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ふくしをひらいたその先の景色|大友裕也|2023-24 essay 15

こんにちは。ふくしデザインゼミ・コーディネーターの佐藤です。「ふくしデザインゼミ 2023-24」では、28名のゼミ生とともに、東京八王子、伊豆大島、滋賀高島、長崎諫早の4地域をフィールドに〈福祉をひらくアイディア〉を考えました。3月3日、東京・赤羽で、アイディアを発表する公開プレゼンテーションを終えてからはや1か月が経ちました。

essay 12からは、2ヶ月のプログラムを終えたゼミ生たちの言葉をご紹介しています。正解のない世界を漂流する2ヶ月のプロセスのなかで、何を感じ、何を思ったのか。ゼミ生一人ひとりにとって、あの日々はどんな意味をもっているんだろうか。

残り香

赤羽駅で別れを告げてから、もうひと月の時が過ぎ、私はこれまで通り、文字だけの春休みの中、今日も学生証を武器に大学の門をこじ開け、研究室のいつもの席に座る。
設計、査読修正、共同プロジェクト会議、、、昼夜問わず、ふくしの雰囲気を纏うことはほとんどない。

福祉という世界に対して、私はいわゆる余所者であった。

終電のメトロから降り、人のほとんどいない最寄り駅前の巨大ロータリーを眺めながら小一時間思考の整理をするのが、私にとって一日を終わらせる合図であり、最も幸福な時間だ。

そのなかで、このベンチは「雑談会」をした場所だな、
と、ふと、ふくしデザインゼミのことを、そして「福祉拠点をまちにひらく」というテーマで共にもがいた田中ゼミのことを思い出すことがある。

幸福とともにあるベンチ。ここが私の雑談会の参加場所だった。

日々凄まじい情報の波に揉まれ、ひと月も経ったのだ、鮮度の高い熱はもうない。しかし、鮮血の通わない、いまだからこそわかること。
あのもどかしくも豊かな数ヶ月間は、今の私に何を残したのか。それを書き連ねたい。

一つ念頭に置きたいのは、何を肯定するわけでも、否定するわけでもないということ。硬く、無骨にただ目の前にある様々な今を見つめたいだけだということだ。

この時からもう1か月。今の私はこの頃に何を思うのか。

ふくしとの距離

深く回顧する前に、私がどのような人間であったのか、簡単に述べたい。

私は都内で建築・都市計画を専門に学ぶただの大学生であった。4年次ということもあり、そこそこ運用できる専門知識もあった。それに加え、副専攻として医療・看護・保健について学び、それらと都市計画の横断領域で自ら簡単な研究を行うほどには知識を有していたと思う。

そこには、ごく一般的なイメージの福祉が台頭することはほとんどなかったし、私自身も福祉を注視しようとすることもなかった。
ただ、医療・看護・保健と見ていく中で、いまいち自分の求めている社会の像とそれらが噛み合わないことに気づいたのだ。
そこではじめて、福祉に目を向け、ふくしデザインゼミに参加を決めた。結果として私はふくしデザインゼミのいう「ふくし」も「デザイン」も厳密には門外漢だったわけだが。

ただ、私は参加以前から思っていることがあった。福祉だろうが、ふくしだろうが、フクシだろうが、その本質を、目的を見失ってはいけないと。
「障害」という言葉を「障がい」と表記することがあるが、それについても根底では同様の問題を孕んでいる。「害」という言葉単体の持つ意味に対して議論がなされるが、それに対して、「害」のある存在でないのだから不適切だ、とか、「害」とは生活上のバリアのことだからその本人のことをいっているわけではない、などと考えることは、正直本質的ではないのではないか(当然その表記による生活上の問題が発生していることや、この議論や活動が現に何か問題を解決していることは重々理解しているし、これに対し特段展開した議論をするように私が特定の立場であることを表明しているわけではない)と思えてしまう。

「ふくし」についても、福祉事業ばかりをイメージさせる「福祉」からより広範囲の関連要素を包含したことをイメージさせる語として用いられているのだということは理解できる。ただ、要素を抽象化させることは同時にその扱い方を抽象化させることにつながり、本質的な議論をより遠くに飛ばすような印象を受ける。これは言葉を咀嚼し、洗練させることとは、似て非なるように思う。

