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失った「隙間時間」を再考せよ

とても有難いことですが、子供3人に好かれて休日は子育てに白熱させていただいております。一方で、なんか休日は気が休まんなくて、普段しないイライラを感じることが多い。エッセンシャル思考の本を読んで感じたのは、思ったよりもバッファの時間が大事だったことを痛感していました。

例えば、スマホがあって「隙間時間を有効活用できるようになった!わーい!」とかいってたのも束の間、隙間時間が自分でコントロールできればいいが、スマホからの通知がきても、子供が攻め寄ってくるわ、すごく余裕がなくていることに困ったりする。

当然のように、我々には24時間しかない。やめることが効率化の基本であるものの。子育てはやめれないしできるだけ、考えたいし。やってみたい。
結果アップアップみたいなことになって、去年は随分と困ったことがあった。
子育ての時間の使い方って難しい。w

そこで、もう少し時間について深ぼって考えたくて、こちらを思い出して読んだ次第です。

そもそも、効率化をしても、結局は限られた時間である。時間に関しては、多角的に捉えたい時期だなと。
私がこの本であらためて考え直す機会を得たのは以下も3項目。



◯子供をみるときに言い聞かせようと思う。セルフトークの認識。


とても、好きな一文があった。

「子供は、小学校に行くために、幼稚園に行き、1年生になったら2年生の準備、高校まで行ったら大学の準備、大学に行ったら社会にでる準備。顔の前ににんじんをぶら下げられたロバのようだ。」(省略してます)

これを読むと、つい子育てを未来ばかりを考えながらアプローチしている事に気が付く。
「純粋に目の前の、子供たちと向き合ってないのだな」という事に気が付く、マインドフルネスではないが、我々は今に集中することが難し苦なっていることを痛感する。


自分がどれほど未来のために現在を犠牲にしてきたか。そのことに僕がようやく気がついたのは、父親という立場になってからだった。

確かに将来や未来に向けて準備することは非常に重要である。
だが、今の子供たちに向き合うことがどれほど貴重だろう。自分はよく子供の顔をみてるのか?話を聞いているのか?頭の中は次の予定に支配されていないだろうか?簡単に思考をハックしようとするスマホの情報に、奪われてないか?
すごく考えさせられる、例えだった。

未来のアドバイスも大事だが、自分の不安のために手段かしているのはなんとも時間の使い方が下手だなと反省する。


◯平凡な趣味。というかつての目的。


これは、私はわりと多趣味だからよいんですが、平凡な趣味を「非生産的」と捉えてしまうバイアスへの指摘が興味深かった。
いつの間にか、実益になる趣味や時間の使い方に終始するような、風潮を感じることも多くなった。

ここで面白いのは、産業革命から、余暇は仕事から休むための時間として認識されるようになったこと。もともと、何にもない余暇がそれ以前は目的であり手段だったのだ。

なんでも、生産性に関連づけなくてもいいこの項目は非常に、効率化をはかってしまった最近の自分にはありがたかった。

無目的な時間をいうバッファを失いやすいの時期なのかもしれません。



◯忙しさへの依存


運転中は耳があいてるから、音声サービスで情報をインプットしよう。

確かにそれは、非常に有意義だ。

しかし、しないとダメみたいな認識には一旦ストップをかける。
だって疲れてる時だってありますもん。

まるで薬を飲むように、忙しさで脳を満たしているのだ

できるだけ生産的にあろうとすると、私はまさしくこうなりやすい。

やった気になるために、忙しくするのは本末転倒だ。

常に私は、目的を見失いがちになるし、手段と目的が逆転しそうになる。
それを改めて認識する。

筆者は、アルコール依存をたとえ話に話をしてくれる。これが耳が痛いw

自分の無力さを認めて、不可能を可能にしようとする無駄な試みを放棄したとき、人は実際に可能な事に取り組むことができる。まず現実を直視し、それからゆっくりと、より生産的で充実した生き方に向けて歩み出すのだ

正直、去年よりタスクは面倒なことが多いのだが、適切に諦めたり。
執着を手放すことができたところで、随分と楽になった。

忙しさで解決するのを諦めた


「隙間時間」を意図的に作るようになった


昔はいろんなところに無駄があり。
自動的に隙間時間や、ぼーっとする時間があったように思います。

しかし、現代がいろんなところにメディアがあるし。
インターネットによりコンテンツは無限。

どこでもいつでも、いろんな人から連絡がくるようになりました。

この本でまた印象的な話があるのですが、ハーバードの学生に、同じ絵を3時間見続ける課題の話があっただが。
最初は退屈していた生徒も、だんだん作品を、詳細に深くみれるようになったことだ。


私たちは「はやくやれ」というプレッシャーが非常に多い世の中だと、効率的にしか仕上げることしかできなくなる。時間を早めようという努力を放棄したことによって見えるものがあるのだと気が付く。


そこで、やっぱり見直したのは意図的な隙間時間だなと。
朝少しあるいたり、水に足をいれたり、瞑想したりと、いろいろ試してます。

速度を早めないようにしたら、時間は自分の手元にあるようになるのではないか?と今試しているところです。

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