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「ポルトガル短篇小説傑作選」

ルイ・ズィンク、黒澤直俊 編  現代ポルトガル文学選集  現代企画室


少尉の災難-遠いはるかな地で マリオ・デ・カルバーリョ
ヨーロッパの幸せ ヴァルデル・ウーゴ・マイン
ヴァルザー氏と森 ゴンサロ・M・タヴァレス
美容師 イネス・ペドローザ
図書室 ドゥルセ・マリア・カルドーゾ
バビロン川のほとりで ジョルジュ・デ・セナ
植民地のあとに残ったもの テレーザ・ヴェイガ
汝の隣人 テオリンダ・ジェルサン
犬の夢 ルイザ・コスタ・ゴメス
定理 エルベルト・エルデル
川辺の寡婦 ジョゼ・ルイス・ペイショット
東京は地球より遠く リカルド・アドルフォ

「ヴァルザー氏と森」


「エルサレム」のタヴァレスから。これは「エルサレム」とは異なり? ユーモラスな作品。作家ヴァルザーが森の中で家を新築したが、なんだか知らないけれど家の補修にたくさんの作業員が現れ(新築なのに)、それで静かに過ごそうとしていた一日が終わる、というもの。タヴァレス・・・作家像がまだつかめない・・・
(2021 09/26)

「ヨーロッパの幸せ」


2作品を今日は読んだ(この順で)。
「ヨーロッパの幸せ」ヴァルテル・ウーゴ・マイン。1971年、アンゴラ生まれ。アグアルーザ(「忘却のための一般論」)も、タヴァレスもアンゴラ生まれなんだけど、このマインは幼少時にポルトガルに渡っている。「忘却…」読んだ時に見たように彼らの生まれた頃はポルトガル植民地への移住が多かった。

それはともかく? この短篇の舞台はドイツ?(2017年には日本を舞台にした「うかつにも詩的な人々」という作品も出版している)
ヨーロッパに移住してきた黒人と、ドイツの閉塞感ある青年の回想が混じって静かな余韻を残す。

 工場で、機械の音を耳にしながら作業をしていると、現実なんて目の前を次々に流れていく物でしかない。時計という、装飾を施された時間を数える装置が、実用的で変哲のない日常を刻むだけだ。
(p43)


これは、この作品自体の印象とも重なるかな。物語の現在や回想の場面が読者の前を次々流れていく。長くはないこの作品は読者がつかみとらないとそのまま流れて終わっていく。

「少尉の災難」


一方、リスボン生まれのマリオ・デ・カルヴァーリョ(1944年生まれ、ポルトガル独裁政権への反対運動に参加し、投獄されのちにスウェーデンに亡命)は逆に、アフリカのポルトガル植民地での戦争の作品。地雷を踏んでしまって、これ以上足を動かすと爆発する、という状況の少尉。そこに上司の大尉がやってくる…

 いわゆる民衆の知恵として、危険にさたされた時こそ人の価値がわかるともったいぶった言い方がされるが、少尉が思うには、それは間違いで、危険な状況にあっては危険な状況でのその人の姿があるだけである。
(p20)


首尾一貫した人格というものは存在せず、その場その場での状況対処の寄せ集めがあるだけ、という即物的な見方。戦争という極限状態は人格という「虚構」を拭い去るものをもっているというべきか。

 それから、このように大尉の知識がちぐはぐであることの理由を突き止めるにはもう十分には生きられないのではと思い悲しくなった。
(p36)


この短篇内で一番共感したのがこの箇所。きっと少尉は周りの人間をじっと観察して内省する人なのだろう。変につきまとって、爆発物処理班も呼ばないこの大尉にも、厄介だとは思っても敵意までは持たない(敵意は軍医の方が持っている)。
結局、少尉は疲労と日射病で倒れて亡くなってしまうが、「地雷」はこの大尉が仕掛けたスパルタ訓練?のためのバネでしかなかった…と、これ知って読み返すと作品隅々まで整合性がとれていく。

先に述べたカルヴァーリョの経歴からして、大尉の行動への非難があることは間違いないと思うのだが、この作品の少尉と大尉のずれた対話を通して当事者達にも読者にも何かが通じ合ったとも感じられた。上のp36の文章もそうした一例だと思う。そして、こういうものが書けるのが作家の力量であると思う。
(2021 10/01)

「美容師」

激昂しないことに努めていた女性が、テレビキャスターの夫の暴力に耐えかねて殺してしまう話。その凶器の鋏と、物語の外側枠で客の髪切っていながら話しているこの女性の鋏がシンクロする…では、美容院ではないと語り手が言っているこの外側枠物語自体は、一体どこなのだろう。どこで語り手は鋏を使っているのだろうか。
(2021 10/04)

「図書室」

盗みや殺人をしてきた男が、本に囲まれた(しかも全て読んでいるという)暗い部屋で、誰かに半生を話している。その誰かは、たぶんこの男に身内か誰かを殺された人物と思われるのだが…という外枠の中では、書くこと読むことについての爽やか?な話が…
(2021 10/05)

