ハーバード見聞録(26)

「ハーバード見聞録」のいわれ
本稿は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。



ハリケーン「カトリーナ」(7月11日の稿)

「大型ハリケーン〝カトリーナ〟がメキシコ湾を北上しニューオリンズ方向に接近中」というニュースが頻繁に流れるようになったのは、私がケネディ行政大学院が実施したExecutive Education(2005年8月末の2週間)を受講中のことだった。

この特別セミナーは、ジョセフ・ナイ教授などハーバード大学が世界に誇る碩学達に加え、カート・キャンベル博士(戦略国際問題研究所(CSIS)副所長)やボブ・ガルーチ博士(ジョージタウン大学教授)など歴代アメリカ政権で外交・安保政策などの実務に携わったことのある錚々たる講師陣によるものだった。

また受講者も国防総省(米軍将官を含む)、CIA、国土安全保障省、国家情報庁など米国治安機関の次官・局長クラス、中国、台湾、中東諸国などの治安機関の大臣・次官などで構成され、「対テロ」、「台頭する中国への対応」を焦点に広範な研究成果・情報などが提供され、活発な討論が行われた。

その最中の「カトリーナ」の襲来であった。セミナー受講中の、アメリカ政府高官達に頻繁に携帯電話がかかってくるようになった。受講者達はそのたびに席を立って教室の外で対応に追われていた。

特に電話が多かったのは、〝カトリーナ〟の上陸が危惧されるテキサス州の軍務局長(Adjutant General)を務めるチャールス・ロドリゲス陸軍少将であった。彼は、テキサス州兵の最高責任者で、いわばリック・ペリー州知事の参謀総長に相当する任務に就いていた。〝カトリーナ〟は死者1,836人を出すなど甚大な被害をもたらしたにもかかわらず途中で帰ることも無く、9月2日の終了式までセミナー参加を全うした。

私は、ロドリゲス少将とアメリカ軍の災害派遣について話す機会を得た。ロドリゲス少将は眉間に皺を寄せながら、「ハリケーン災害などが発生すると略奪・暴行が横行する。だから、州兵を出動させるときには武装させるんだ。」と、私に言った。「エッ、こんなに豊かな国で、こんなに文明国家のアメリカで、災害時に略奪・暴行があるのかい?」と私は驚いて問い返した。

「実はそうなんだ。アメリカは貧富の差があって、特に南部には貧困層の黒人が多いんだ」と、ロドリゲス少将に代わって、第7沿岸警備区司令官(国土安全省の隷下)のデビッド・ピーターマン海軍少将が気まずそうに答えた。

〝カトリーナ〟はその後、ルイジアナ州ニューオリンズ市を直撃し、ご承知のように米国災害史上最大級の爪痕を残した。

私が陸上自衛隊を退官する直前の2004年 ( 平成 16年) 10月23日に発生した、新潟県中越地震では、闘牛や錦鯉で有名な山古志村などの被災民が悲惨のどん底に突き落とされた。しかし、彼らは決して取り乱すことも無く、整斉と救援を受け入れ、至短時間のうちに復興へ向けて立ち上がった。また、当時の山古志村村長の長島忠美氏は、インタビューの度に「全国民の御支援への感謝」を表明していた。

政府も発災直後から、直ちに災害対策本部を立ち上げ、陸上自衛隊をはじめあらゆる災害救援手段を集中投入した。

当時の陸自12旅団(群馬県榛東村の相馬原駐屯地が司令部)の旅団長だった松永敏陸将補(筆者の防大同期生)は、速やかに新潟県庁に指揮所を開設し、全国陸上自衛隊から掻き集めた「天幕(ストーブ付き)」を仮設住宅建設以前に設置し、寒冷深まる中で被災民を収容した。

同期生の森勉陸上幕僚長は「きめ細かな質の高い被災者へのサービス」を指針とし、陸上自衛隊の炊事車を被災地に集め、暖かい食事を準備し、野外浴場での入浴までも可能にした。

この新潟中越地震への日本政府・自衛隊の取り組み方と今回の〝カトリーナ〟災害へのアメリカ連邦政府・州の対応などを比べて見ると、次のように、その差が浮き彫りになる。

第一には対応の早さ。州兵がニューオリンズに到着したのは、9月2日で、〝カトリーナ〟が上陸した8月29日から4日も経った後だった。私が九州防衛の任務を持つ西部方面総監部の幕僚長だった頃、森前総監とその後任の林現総監に仕えたが、二人の災害に望む方針は「陸上自衛隊の一刻を争う現場進出が民心の安定の根本。遅滞無く即応せよ」というものだった。

