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「利根の変遷と水郷の人々」 鈴木久仁直

崙書房ふるさと文庫  崙書房

鈴木久仁直氏は、この他にも、医療関係や大原幽学など、千葉県の話題を広く掘り下げている人。

関宿城博物館にて

今日は関宿町(今は野田市と合併)に行ってきた。利根川は江戸時代前までは、隅田川の方へ流れていたのだが、それが銚子を河口とするようになった、利根川東遷は前から(というか今年3月に葛飾区の博物館行ってから)気になっているところ。その現場とも言える関宿。江戸時代の東廻り航路は銚子で利根川に入り、関宿まで来て、開削された江戸川で行徳、小名木川で江戸へ。銚子から江戸まで1日半くらい。
一方、今日ここまで走ってきた県道17号は日光東往還と呼ばれ、水戸街道から雀宮で日光街道に合流。主に将軍家の日光参内の御供をした大名が利用したそう。
…だが、今読み終わったところの「利根の変遷と水郷の人々」鈴木久仁直著には、上述の定説を覆す、自分の知らなかった説が…
(2007 12/02)

利根川東遷と足尾銅山事件

上で予告していた、利根川東遷の新事実なのだが、なんとまあ、足尾銅山事件が絡んでいるらしい。
もともと江戸幕府は銚子から関宿まで開削しても、あくまで本流は東京湾の方、要するに江戸川だ、としていたらしい。明治期初期のオランダ人技師もその立場にとり、もう少し江戸川を広くした方がよいと報告を出していた。
が、その中で足尾銅山事件。東京に鉱毒を流したくない、揉み消したい政府は、利根川・渡良瀬川を東に流し、「これは江戸時代になされていた」と官学合わせて主張した。一方、相次ぐ洪水(もちろんこれも銅山一帯が裸の山になった為)で堤防が決壊したままになっていた栃木県谷中村を、政府は住民強制退去させてそこに遊水池を造った、とのこと。
どうなのだろうか? 利根川東遷への興味がますます広がりを見せてきた…
(2007 12/03)

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