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読書記録『水族館の文化史』

ひとが「魚を見ること」にはどんな意味が秘められているのか。
古代の養魚池文化にはじまり、黎明期の水族館のユニークな展示、植民地支配とのかかわり、SF小説や映画の影響、第二次世界大戦中の苦難、展示のストーリー化、さらにはヴァーチャル・リアリティ技術とのハイブリッド化が進む最新の水族館事情など、古今東西の水族館文化を図版とともに概観、ガラスの向こう側にひろがる水の世界へいざなう。

人類は、古代の養魚池にはじまり、人工的につくった環境に水族を入れ鑑賞することを続けているという。そこには、「水族」という普段はまったく目に触れない世界への畏怖と好奇心が関わるのだろう。
本書でも、こうした「水族を見る」という営為が続けられてきた大きな理由を「アクアリウムのもつ魔術的な側面」に魅了された可能性も考えるべきと述べている。

つまりは、多くの人びとは水族の詳細な生態を知りたいというより、謎めいた生態を目の当たりにすることで、まるで「異世界」に来たような経験をしたくて水族館に行くのだろう。

例えば、世界初のロンドン動物園で1853年に公開された「フィッシュハウス」は壁沿いに大小の水槽を設置するシンプルな構成だったが、1865年にハノーファーに完成した「エーゲストルフ水族館」では、水槽の側面ならびに背面を石灰岩、花崗岩、緑岩で覆うことで海底に来たかのような「異世界」感のある空間を実現していたという。
これを皮切りに、19世紀には洞窟などを模したいわゆる「グロッタ風」の展示空間が水族館でも流行したとされている。また、初期の水族館には天井一面を水槽にしたりと、まだアクリル樹脂やガラスの強度・空調もままならない中で、現代の水族館と変わらない試みがされている。

現代の水族館でも多くの擬岩が使われているが、その原型は既に最初期から志向されており、ある意味では完成していたと言えるのだろう。

しかしながら、これらの趣向は水族の生態とは関係ないし、初期の水族館では水槽環境を保全する技術が確立されていなかったため、多くの水族が生存することができず、それによって水族館自体の運営自体も存続できなくなることが多かったという。
もちろん生態を観察・研究するという目的の施設もあったが、それでも多くの人びとが水族館を訪れ、そしてそれに対応する施設が「グロッタ風」などある種の演出を行っていたということは、やはり人びとは魚の生態を見るというよりは「異世界」を味わいに行きたかったのだろう。

現代のように様々な種類がひとつの大水槽に入る形式を生み出したのはアメリカのマリンスタジオ(1938年、現マリンランド・オブ・フロリダ)の「オセアナリウム」という大水槽らしい。

本書では、「オセアナリウム」の革新的な面は映画技術を展示に応用したことであったと述べている。これは、この施設の建設に関わった博物学者のウィリアム・ダグラス・バーデンの考えが大きく影響している。
自然ドキュメンタリーの映画撮影にもかかわっていたバーデンは、自分の映像作品を見た観客とそこに映されていた動物を実際に観た観客の反応を見て、ある気づきを得たという。

「バーデン[…]が気づいたのは、カットも編集もされていない自然は、スクリーンに映された自然ほど、決してドラマチックでも魅惑的でもない、ということだった」

195頁

つまり、水族館や動物園に来る観客の多くは、その生態をつぶさに観察したいわけではなく、映画のようにインパクトのある出会い、つまり「異世界」に来た感覚を味わいに来ているのだという。そこで、裏側の苦労は見せないように「編集」をするというのが、バーデンたちがもたらした革新的な部分であった。

マリンスタジオが提供する「自然の風景」そのものも、映画のように「編集」されたものだった。映画の観客は、編集室でカットされた場面のことなど考えない。同様に、マリンスタジオの来館者は、生きものを「リアルに」展示するための舞台裏の努力を目にすることはなかった。とりわけ、幻想をぶち壊しにする要素、たとえば、サンゴ礁の生きものが持ち込んだ寄生虫「エピブデラ」(Epibudella)の問題は、来館者には知らされなかった。

196頁

バーデンはこうした「編集」を加えることで、ある種の本質を伝えられると考えたそうだ。

ただ、「観客にどういう体験をしてもらうか」という点では、先述した「グロッタ風」も基本的にはバーデンのこうした考えと連続している。
その後の水族館もさまざまな手法でテーマでつくられ、いろいろな種類のドラマチックな体験をもたらそうとしており(その中で「鑑賞」だけでは不十分でインタラクションを行うことで異世界さを感じさせるために「タッチプール」が生まれたという話も興味深い)、そうした営為は、水族館が生まれた初期から連続しているものだと考えると、人びとの別世界への憧れとは非常に強いものなのだなと感嘆してしまう。

さて、本書の最後の方で「別世界を体験させる」という意味では水族館と共通するVR技術や魚の動きを模倣したロボットの登場が触れられているが、それと合わせて動物保護や環境への意識向上の文脈に触れているのも興味深い。

イルカ捕獲禁止や動物の権利を主張する声の高まりに比例して、水族館もそこに展示される水族の扱いに対しての目が厳しくなっているらしい。
先に述べたようにかつての水族館は、多くの水族にとっては良くない環境の中で展示を行っていた。現代の水槽技術では、その辺りは解消されているとは言いつつ、有限な体積の水槽の中で生活し、人の目に触れるという点で不自然な環境であるように見えるのは確かである(ここには水族館が登場した時代よりテレビやインターネットを通して人びとの水族への知識が高まったことも影響しているのだろう)。水族館へのこうした厳しい視線は今後も継続していくのだろう。
こうした状況の中で水族館はかつてのようなエンターテイメント性というよりかは「保全、教育、動物福祉」に取り組むようになってきているという。日本の水族館は、希少な淡水魚の繁殖という点では誇るべき実績を持っているらしく、SDGsやESGが投資の判断材料となる現代においては、今後はこうした活動が重要になってくるのであろう。

ここでVR技術の話に戻すと、本書ではVR技術との「ハイブリッド型」展示に着目しているが、上述したような観点を踏まえると、今後は水族館におけるエンターテイメント性の部分は、ハイブリッドというよりは「VR水族館」としての展開が増えていくことも十分にあり得るだろう。
「異世界を体験する」という点では、VR技術はうってつけであるし、なにより動物保護の観点で言うと、VR技術を活用することで影響を与えることはぐんと少なくなる。同じく言及されているロボット技術もそうした観点で、大いに役立つだろう。

そのような展開が増えることで、リアルな水族館自体はより「保全、教育、動物福祉」を重視した施設になっていくことがあり得るかもしれない。
本書で言及されているナポリ臨海実験所(1873年)は研究所を運営するために水族館機能を備えた施設であったが、VR技術の発展と社会状況の変化によって、ビルディングタイプとしてのリアルの水族館の機能は、そのような一種の研究施設のようなものに変容していく可能性があるのかもしれない。

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