台風接近の段階から、リスク評価を行い、状況によっては先行的に連絡幹部などを県庁などに派遣し、自治体との連携を強化し、隷下部隊に対しては物心両面の即応体制の確立を促すのが常だった。従って、今回のアメリカのように災害発生から4日も経って現場に進出するようなことなどあり得なかった。

第二は武装。テレビで見たアメリカの州兵は、被災地進出にあたり、武装していた。ロドリゲス少将が告白したように、略奪・暴行を行う被災民の群れに対し銃を構えていた。この光景を見て、陸上自衛隊が国民に銃を向ける必要が無いことは、日本国民にとっても、陸上自衛隊にとっても、極めて幸福なことだと思った。

森陸上幕僚長が西部方面総監当時、「陸上自衛隊は、戦後、誕生の経緯などから、国民に対する『目線』が、帝国陸軍のように『上から見る』のではなく『下から見上げる』傾向がある。これは極めて価値ある財産で、良き伝統の一つにすべきであると思う。イラク復興の為派遣した陸上自衛隊員が、諸外国の軍隊のようにイラク国民を上から見下ろすのではなく、同じ高さの目線で見ているのは極めてよいことだと思う。」と私に言われたのを覚えている。

ケネディ行政大学院の安全保障特別セミナーの中で、ジョセフ・ナイ教授が「SOFT POWER」という概念を説明された。アメリカの力(パワー)は、「軍事力などの『HARD POWER』だけではなく、外国を惹きつける政策、文化など軍事力以外の力『SOFT POWER』が組み合わされたものである」という考え方である。自衛隊が創隊以来逆風の中で培った「国民に対する上向きの目線」はナイ教授が唱える「SOFT POWER」に当てはまる美徳ではないだろうか。

第三は被災した自治体の首長や住民の言動。

ハリケーンが直撃したニューオリンズの黒人市長ネーギン氏は地元ラジオとのインタビューで、「水に浸かり大声で助けを求めている被害者と、イラクのどちらが大事なのか。我々が助けを求めても政府は何も分かっていない。イラクの人々は米国に来てほしいと頼んだのか。とっとと、腰を上げて、米国史上最大の危機に対応すべきだ」等と、イラク政策にまで言及し、政府の対応を厳しく批判した。

また、米議会黒人市民権運動家グループの下院議員カミングス氏(民主党)は、9月2日の記者会見で、「ハリケーンで生き残ったものと死んだものの違いは、貧しさと肌の色だ」と、今回の救援の遅れは黒人に対する差別意識が根底にあるとの認識を示唆した。

このように、アメリカ連邦政府・州の〝カトリーナ〟による災害対応の不手際とこれに対する自治体・住民などの反発が更に混乱を深め、アメリカが内包する人種差別などの矛盾を表面化させる場面も見られる。かかるニューオリンズ市長などの言動と山古志村の長島村長の「政府・全国民に対する感謝表明」は著しいコントラストだ。

〝カトリーナ〟の打撃は、「9.11」を契機に、アメリカが国土安全保障省を創設し、テロの脅威から国民を守ろうとしている矢先の惨事であった。国民の命に対する脅威がテロだけではないことをアメリカ政府は思い知らされたことだろう。

アメリカでは、防災は連邦危機管理庁(FEMA)や州兵の任務とされているようだが、今後大規模災害への現役軍(ACTIVE DUTY)の投入が論議される様になるかも知れない。

今回〝カトリーナ〟の被害は現在のところ11兆円超と見積もられている。これに加え、イラク出兵の経費が毎月約6000億円にのぼると報じられており、これらをカウントすれば米国の財政事情は更に悪化することが避けられないだろう。〝カトリーナ〟がもたらした被害は、ブッシュ政権にとって思わぬ「打撃」となり、今後予想もしなかった副作用が顕在化するかも知れない。

巨大ハリケーン〝カトリーナ〟の出現は地球温暖化現象の所産と見られる。この点に鑑みれば、アメリカは1997年の京都議定書を批准しておらず、けだし〝カトリーナ〟は、アメリカに対する「天の警鐘」という皮肉な意味合いがあるのかもしれない。


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