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ふくし、地域、そしてデザインのこれから|オープンフォーラム レポート【ふくしデザインゼミ 2023-24】

 昨年2023年12月3日、ふくしデザインゼミ 2023-24 の皮切りとなる「オープンフォーラム」が開催されました。会場は、赤羽(東京都北区)にある東洋大学・赤羽台キャンパス。ふだんは「福祉デザイン学部」のキャンパスとして使われている教室での開催です。福祉とデザインについて語るうえでピッタリの会場に100名を超える来場者が集い、ゲストそれぞれの経験や信念に耳を傾けながら、福祉、地域、デザインについて思いを共有する場となりました。

 ふくしデザインゼミは、東京都八王子市に本部を構える社会福祉法人武蔵野会と、「SOCIAL WORKERS LAB」などを企画・運営する一般社団法人ぼくみんとのコラボ事業。2022年夏にスタートし、今年は2年目となります。今回のオープンフォーラム「これからを見つける。 ~ふくしと、地域と、デザインと」には、3名の有識者・実践者を迎え、多様なテーマで横断的に議論しました。

オープンフォーラム 集合写真

 当日の模様を、フォーラムに「ホスト役」で参加した地域活動家の小松理虔がレポートしたいと思います。

多様な語りが生み出す、ふくしのグルーヴ

 率直に驚かされたことを冒頭で話してしまうと、この2点でしょうか。

・それぞれ領域が異なるはずなのに、ゲストそれぞれの知見が互いにリンクしあう
・来場者がめちゃくちゃ多く、かつ来場者同士の交流もあるのですごく盛り上がる

  今回のゲストは、人類学者の磯野真穂さん、軽井沢で「ほっちのロッヂ」を運営する藤岡聡子さん、奈良県東吉野を拠点に活動するデザイナーの坂本大祐さんの3人。

右から、小松理虔さん、坂本大祐さん、磯野真穂さん、藤岡聡子さん、今津新之助さん

 藤岡さんの「ほっちのロッヂ」は、診療所であり、ケアを受けながらさまざまな活動ができる文化的な拠点にもなっているので、「ふくし」にも関係がありそうな気がしますが、磯野さんと坂本さんは、ジャンルが違うような気もしないでもない。それなのに、3人が対話を始めると、「それはこの分野ではこう読み替えられるかも」というような感じでそれぞれの視点から意見が入り、ジャズセッションみたいな謎のグルーヴが立ち上がってくるんです。

 といっても、適当におしゃべりしているというわけではない。それぞれとても専門的であり、実践や研究の末に出てきている言葉なので、とてもリアリティがある。参加された来場者のみなさん、さかんに首を縦に振ってうなづいていたり、熱心にメモを取られていたりしていました。すごくいい刺激を受けた時間になったのではないでしょうか。

参加者同士の対話セッションのひとコマ

 来場者も多様で、学生が多いかと思いきや、福祉関係の現場の人が結構多く、福祉を学んでいる学生ばかりじゃなく、所属や専攻もさまざま。フォーラムの合間に、何度か「隣の人と感想をシェアしてください」という時間が設けられたのですが、これが想像以上に盛り上がり、来場者のアンケートを見返してみても、「対話の時間があったのがよかった」と書いてくれている来場者がかなりいました。おもしろい話を聞くと、考えたことをだれかに話したくなるものですよね。知的好奇心をくすぐる対話の時間があったのも、すごくよかったと思います。

自分のものの見方を、超えていく時間

 それでは、当日の模様を、少し詳細に振り返っていきたいと思います。

 まず行われたのが、ゲスト3人のみなさん+私からの話題提供。最初に私から話をして、2番手の磯野さんからは、少し長めに「人類学」や「フィールドワーク」をテーマにレクチャーしていただき、続いて坂本さんから、藤岡さんはふだんの仕事について、その仕事で大事にされている「思想」というのでしょうか、哲学のようなものをお話しいただきました。

小松理虔さんのトーク

 私からは、「自分らしさ」と「住んでいる地域」って切り離せないよね、という話や、地域活動の現場で他者と交流することを通じて、自分が変化したり、社会の見え方が変わってくる、だからおもしろいんだし、やっぱ現場に飛びんでいこうぜ、という話をしつつ、これまでの「ふくしデザインゼミ」の取り組みについても簡単に紹介させてもらいました。