「ふくし」とはどういうことで、それを扱うのは誰で、どうそれを扱うのか、それを理解できて初めて、大きな効果を伴って実社会にその意義が還元されるのだろう。「ふくし」が「福祉」の拡大解釈のままでは、従来の効果の域をでないのだろう、と、傲慢にも考えていた。これが私とふくしデザインゼミの出会いである。

キックオフゼミ2日間のノート。

全てをさらけ出す、ということの正当性

ゼミの活動は、良くも悪くもとても新鮮な感覚を覚えた。

自分の全てをさらけ出すことが、美談であるかのように語られることがある。もちろん壁を挟まずに個々人が思いのままに対話を行うことには、それ相応の価値がある。ただ私は正直、自分の思いのすべてをさらけ出せたとは思っていない。そして別にこれを失敗談であるとか組織の未熟さ、何者かの非だとも思っていない。様々な距離感が存在することにも、より多様な価値があると思っている。

活動を進めていく中で、誰一人として意見を否定しようとしないな、と思うことが多かった。これが福祉という世界なのだな、と。良い世界だと思うと同時に、そこに、福祉の弱点があるようにも感じた。これは、原因究明や、見えない声、声なき声を聞くことのような、1の中の0.1や0.2を探すことには適していると思うが、「1-1, 1-2, 1-3」「1-1-1, 1-1-2」のようなパラレルに展開していくような意見の研ぎ合いは起きづらいのだろう。

福祉の世界と向き合うための試行錯誤。

受け入れるということは、意見をありのままの姿で保存することとは異なるし、受け入れないということは、否定することとは異なると私は思っている。

こんなことを思いながら、ただでさえあまり馴染みのない環境で、むず痒い思いをしていたなか、さらに、大問題が発生する。

ふくしっぽくなった人々と福祉的真正性

私は、フィールドワークに行けなかった。生まれてからずっと、何か大事なことの前には決まって災難が降りかかってくる。これまでは意外とどうにかなっていたが、年齢のせいか、建築学生特有の崩壊した生活のせいか、今回はそう上手くいかず、私はたった1人、みんなと同じ熱量で生の声を聞くことなく、最終アウトプットの制作へと進まざるを得なかった。

私はこの場にいない。それがどれほどの意味を持つか、まだわからなかった。

そのような議論の日々を過ごす中で、違和感を感じていた。どこかみんなが「ふくしっぽく」なってしまったな、と感じたのだ。今まで福祉について明るくなかった人々が、『福祉的には〜』、『福祉施設の利用者が〜』、『福祉施設の従業員が〜』と口々に言うようになった。幸か不幸か田中ゼミにおける福祉の世界の解像度が高くなったらしい。
しかし、それと同時に、福祉の外側、ふくしをひらいた先にある光景に、目を向けにくくなってしまっていたように私は感じてしまった(もちろんどちらも重要な視点ではあるのだが)。

私にとって、この瞬間が最も苛酷であった。

それは、フィールドワークに行けなかったことによる疎外感によるものではない。
「福祉拠点をまちにひらく」こととは、結局、一般的イメージの福祉の世界:内側を変えていくことによるものであるのか、まちや生活圏:外側に焦点を当てることによるものなのか、あるいはそのどちらを重視すればよいのか、その葛藤のせいである。
それが両輪であることなど分かってはいたが、福祉をひらく上での福祉であることの意味、福祉らしさ、ある種の福祉的オーセンティシティ*のようなものが失われてしまうことが、あるいは全く失われることなく、今まで通りのまま、有効な変化を遂げられずにいるかもしれないことが恐かった。

*オーセンティシティ: Authenticity
真正性、真実性。事物が持つ価値や文脈、歴史など、内には様々な要素を包含するが、簡潔に述べれば、「らしさ」のこと。

よ/よそ/よそもの

様々な葛藤に見舞われた私はゼミから足が遠のく時もあった。しかし、メンバーの言葉や、自分が大切にしている視座ともう一度しっかりと向き合っていく中で、よそものであるからこそ、変えられることがあり、それが「ひらく」の内外をつなぐ鍵なのかもしれない、と、考えるようになった。今思えばこれは、〈よ/よそ/よそもの〉の3階層を往来することの必要性に気づき、考えを巡らしていたのだと思う。

