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「神学・政治論(上)」 バールーフ・デ・スピノザ

吉田量彦 訳  光文社古典新訳文庫  光文社

訳者の吉田量彦氏には、講談社現代新書「スピノザ 人間の自由の哲学」2022年もある。


神学政治論序盤

スピノザの本は、とにかく言論・思想の自由が認められていないとその社会は滅びることになる、というのが主旨で、タイトルの横に小文で書いてある。当時のオランダの政治状況はスピノザに主著「エチカ」よりこれを先に出版しなくてはならない、とスピノザが考えたくらい緊迫していた。そして予期していたように、発禁処分になって「エチカ」も出版できずに亡くなってしまう。
(2016 07/24)

スピノザを読み始めている。ぽつぽつだったけど、一昨日くらいからのってきた感じ。今のところ、預言者と言われる人達は明晰であるより、想像力豊かな人達であるというのが主題。
(2018 09/07)

神学政治論から第3、4章

   知性と本当の徳についてはどのような民族も他民族と変わりはない。したがってこうしたことについては、ある民族が他民族を差し置いて神から選ばれることもありえないのである。
(p186)

   自然的な神の法は普遍的に妥当するものである。言いかえれば、それはあらゆる人間に共通する。それは誰にでもあてはまる人間の本性から導き出されたものだからだ。
(p199~200)


啓蒙思想の一つの展開を見ている気がする。上の引用はユダヤ人の選民思想について述べた箇所。この本の中で民族紛争とユダヤ人の「入植」が予期されている。
下の引用箇所では、聖書という歴史物語や、あらゆる儀式などが、本質的にの知性とは関係ないということも併記している。これはこの当時にしてみれば先進的な記述。
(2018  09/18)

スピノザの物語論


「神学政治論」第6章最後。奇蹟とみなされているものを、自然の法則でのみ説明できるというところ。スピノザのキーワードである「神即自然」というのが現れている、と思う。
それと、あと…

   ひとは自分自身の先入見にがんじがらめに縛られたあげく、実際に起きたのとは全く違うことを見たり聞いたりしたと思い込んでしまう。起きたことがそれを見聞きしたひとの理解力を超えている場合には特にそうだし、それが特定の仕方で起きることがその人にとって重要な意味を持つなら尚更そうである。
(p285)


物語論というか認識論というべきか。最後の一文がなんか自分には重要だと思うのだけれど…
(2018  09/27)

「神学・政治論」第8、9章


100ページあまりを土日で読み切り、なんとか今月中に読み終えた。
今日の8・9章は、聖書の成立(いろいろな出典の寄せ集め、でも旧約の編者は一人なのではないかとスピノザは考えている)、ヘブライ語の問題と、聖書に詳しくない自分にとっては難所。だけど、新訳なのと、文字が大きいおかげで?読み切れた。
これで終わり、というわけにもいかないので、上巻から一箇所引っ張っておく。

 ひとはそれぞれ、ものごと(これには宗教のことも含まれる)を自由に考える至高の権利を持っている。そしてこの権利を放棄できる人がいるなどとは到底考えられない。
(p355)


スピノザの考える、人間の「自然権」、考える自由、自然と考えてしまう、考えていなければ生きていけない人間の権利、というか習性。ヒュームの人間本性とも通じる概念。
(2018 09/30)

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