見出し画像

『シャイニング』の脚本が出来るまで⑨キングとキューブリックの会話

キングとキューブリックの対立

 キューブリックはスティーヴン・キングの小説『シャイニング』に夢中になりましたが、その物語の全てを気に入った訳ではありませんでした。

 小説『シャイニング』の映画化権が売れてからキューブリックによる映画化を知らされるまでの間に、キングは自ら『シャイニング』の映画脚本を書きました。
しかしキューブリックはキングの脚本を読みさえしなかったそうです。最初から原作のあらすじを変えて自分のアイデアを入れるつもりだったのです。※1

 キューブリックによる映画化を知った当初、キングは光栄に思ったといいます。

キング「僕は昔からキューブリックを素晴らしい映画監督だと思っていたから、彼のメガホンで『シャイニング』が映画化されると聞いた時には大いに期待したね」(プレイボーイ誌1983年6月号)※2

『キャリー』『呪われた町』に続いてキングが3作目の長編小説『シャイニング』を書き上げたのは1975年、キングがまだ28歳のとき。方やキューブリックはすでに『2001年宇宙の旅』や『時計じかけのオレンジ』などで高い評価を得ていました。キングが映画化に期待するのも無理はありません。
 しかしキングは、キューブリックが自分とは全く違う思想の持ち主であることを思い知らされます。


 キングが述懐します。
「彼(イギリスに住むキューブリック)が初めて電話を掛けてきた時は朝の七時半だった。私がバスルームで下着のまま髭を剃っていたら、妻が慌てふためいて入ってきた。私は子供が台所で喉を詰まらせでもしたのかと思った。すると妻が

“スタンリー・キューブリックから電話よ”

と言った。
何て言ったらいいか、私は呆然とした。シェービング・クリームを洗い流すことさえしなかった。スタンリーの第一声ともいうべき言葉は、
“幽霊という概念はとても楽観的なものだとは思わないか?” 
だった。二日酔いで片目がやっと開いている私は
“意味が分からないのですが”
と応えた。彼は、
“幽霊がいると考えることは、死後の世界があると想定することだ。楽観的な考え方じゃないか” と言った。

それがあまりにもっともらしいことだったので、一瞬思考が止まって何も言えなかった。それからこう言った。
“でも地獄はどうなんですか?”
電話の向こうでは長い沈黙が続き、その後、
“私は地獄は信じていない”
とそっけない答えが返ってきた。

彼は幽霊も信じていない、ただ考え方そのものがとても楽観的に思えただけで、だから彼なりのハッピーエンドをジャックに用意したのではないだろうか。
つまりジャックがずっと管理人であるという、閉じた輪を持った結末だ。
キューブリックは幽霊というものを呪われた魂として考えたくなかったのだと思う」※3

『シャイニング』のラスト・シーン

  一方キングはと言えば、“オーバールック・ホテル”そのものが邪悪な存在だと考えていました。

 
「僕の書いた脚本を結局キューブリックは使わなかったんだが、それは出来上がった彼の脚本とは根本的に違うものだった。

例えば僕の脚本では、キューブリックが全く取り上げなかった要素ーホテルの過去ーについて小説よりもさらにこだわって書いた。

『呪われた町』の中で、“邪悪な家は邪悪な人間を呼ぶ”というくだりがあるんだが、これが『シャイニング』の基本的なテーマだ。
あのホテルは、あのような人々が集まっていたから邪悪になったんではなく、ホテルそのものが邪悪な存在だったから、あのような連中が惹かれていったんだ」(ローリングストーン・カレッジ・ペーパー誌1980年冬季号)※4

 キングの原作小説では、ホテルそのものの邪悪さを象徴する存在としてホテルに棲み着くスズメバチが登場します。それは人類よりも下等で非力な昆虫としての存在ではなく、原始的な神秘性と本能的な凶悪さを持つ“集合知性”です。※5
 小説の最後では、燃え落ちるホテルの窓からスズメバチの大群が飛び去ります。

 そしてホテルの過去については、ジャックがホテルの地下室で見つけたスクラップ・ブックに貼られた新聞記事によって説明されます。記事を読んだジャックは、「ここには、第二次大戦後のアメリカ人ってものを示す、あらゆる指標が揃っていると思うんだ」(深町眞理子訳)と言います。

 このスクラップ・ブックはキューブリックの映画にも登場するはずでした。
共同で脚本を書いたダイアン・ジョンソンによれば、そのスクラップ・ブックは“おとぎ話に出てくる毒入りの贈り物《poisoned gift》”の役割りを果たしていたと言います。小説の題材として文学的栄誉をもたらすスクラップ・ブックと引き換えに、ジャックは自分の魂を差し出してホテルが望む存在に変わり果てたのです。

 しかし結局、キューブリックはスクラップ・ブックのシークエンスをすっかりカットしてしまいました。上映時間の制約の為にカットされたのだとしても、その判断は誤っていたとジョンソンは考えます。スクラップ・ブックが描かれていれば、ジャックが狂うきっかけが明確になったはずだからです。

 もっともキューブリックはオーバールック・ホテルの過去を全く描かなかった訳ではありません。
 オーバールック・ホテルはアメリカ先住民の墓地を破壊して建てられたと映画の序盤で説明されますが、これはキングの原作には無い設定です。

ジョンソンによれば、キューブリックはホテルが呪われている“合理的な”説明を欲しがったと言います。
先住民の墓地を冒涜することによって彼らの霊魂を呼び寄せたというアイデアに惹かれました。
超自然的な存在を否定はしないが、それが存在する理由は必要だとキューブリックは考えました。
※6

 撮影台本の前段階であるトリートメントには先住民の仮面のイメージなどが書かれていました。

 映画で映されるオーバールック・ホテルの内部セットは、カリフォルニア州に実在するマジェスティック・ヨセミテ・ホテル(現アワニー・ホテル)をモデルにしました。外観を撮影したティンバーライン・ロッジとは別のホテルです。
マジェスティック・ホテルの装飾はアメリカ先住民であるアワニー族が使っていたデザインをモチーフにしています。

キングが『シャイニング』の着想を得た
コロラド州のスタンリー・ホテル
スタンリー・ホテル


スタンリー・ホテルの内観


カリフォルニア州のアワニー・ホテル(旧マジェスティック・ヨセミテ・ホテル)


アワニー・ホテルの内観


オレゴン州のティンバーライン・ロッジ・ホテル


ティンバーライン・ロッジの内観


右よりキューブリック、撮影監督のオルコット、ニコルソン


撮影で使われた小道具のスクラップブック。
原作小説通り「奴らは彼のきんたまを持ち去った」という殴り書きがある。


※ 1 ヴィンセント・ロブロッット著『映画監督スタンリー・キューブリック』浜野保樹・櫻井英里子訳、晶文社、371ページより、翻訳の一部を変更しました
※2アンダーウッド、ティム&ミラー、チャック編、風間賢二監訳『悪夢の種子』リプロリポート、75ページ
※3  ロブロット『映画監督スタンリー・キューブリック』373ページ
※4 『悪夢の種子』195ページより、翻訳の一部を変更しました。
※5アーサー・C・クラーク著『失われた宇宙の旅2001』伊藤典夫訳、早川書房、420ページを参考にしました。
※6  スクラップス・フロム・ザ・ロフト「ダイアン・ジョンソン、『シャイニング』を書く」
https://scrapsfromtheloft.com/movies/writing-the-shining-by-diane-johnson/   2024年5月8日閲覧


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?