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空気を詠む

用事を済ませた帰り道、暖かい日差しの中、今年のお礼をお伝えしようと近所の八幡様へ向かう。
急な坂道で息を切らしつつ、早く着けるようにとすこしだけ大股で歩いてみた。家から近いのは大鳥居とは逆の入り口。鳥たちのさえずりを聞きながら、お辞儀をして中に入る。いつも思うことだけど、入った瞬間に空気がキリリと引き締まり、頬を撫でられる感触がある。今日も清々しい空気に包まれて、心が引き締まる気がした。

お宮参りの赤ちゃん連れ御一行とすれ違う。赤ちゃんはお母さんの胸に抱かれてぐっすりと眠っている。大人たちはみな一様に笑顔がこぼれている。幸せの瞬間に偶然ながら立ち会えて、私もムスメが生まれた頃を思い出す。

夏生まれだったので、お宮参りも暑い日だった。眠るわが子を抱き、ガーゼでそっと汗を拭う。滔々と読み上げられる祝詞と住所、名前。その後ドーンと太鼓を打ち鳴らす音がする。周りの赤ちゃんはその音の度に泣き始めるが、わがムスメは眠ったまま一向に起きない。ムスメの番になり、祝詞はうまく聞き取れないものの、名前と住所はしっかりと確認できた。最後の太鼓が「ドーン」と鳴り響く。鳴ると分かっていても、私の心臓がドキンと大きく打つ。それでもムスメは眠りこけたまま。肝が据わっているに違いないと確信した日だった。

手水で清め、少し歩いて牛さんの前に立つ。祈念の意味も込めて、頭や背中、あご。あちこちを撫でていた。石なのにあたたかく感じたのは、やはり牛に命が宿っているからなのか。

撫でている間に、女性の参拝客、そしてもう一人男性がお参りにきた。私はゆっくりとお礼をお伝えしたかったので、お参りを終えたのを見計らってから進む。

二礼二拍手一礼でお参りをして、今年の感謝からムスメの近況、見守りくださいとお伝えした。
目を開けてみると、鈴の姿が目に入った。そういえば、いつから復活したんだろう。お参りを終えたのに、鳴らしたくなった。
「ガランガラン」あとから鳴らしてお参りがないのって、神様からしたら今でいうピンポンダッシュみたいな感じになるのかな、とおかしくなってしまった。大変失礼をしてしまったような気持ちと、久々に音が聞けたうれしさで、ついクスリと一人で笑ってしまう。

お参りを終え境内を出ると、またやわらかな空気に戻っている。

帰り道、ベビーカー?を押している方がいる。近づくと、ワンちゃんのお散歩でした。
「こんにちは」互いにあいさつを交わすと、中にいたのはコーギーさん。
「もうこの子はおばあちゃんで腰を悪くしてるから」とのこと。
外のあたたかい日差しや風に当たれるお散歩は気持ちがいいよね。
しゃがんでお顔を見せてもらうと、少し緊張気味。
「撫でさせてもらってもいいですか」とお母さん、ご本人両方に承諾を得て、あごと背中を撫でさせてもらう。一瞬ガチっと体を固くしたけど、お母さんの「よかったねえ、うれしいねえ」の声にだんだんと体も顔も緩み、ふわりとした感触に変わるコーギーさん。
最後は笑ってくれたので、私もうれしい。私こそ撫でさせてくれてありがとう。

やわらかく穏やかな空気が私たちを包む。

空気を詠む。

窺いながら読むのではなく、空気はきっと詠む方がいい。


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