 加えて、ここのところ感じている「課題解決」という言葉に対する違和感についても話しました。課題解決って、なんだかいいことばかりじゃないよな、課題って、それはそれで「自分らしさ」や「地域らしさ」でもあるわけだから、解決すればいいって話でもないよなと。「良さげな言葉」に疑いの目を向けてみることも大事だよねと、そういうをしました。

磯野真穂さんのトーク

 磯野さんからは、ちょっと長めに講義形式でお話しいただきました。最初に問題提起されたのは「フィールドワーク」という言葉の取り扱い、その意味合いについて。私たちはなにかと気軽に「フィールドワーク」という言葉を使いがちですが、磯野さんは、「あなた自身のものの見方やフレームワークから脱け出すことがフィールドワークだ」と語ります。さらに、そこで大事なことは、相手の立場に立つことではなく、相手の肩越しに立つことだと。

 自分が想定するものを再確認して、「やっぱりこうだった」と安心を得るのがフィールドワークではない。予定調和ではいけないんだと。漂流して、簡単に言語化できないような時間を過ごさなければダメだと、そういうふうに私は解釈しました。そこで重要なのが、相手の肩越しに立つこと。相手と同化しないということかもしれません。磯野さんの言葉にも大変パワーがあり、それに呼応するように、真剣な表情で話を聞く参加者の姿がとても印象的でした。

 また、磯野さんはこんなことも語っています。福祉をふくしにひらくには「支援の視点を脱け出す必要がある」と。大変クリティカルな指摘だと思います。目の前の人を支援するという視点だけだと、福祉の純度を高めていく方向にいってしまう。それでは専門的になってしまうし、目の前の人を「支援が必要な人」に固定してしまう。だからこそ、むしろ支援「ではない」考え方、やり方、取り組みを目指していく必要があるのでしょう。

人に向き合うとは、いかなることか

  坂本さんからは、東吉野の実践、デザインについてお話がありました。印象的だったのは、クライアント(つまり当事者)が正しく自分の課題を認識しているとは限らない、当事者ゆえにまちがってしまうことがあるのではないか、という指摘でした。坂本さんは、目の前のクライアントの話を聞き、想像力を働かせることで、相手の真の困りごとを一緒に見つけていこうとする。結果としてなにもデザインしないかもしれないし、デザインの手前で終わるかもしれないといいますが、それでも、目の前の人に並走していく。

 それは、周囲から見れば「デザイナーの仕事じゃない」と思われるかもしれませんが、地方都市は、都市部ほど仕事が細分化されていません。「映像を撮ってほしい」ではなく、もっとざっくりとした「なんとかしたい」みたいな問い合わせが来ることのほうが多い。つまり、地方においてデザイナーが受ける仕事は、たいてい「ジャンル分けされない困りごと」です。いやあ、なんだかとても「福祉的」な話に聞こえますよね。

坂本大祐さん

 藤岡さんからは、「ほっちのロッヂ」での実践について手短にご紹介いただいたあと、専門性を超えていくことの重要性について話がありました。ほっちのロッヂには、医療やケアが必要な人たちがたくさんやってきます。つまり、多様な人を「みる」現場でもあるわけですが、藤岡さんは「私たちは、一人の人間として、目の前の人のなにをみているのか」ということを、常に自分に、現場で働く人に問いかけているのだそうです。

 私たちは、どんな現場でも、何かにつけて、医師とかケアマネとか、看護師とか、「肩書き」や「職能」を持ち出してしまう。けれども、その専門性だけでは、目の前の人を全人的には捉えられない。「専門性」が見せてくれるのは、その人の一部でしかないよ、それだけで人を判断してはいけない、「患者」という側面はその人の一部にしか過ぎないのだと、藤岡さんはそんな話をしてくださったのだと私は解釈しました。

藤岡聡子さん

 坂本さん、藤岡さんの話は、現場での実践から出てくる言葉であり、また、二人のキャラクターのすばらしさというか、話に「熱」が感じられ、とてもいい刺激を受けました。と同時に、「新しい視座」をいくつももらった気がします。話のあとに行われた来場者同士での対話の時間も、だからこそ盛り上がったはず。来場者の多くが、前のめりで、ちょっと興奮した様子でおしゃべりを楽しんでいるのが印象的でした。私もその輪に加わりたかったです。

