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《伊豆大島紀行・前編》大地の営み、人の営み、その狭間で【ふくしデザインゼミ 2022-23】

12月12日、月曜日。晴れ。
「ふくしに関わる人図鑑」取材のため、1泊2日で、伊豆大島(東京都大島町)へ向かう。

今回の取材のメンバーは3名。ヘキレキ舎アシスタント・まえちゃん、SWLABコーディネーター・ざわけん、そして筆者、学生編集部・より。東京湾の竹芝港に集合し、8時35分発のジェット船に乗り込む。

ジェット船は、海面から浮いた状態で航行。揺れは殆どない。

伊豆大島は、東京から120km南に浮かぶ伊豆諸島最大の島。日本ジオパークにも認定され大地の力みなぎる島は、竹芝港からジェット船で2時間弱と、小旅行にはぴったりの距離感だ。

気持ちよい青空のもと、ジェット船はぐんぐんとスピードを上げる。工場やビルが遠のくにつれ、都会の喧騒や日常の忙しなさから解放されていく。

窓の向こうには、コンテナやビルがならぶ

とはいえ、私たちには取材という重要なミッションが課せられている。旅の感傷に浸ってばかりはいられない。ごそごそと荷の詰まったリュックからノートを取り出し、取材の作戦会議をはじめる。大島を、ふくしを、心で身体で感じる旅にするために。

気づけば船は着岸間近。大島には、元町港と岡田港、ふたつの旅客船の港があり、天候等によっていずれに入出港するかが変わる。ガラスとコンクリートの描く柔らかな曲線が特徴的な建物が迫りくるということは、今日は岡田に入港したようだ。

晴天の岡田港

大きく息を吸い込む。さわやかな空気のなかに、うっすらと潮の香りを感じる。体感は8度ほど。つめたい海風が顔にぶつかる。空も海も清々しい青色だ。

比較的広い有人離島である伊豆大島。トレッキングやサイクリングの聖地としても知られるが、今回はレンタカーで島を巡る。

はじめに向かったのは、三原山の展望台。三原山は、島全体が活火山の大島中央に位置し、古来から「御神火様ごじんかさま」として崇められてきた島のシンボルだ。展望台への道中では、なめらかに広がる火山地形や剝き出しになった地層などの大地だけでなく、強い海風・山風から暮らしを守る防風林や大島の特産である椿といった自然も、楽しむことができる。

椿

カーブ続きの山道を車でのぼる。防風林の影からはチラチラと海の深い青色が覗き、展望台の眺望への期待が高まっていく。

着。車を路肩に停める。

山側には、黒々としたなだらかな大地、すすきの群生。

すすきの向こうに火山地形が広がる

海側には、大島の中心集落・元町の街並みと、太平洋の海原。かすみがかった奥には、富士山の頂も見える。

元町と太平洋が眼下に

なんと雄大な。自然と人の営みとが調和した暮らしに思いをはせる。のも束の間、身体は悲鳴をあげはじめた。風が強い、冷たい。かじかむ手でドアを開け、車内に退避し、エンジンをかける。

大自然とまちの狭間で、ふと我に返る。美しい自然はときに牙をむく。きっと島の暮らしは想像を越える苦労がある。私は、美しいものばかりを切りとり、心躍らせる観光客。よそ者であるさみしさを抱きながら、まちに向けて山道をくだる。

向かったのは、島の南部に位置する波浮港。かつては遠洋漁業の中継港として、多くの船が立ち寄る港だった。港町として栄えたころの歴史・文化の面影を残す波浮には、近年、洒落たゲストハウスやカフェなども増えてきている。

古い街並みを残す小路には、なぜだか懐かしさをおぼえる。

古い建物が並ぶ、おちついた小路

小路の途中左手にそれる階段道は、「文学の散歩道」と呼ばれ、道沿いに文学碑が立ち並ぶ。明治から昭和初期にかけては、与謝野昌子、幸田露伴、土田耕平など多くの文人が、保養や観光のため波浮の港を訪れた。

階段をのぼり切った山手に波浮の集落はひろがる。閑静なまちを意気揚々と歩いていると、道端にキャンプチェアを置いて座ってる老人と若人に遭遇した。挨拶してみると、目の前の建物を指差して「今日は休みだよ」とひと言。すぐにふたりの会話に戻っていった。どうやら、人気のたい焼きカフェを探す観光客だと思われたようだ。

道端でひなたぼっこ

実際には、時計の針はてっぺんを回り、私たちはより切実な腹ごしらえを求める観光客だった。辿り着いたのは、「らぁ麺 よりみち」。こじんまりとアットホームなお店は、訪れた時も地元客で席が埋まっていた。

