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大人になると【出会いと別れ】

書くンジャーズ日曜日担当のふむふむです。

今週は出会いと別れ。

子どものころから考えると、小さな頃は県外に転校してしまうお友達とは今生の別れのような辛さがあった。

次に会う日があるなんて、親がお友達でない限り、または自分が近くに引っ越さない限りあり得ないと思っていた。

私が感じた最初の別れは、幼馴染の転校。

たしか幼稚園の頃お父さんの転勤で引っ越してきたMくん、そして近くに立った新築の家を購入して引っ越してきたYくんは我が家の広い庭を公園のように思っていた(?)らしく、毎日のように遊びにやってきて私をドッジボールに誘った。

私はというもの、運動神経をどこかに置いてきてしまったようなタイプだったため、正直あまり乗り気ではなかったが、3時前にやってきて5時ごろまで我が家の庭を占拠したい二人にとって、私が断ったら行き場所がない。

私も帰ってとは言えず、、毎日ドッジボールに付き合った。おかげでボールを投げられる距離はかなり伸びたので、何もできずに体育の時間に怒られるということはなかった。そのため二人には感謝しないといけないなと思う。

毎日、私が学校を休んだり、用事があるとき以外は特訓のようなドッジボールを続けていた。

しかし、小学校2年生のある日、Mくんのお母さんから転校することを聞いた。

東北のある県へ行くという。

当時の私からしたら、どこにあるのか分からない、まるで遠くの、全く知らない場所。

これで一生会えなくなるんだと思うと、何も言えなくなった。毎日のように遊んでいた仲間のような関係が、その日を持ってぷちんと切られてしまう。

学校ではお別れの日に転校する子は大抵えんぴつをプレゼントとして配ってくれた。

その日もらった青いサンリオのえんぴつ。長い間使うことができず、特別な存在として机に置かれていた。

そして、引っ越しの日、私は学校に行ったが、母はお赤飯を炊いて届けたらしい。それ以上のことは聞かなかった。

小さな別れを経験し、ひと月ほど経った時、秋田で大きな地震が起こった。NHKのニュースで流れた衝撃的な映像を見るなり、母はすぐさま電話をかけ安否を確認した。

大人はいくら離れていても、いつでも連絡ができるんだと羨ましく思った。だからと言って私にも代わってとはいえなかった。

それから、年賀状のやり取りは続いていたが、お父さんの転職を機に神奈川に引っ越したのを最後に、いつしかお互いに連絡が途絶えていた。

何となく気にかけていたが、特段エピソードもなかったため人探しの番組に応募するわけでもなく、結局探すこともできずに時を過ごした。

大学生になり、恐らく引っ越し先に近かったはずの場所でアルバイトをすることがあった。バイト終了後、電話ボックスに置かれた電話帳を一生懸命に手繰り、彼のお父さんの名前を探した。見覚えのあるお父さんの名前を見つけた。そこには電話番号と共に以前の住所が書かれていた。

勇気を出して電話してみる。

誰も出なかった。アルバイトは1日限りのものだったため、会うチャンスを逃した。だが、住所と電話番号を控えたため、これできっかけさえつかめばもう一度会うことができるかもしれない。

それから、そちらのアルバイトとは縁がなく、またしばらく会うこともできずに過ごしたが、また年賀状の季節がやってきたので一言添えて出してみることにした。

電話よりは気軽にきっかけをつかめるのが年賀状の良いところ。

年賀状のおかげで相手から連絡があり、久々に一度会うことになった。久々にと言っても流石に成人してからの姿かたちはあの頃とは違う。

一応ベタな待ち合わせ場所で服装や身長、髪形などをお互いに伝えあった。

待ち合わせの時間になると、これがまた不思議なことにすぐにお互いを見つけることができた。

大人の顔つきにはなっていたが、やはり面影が残っていた。私も同じようなものだったのかな。

その時は昔の話に花を咲かせ、もう一人の幼馴染Yくんがいまどうしてるか、あれからどこに引っ越したのか、私はどこの高校に行ったのかなど他愛もない話で盛り上がった。

そして携帯の番号を交換し、また会おうねと家路についた。

私の引っ越しもあり、次の機会は生まれなかったが、今でも年賀状のやり取りは続き、出会いから別れ、そしてまた出会いと細い糸はかろうじてつながっている。

今はそれこそSNSがあり、携帯があり、世界が一気に近づいた。会いたいと思えばいつでもどこにいても連絡が取れる。会いたくない人にはブロックなんてこともできてしまう時代、出会いと別れを気軽に生み出すことができるようになってしまった。

良し悪しはあれど、出会いと別れにも様々な形ができた今、あの人にもう一度会っておきたい、会いに行きたいと思う気持ちを大切にし、フットワーク軽く現実世界での再会を果たしたい。


懐かしい顔、声、体温を感じる再会を










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