〈よ-世(社会)〉:実態・実体を正確に把握し、理論的なレベルであっても今存在する要素とその構造を見つめること。「ふくしをひらく」上では内と外の状態を正確に理解し、境界の存在を可視化すること。
〈よそ-余所(外側)〉:成熟・硬化した内に対して、外側の視点からの客観的な評価により、必要な処置、手法を考えること。
〈よそもの-余所者(主体)〉:考えうる手段に対して、それらを実現しようとする人々に必要な能力や現在の実現可能性を判断し、場合によっては主体を獲得し、環境を整備すること。

〈よ/よそ/よそもの〉の3階層

私の中で考えが整理されたのも束の間、ゼミは集大成へと最大出力で進み続けた。
田中ゼミは、簡単で身近な小さな出来事一つ一つにアプローチし続けることがひらくために大事なのだ、その過程こそが、本質的に「福祉拠点・ふくしをまちにひらく」ことにつながるのだ、と伝えることができたと思う。

大きなことじゃなくていい。小さなひとつひとつの行動が
ふくしをひらいていくということを伝えるための「ふくしをひらくレシピ」

内と外の関係を空間的にグラデーショナルにするのではなく、小さな穴を開ける、または小さな針を伸ばすような小さなアクション一つ一つが、内・外それぞれを別個に混ぜ、その結果新しいつながりが生み出されることを示唆しているように今では感じる。

嬉しい言葉が飛び交うプレゼン後。
進んできた道は間違っていなかったのだと感じることができた。

ひらかれる”はず”の未来

田中ゼミがフォーラムで伝えたことは、今の福祉にメスを入れるような重要な視点であったと思う。しかし、人口減少、少子高齢化、担い手不足など、福祉を巻き込む社会問題、「ふくし」とするならさらに多くの社会問題は、今もなお、速度を落とすことなく社会を蝕んでいる。小さな一歩の積み重ねであったとしても、活路を見出すことができたことには大きな価値がある一方で、現実問題として「ひらく」アプローチをする側にスピード感を持った勇気ある改革が必要であることもまた事実だろう。そうでなければ、社会問題の侵蝕に対抗できず、小さな一歩すら意味がなくなってしまうかもしれない。

今回知恵を寄せて考えたその全ては一つの花ではなく、一つの大きな種であり、これから全力を尽くして、豊かな土壌や水を与えなければならない。もし高島のまちが新たなステップを踏み出そうとするのであれば、ぜひ私も共に歩ませていただきたい。

ふくしをひらいたその先の景色

ここまで上から目線に好き勝手述べてきたが、硬く説明したがる悪癖だと思って許していただきたい(これでもかなり省いた方である、、)。最近の社会はやたらと煮え滾っているから、誤読されたくないという気持ちの表れだ。SNS社会で流行りがちな表層的な感情任せの議論などはせずに、賢く、平和に生きていきたい。

さて、このふくしデザインゼミという機会が、私のみならず多くの人々に、異分野・多世代・多属性が協働することの価値、そして高島という地でふくしをひらくことの価値を認識させたことと思う。
私自身、理論をこねるのが好きなもので、いつも無形の計画に時間を取られるが、机上の空論ではなく、「とりあえずやってみる」のもいいってことを、再確認した。机上の空論ではなく、至上の空論を導けるようになりたい。

兎にも角にも、今の私が心に刻んでいることは、「ふくしをひらいたその先の景色を想像し続けなければならない」ということ。
ふくしは万人に係ることを忘れてはならない。今ある福祉の世界をどう外側にいる者に認知させ、変容させ、理解させ、協働し、編集していくか、ということついて考え続けること。まぁでもそこまで福祉の世界も悠長な世界ではないだろう。そこに生きる人々は常に全力を出し、最大限を見せているはず。だからこそ、「よそもの」が必要なのだ。

「よそもの」として関わる重要性に気づいた瞬間。
でもこの日は徹夜明け。今年こそ、直前になってから気合を入れる癖を直したい。

私はその実現に不可欠な「よそもの」として、無理に特定の立場を決め込むことなく、自分の持つ能力を最大限応用していければな、とぼんやりと思いながら、またいつもの日々、いや、前よりも少しふくしのひらかれた日々に戻っていく。

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|このエッセイを書いたのは|

大友 裕也(おおとも ゆうや)
早稲田大学大学院 創造理工学研究科 建築学専攻 修士1年

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