いちおしの島のり麺は、岩場についた海苔を丁寧に取って集めつくられる手間のかかった地場産海苔をたっっぷりとつかっている。海苔だけでお腹いっぱいになってしまいそうなほどだが、貝出汁かおるあっさりしたスープが箸をとめることを許さない。

「らぁ麺 よりみち」の、島塩海苔をつかった塩ラーメン

のんびりと味わっていたら、あっという間にインタビュー20分前。そうだ、私たちは単なる観光客ではなかった。急いで取材先へ車を走らせる。

恵の園の入り口で

訪れたのは、大島恵の園。1989年設立された、社会福祉法人武蔵野会の運営する、知的障害者の入所施設だ。恵の園の職員や利用者は、「めぐみさん」の愛称で、島民から親しまれている。今回はその施設長・野田久美子さんのお話をうかがった。

課題先進の離島で働く覚悟と信念。かっこいい。野田さんの魅力に紙数を割きたいところだが、野田さんの紹介は図鑑の記事に譲るとしよう。

長年使っているお気に入りの手帳とともに。

取材後、施設の通り向かいにある、利用者と職員が協働運営する喫茶「太平洋」へ立ち寄った。この日にカウンターに立っていたのは、利用者のヘアカットを行う美容師さんだった。西日の射すログハウスで一息つき、木の香りにつつまれながらインタビューをふりかえる。取材のあとには編集会議。デザインゼミのお決まりのプロセスだ。

大島恵の園の正面にある、喫茶「太平洋」

しかし、明日は天気がぐずつくらしい。日が落ちる前に、様々な景色を目に焼き付けたい。野田さんもよく訪れるという絶景スポット、トウシキ遊泳場へと急ぐ。車で乗り入れられるか不安になる未舗装の道を抜けた先に、すばらしい夕焼けが待っていた。

風で高く打たれた波が、ごろごろとした岩場にぶつかり、弾ける。荒々しい海は果てしなく広がり、利島や新島の島影が浮かぶ。できるだけ高いところへ登って、端から端まで風景をとらえたい。子どものように岩場を駆け回り、カメラを構える。

悩みや憂いがとてもちっぽけなものに思えてくる。島民にとっての日常のひとコマも、よそ者の私にとってはドラマティックなワンシーン。非日常の情動を刻みながら、頭にふと問いがよぎる。ここで暮らす人は、この景色に何を思うのだろう。

トウシキからの眺め。左に浮かぶは利島。

日没後も旅はつづく。昼間は駆け足で通り過ぎた波浮港へと戻る。すっかり暗くなった小路に一軒、やわらかな光をこぼしている店があった。その名は、Hav Cafe(ハブカフェ)。波浮の地名とデンマーク語で海を意味するHavをかけた古民家カフェは、これまで100か国近くを訪れてきたトラベルジャーナリストがそのまち並みに惚れ込み移住し、2021年2月にオープンした。

まち並みに溶け込むHav Cafe

閉店間際の滑り込み。落ち着いた雰囲気の店内には、店主が世界各地から持ち帰った小物がならぶ。こだわりのコーヒーとともに、島の食材を使ったパンやスイーツを口に運ぶ。身も心も温まる至福の時間だ。

コーヒーのうしろに、マフィンと大島牛乳をつかったミルクパン

名残惜しくHav Cafeをあとにし小路を行くと、一番奥で「コロッケ」ののぼりが揺れている。

アツアツ!おいしい!コロッケ

ホテルチェックイン→夕食、という行程を頭から振り払い、ローカルを「味わう」のが、私たちのミッションだ、と言い聞かせる。「コロッケを3つ!」

星と港の光のなかでコロッケを頬張る

宿泊は波浮にあるホテルカイラニで。

夕食では次々と、島塩海苔・島唐辛子・レモン・さつまいもなど、島の食材をふんだんに使った料理が運ばれる。こんなにたのしんで、大丈夫だろうか。いや、デザインゼミでは、目の前のものを「たのしみ、おもしろがる」気楽な構えの大切さを学んできているのだった。

とばかりも、残念ながら、言ってはいられない。グッと身をいれて、物事に真剣に向き合う必要性も、デザインゼミのもうひとつの側面。日中島を満喫した分は、夜に取り返すしかない。眠い目をこすりながら、日付を超えるまで図鑑記事を執筆する。合宿のようで、それもまた、おもしろいじゃないか。

深夜1時半、各々の部屋に戻る。そうだ、旅は明日も続くのだ。

* * *

後編へとつづく


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