「バビロン川のほとりで」


 さもないと、氾濫した川のように絶え間なく流れる様々な思い出の間にやがて空っぽの闇が広がり、その陰気な渦の中に詩片やかつて目にした光景などが浮かび、そしてその奥にかすかな扉のようなものが光る。
(p108)
この短編も読んでいて前の「図書室」のような抽象的空間なのかと考えていたのだが、実はポルトガルの16世紀詩人カモンイスの晩年の貧困時代を扱っている作品…老年の記憶というのはこういうものなのだろうか…作者セナは今回この本で取り上げられている作家の中では最年長。
(2021 10/06)

「植民地のあとに残ったもの」


この作家は寡作兼露出度が極端に少ない、という。
冒頭の地雷踏む作品と同じく、アフリカのポルトガル植民地が独立した時代の作品。こちらは現地ではなく、引き揚げてきた多くの軍人達との作品。なんかぎくしゃくしてたり、諍いで熱い作品ではなく、ユーモラスな登場人物(女好きの大佐、大佐の息子で「背の高い小人」ピクルス、大佐の娘の美容師、語り手の太っているけど大佐に満更でもない従姉など)が印象深い作品。アフリカ植民地で任務にあたった大佐と、機械工学が好きで敏感なピクルスが対立し、それで成長が止まっている、という。
(2021 10/07)

「汝の隣人」


今日は「汝の隣人」と「犬の夢」。なんか今日は、犬の話が多い。
まず「汝の隣人」は、エレベーターのベルが鳴っているのに気づきながら急いで帰宅した、けれど誰かが閉じ込められているか気になる、という掃除婦の話。引用箇所は始めの方から、語り手の掃除婦自身の恐怖観念が見て取れる一例。

 船の代わりに電車を使うこともできたけれど、橋の上を電車で通るなんてゾッとする。船の方が安全だといつも思う。
(p146)


どっちかというと船の方が危険(だし、時間もかかる)という気も自分はするのだが…人工的過程が覆い被さるごとに危険を感じるのだろうか。
この作品最後も一段落、或いは一文ごとに、気分が極から極へ揺れ動いていて、語り手の精神状態を感じさせる。

「犬の夢」

 しかし結局は、臭い、結局臭いの問題にいきつく。悪臭漂う橋を渡りながら、その臭いに気づかずに橋を渡れるか。
(p156)


犬を飼うかどうしようか迷っている語り手。ここでの「橋」は生物種間にかかる橋。

 なぜなら雑草のような天啓という聖域があるからだ
(p158)


「」がこの文の全体にかかっているから、何か著名な言葉であるのだろうけど、聖書かな。
日曜日が仕事の可能性出てきたので、この本土曜日勝負…
(2021 10/08)

「定理」「川辺の寡婦」「東京は地球より遠く」読んで、今朝読み終わり(と言っても後書き入れて200ページ弱)。

「定理」

ポルトガル王ペドロ(「残酷王」と呼ばれる)が皇太子時代に起きた、彼の愛人を暗殺した男を公開処刑した事件が元。それを現代のリスボンに「プロジェクトマッピングのように投影した作品」とは解説の妙。語りと視点は暗殺者で始まるが、処刑されたあとは渾然一体となっていく。

 そして、私だけが迫りくる夜に向き合うためだけにその場に居続ける。今宵は私たち、つまりは王と私のためだけにある。我々は思いを巡らす。
(p168)


作者エルベルト・エルデルは、元来は詩人。「20世紀後半最大のポルトガル詩人」と評されている、という。

「川辺の寡婦」

作者ジョゼ・ルイス・ペイショット…は「ガルヴェイアスの犬」(新潮クレストブックス)が、木下眞穂訳で翻訳されている(2019年日本翻訳大賞)。

おとぎ話のような抽象空間のような、閉鎖された村の母と娘、娘が少女の頃に川辺で少年と口づけしたことで、最終的に部屋に鎖つけられ閉じ込められる。それから40年…男が見えなくなって、そして母が亡くなり、葬儀のためようやく外に出る。特定の文章(古木があった、とか、母の声は鉄でできている、とか)がずれて繰り返されるのが印象的。そしてそれは最後の文章でかちりとはまる。

「東京は地球より遠く」


最後、リカルド・アドルフォ「東京は地球より遠く」。これまで、植民地とか抽象的空間とかそういう自分から離れた世界の話を落ち着いて?愉しんでいたのに、急に日本在住ポルトガル人のグチ?になってこれはこれで楽しい。

 文学とは所詮どれだけ緻密で壮大な妄想を展開し現実を超えるかということであると考えたからである。
(p200 編者黒澤直俊氏の言葉)


あとは書誌情報。もう一人の編者ルイ・ズィンクの「待ちながら」を、この短編集でも参加している近藤紀子訳で而立書房が出している。

…あと、最後に、日本の会社は男性社員に「愛人のための二番目の預金口座記入用紙」なんて配っていませんから(笑)、あと満員のエレベーター内でみんなじっと下を見て耐える、という模範教育なんてのも実施されていないし…
(2021 10/09)

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