見出し画像

もう一度CDで聴きたい サブスクで聴く音楽が虚しくなってきた話

spotifyのプレイリストを流していて、ある曲が流れてきた時、猛烈に心が揺さぶられた。急いで画面をみたらフィオナアップルのcriminalという曲だった。

くぐもった低い声に、天気が崩れる前みたいなピアノ、繰り返しのベース。視線が定まらない顔のCDジャケット。

思い出した。これは学校帰りにタワーレコードに週3くらい通って、試聴機でひたすら聴きまくっていた曲だ。怒ったような無愛想なボーカルが魅力的だった。

でも決して買わなかった。

このアルバムを家に持ち帰るわけにはいかない。だって私は良い子だから。限られたお小遣いで手に入れるのは善良なものでないといけないのだ。正直、フィオナの呪いがかったムードに影響を受けそうで怖かった。

他にも試聴機で聴けるだけ聴いて買わなかったアルバムがある。歌声がセクシーすぎて個人的18禁となったsuger soulや、幸福感がいっぱいすぎて手が出なかったコリーヌベイリーレイなど。いずれも試聴機の分厚いヘッドフォンで散々聴いた。おかげで逆に記憶に刻まれている。

それにしても、CDショップというものが街から消えた。1998年をピークにCD販売は減り半分以下になったそうだ。Wikipediaをみると、日本レコード商業組合加盟店舗数は1992年の約3200店をピークに、2010年には約700店まで減少したと書いてある。えっと今は2022年、、、。

個人的な体験としても、大学生くらいまで街をぷらぷらするとき必ず寄るのがCDショップだった。試聴機で店員さんの丸文字のPOPをみて色々と試した。いかにもDJのような格好でヘッドホンをし格好つけた兄ちゃん達がいっぱいいた。

横浜在住の私は元町のバナナレコード、横浜駅ルミネのタワーレコード、ビブレの半地下のHMVにはよく行った。他に個性的な小さな店がたくさんあった。試聴機のおかげでお金がなくても遊びに行けた。でもそんな話もぜーんぶ、思い出になってしまった。

今、音楽はサブスクで聞いている。実は家にCDは一枚もない。CDからiTuneに移った時に全部捨ててしまった。でも正直後悔している。

サブスクのおかげで膨大な量の音楽を聞けるが、一つ一つへの思い入れがとても薄い。一枚のアルバムの購入に悩むことも、一枚をひたすら聴き込むこともない。そもそも次から次へと曲が流れてくるから、アルバムというまとまりを意識しない。

一つ一つの体験は圧倒的に軽くなっている。記憶に残らない。年を取って感性が鈍ったからかもしれないけど、やっぱりそれだけではないはず。スマホのボタンを軽く触れるだけに済んでしまうと、音楽はいかにもただの情報だ。いくら情報量があっても体験として虚しくなる。

それで最近はipodを引っ張り出してきて聞き直していて、さらには、やっぱりアルバムとして物理的にCD ROMという形になっていたことにも意味があった気がして、もう一度CDで聞きたい、CDを聴きたいとふつふつと思うようになった。

そして街のショップでアルバムを手に取りながらあれこれ視聴するのだ。そんな時間が恋しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?