかぎって言うと、たとえば2時間の会議があったとして、それで話が盛り上がり、あたらしいアイデアが出たり進むべき

          会議とわたしと打ち合わせ。

          あのとき学んだ生きるための知恵。

          話の流れで、小学生のころの記憶をさかのぼっていた。 転勤族の子どもとして生まれ、ぜんぶで4つの小学校を渡り歩いてきたおかげでぼくは、「2年生のころにはあの学校にいた」「3年生になってこの学校に移った」みたいな学年ごとの記憶が、かなり鮮明に残っている。それぞれの校舎も、校歌も、クラスメイトも。そして「4年生のとき、あの先生の授業でこんなことがあった」とかの記憶も。 ところがどうやって思い出そうとしても、1年生当時の記憶が出てこない。入学式のことも憶えていないし、担任の先生も

          あのとき学んだ生きるための知恵。

          書類の数だけぼくたちは。

          書類の多い人生だ。 毎日のように、役所や取引先、不動産会社などから封書が届く。カッターナイフでそろそろと開封する。中身を確認して、指定口座にお金を振り込んだり、判を押して返送したりする。もちろんそれぞれの書類は保管しておかねばならない。紙の書類は、たまる一方だ。 一方、届く書類のほとんどすべては封筒に入っている。口座番号だの請求金額だの場合によってはパスワードだの、秘匿情報満載の書類だ。まさか裸で送ることはできず、封筒に入れた状態で発送される。つまり書類が届くたびに封筒の

          書類の数だけぼくたちは。

          「がんばる」の前に意識すること。

          昨夜、サッカーの試合を観ながら考えた。 観たのはイングランドプレミアリーグ、フラム vs. リヴァプールだ。そして今季のリヴァプールを観るということは当然、遠藤航選手を中心に観ることになる。もうずっと、ほとんど毎試合観ているけれどほんとうに遠藤選手はよくやっている。 彼にかぎらず、だけれども、活躍している選手を観るときのぼくらは「がんばってるなあ」ということばを漏らす。最近のヨーロッパでいえば、南野選手も堂安選手もがんばっている。久保選手も、もちろん遠藤選手もがんばってい

          「がんばる」の前に意識すること。

          キッチンを変える、という考え方。

          休みをいただき、近県の宿にきている。 宿と言ってもロビーやフロントがあったり、朝食や夕食のついている宿ではなくて、ドッグランの併設された一軒家、すなわち貸別荘である。貸別荘ということは、朝昼晩のごはんを自分でこしらえなければならない。そうすると出立にあたってあらかじめ肉や野菜を買い込んで、保冷剤とともにそれをクーラーボックスに詰め込んで、万全の準備を整えたうえで車を走らせることになる。 そして事前に肉や野菜を買い込むということは、事前に献立を決めている、ということでもある

          キッチンを変える、という考え方。

          熱いと冷たい、そしてぬるい。

          熱い涙、という言いまわしがある。 たとえば「あふれる熱い涙」とか、「熱い涙が止まらない」とか、「おまえの熱い涙を」みたいな呼びかけだとか。このへんのフレーズ、みんなどこかで耳にしたおぼえがあるんじゃないかと思う。 この「耳にしたおぼえがある」という表現は意図的なもので、小説やエッセイのなかで「熱い涙」に遭遇することは稀である。散文ではなく、もっぱらポピュラーソングの歌詞として流れ落ちるのが「熱い涙」なのである。目にしたことはなくとも、耳にしたことはある。そういうことばなの

          熱いと冷たい、そしてぬるい。

          書き手にとってのおしゃべりとは。

          おしゃべりのありがたさを考える。 ぼくはライターであり、書くことを職業とする人間だ。実際にいまもこうして、お金にもならない文章をつらつらと書いている。書くことを苦にしないし、むしろ好きだったりする。 そしてどうして書くことが好きなのかと問われた際には、「話すのが苦手だから」と答えたりする。対面するとうまく話せない。緊張のあまり思ったことがことばにできない。家に帰ってから「ああ言えばよかった」「こう言えばよかった」ばかりを考える。それは事実だ。ひとりで書くかぎりにおいては緊

          書き手にとってのおしゃべりとは。

          正解がない時代って言うけれど。

          まったく知らないことばかりだなあ、と思う。 本を読むとき、新聞を読むとき、報道番組を見るとき、いつも「知らないこと」の多さにあきれかえる。たとえば「税制がこんなふうに変わる」みたいなニュースがあったとして、しかもそれについて「もう知ってるよ」と思っていたとして、解説記事を読めばちゃんとしっかり「ぼんやりとしか知らなかったこと」が書いてある。つまり、知らなかったわけだ。 そして途方に暮れてしまうのは、ぼくにとっての「知らないこと」が、だれかにとっての「知ってること」である点

          正解がない時代って言うけれど。

          「最近の若いもんは」と「わしらの若いころは」。

          いつの時代にも「最近の若いもんは」と語る人はいる。 現在も、20年前も、そして100年前や1000年前にも「最近の若いもん」は、似たような理由で責められている。常識を知らないとか、礼儀がなっていないとか、やる気がないとか、なにを考えているかわからないとか、そういう責められ方を、ずっとしている。 同様に、いつの時代もセットのように語られてきたであろう話が、「わしらが若いころは」である。 「わしらが若いころは、こうだった」「こんなことを考え、こんなふうに生きていた」。「それ

          「最近の若いもんは」と「わしらの若いころは」。