贈与と、ふくしと

  来場者の対話の時間を挟んで、後半は、ぼくみん代表の今津新之助さんも加わって5人でトークセッション。みなさん「初対面」とは思えない和気藹々とした雰囲気を感じつつ、相互のリスペクトを感じました。だから対話が成立し、「自分なりの角度」や「自分なりの見え方」の話が交わされていくのでしょう。知的好奇心が痺れるようなトークセッションとなりました。

和気藹々なゲスト陣

 いくつか印象的なワードを書き残しておきます。人との関係性構築を急がないこと、雑事をやり切ること、そうしたことに取り組むことで信頼が醸成されること、そして、常に自分を問うこと。

 藤岡さんは「当事者ではないからこそできることがある」と語ります。藤岡さんが絶えず自分を、自分の役割を自問しているからこそ出てくる言葉でもあるでしょう。さらに藤岡さんは、自分を問わないと「支援はハリボテになってしまう」とも。私たちは、自分を問うているか。自分を知ろうとしているか。自分だけで自分を知ることはできるのか。ならば、他者と語る時間をつくっているか。藤岡さんの言葉が、突き刺さってきます。

  磯野さんからは、医療や福祉は「Do」が得意だ、という指摘も。専門性のある職業だからこそ、思わず「する」とか「行う」ことを考えてしまうけれど、その前提には「Be」がある。時間はかかるけれど、一緒にいるとか、漂ってみる、まさに「肩越しに立つ」ことで、これまでに見えなかったものが見えるかもしれない。自分の「Do」を省み、より良いものにしていくための「Be」がある。そんなこともセッション中に語られました。

クロストークの様子

  そして、坂本さんからは、「福祉」について、刺激的な話が飛び出しました。坂本さんは、「福」の字も「祉」の字も、「しめすへん」の漢字、つまり「神への供物」を表す漢字だと説明したうえで、福祉というのは、人間が下からつくり上げて獲得していくものではなく、むしろ、神さまからの授かりもののようなものなのではないかと。磯野さんからは、この話は贈与論に接続できるとリアクションがありましたが、私もそう思います。

  東吉野という自然に囲まれた村は、山がもたらす恵みで成り立っている。人間がいくら効率よくものをつくることができても、四季は待たなければ訪れません。坂本さんの暮らしのなかには、都市で暮らす私たち以上に、「神からの授かりもの」や、その授かりもので回っていく経済、コミュニティ、善意のようなものが回っているのだと思います。坂本さんがこの話をしてくれたおかげで、「地域」というものに対する見え方が更新されるような時間となりました。

根底にあるのは、「人」へのまなざし

 今回のオープンフォーラムのテーマは、「これから見つける。〜ふくしと、地域と、デザインと」というものでした。3人のゲスト、それぞれが別の領域の話をしているようにも思えましたが、トークセッションではそれらがつながり、膨らみあい、しかしみんなが混ざり合ってしまうことなく個別のまま存在している、そんなふうに感じました。後半のトークなどは、まさにこのテーマ通りの時間になっていたと思います。

 福祉の話も、デザインの話も、そもそも専門的であり、特別な職能や技能必要なように思われるものだと思いますが、今回のゲストのみなさんは、専門的な知識を有したうえで「総合的」に動く人たちであり(少なくとも私はそう感じました)、「目の前の人を専門的領域からだけで見ないようにしている人たち」であると思います。それに加え、今回のトークでは「人類学」が対話の底にありました。だからこそ、ブレずに「人について/人の営みについて」考えることができたのかもしれません。

 まだまだ掘り下げたいことがあり、このゲストを呼ぶのなら2日間くらいトークやら講習やら実習やらを入れないと勿体ないよな、と改めて思いますが、これから「ふくしデザインゼミ」を進めていくうえで、忘れてはいけないこと、常に頭に入れておかないといけないこと、大げさにいうなら、ふくしデザインのゼミの「哲学」を改めて再認識するような時間になりました。

互いの話に興味津々なお三方

 改めて3人のゲストの皆さんに敬意と御礼を表するとともに、会場の協力をいただいた東洋大学の皆さんにも感謝申し上げたいと思います。いやあ、こんな贅沢で刺激的な時間に関わることができたことが幸せですし、これからも続いていく「ふくしデザインゼミ」に、この日の経験を役立てたいと思います。


~この記事を書いた人~

小松 理虔(こまつ りけん)
ローカルアクティビスト/ヘキレキ舎 代表

* ふくしデザインゼミの最新情報はInstagramでご覧ください!


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