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空間と社会の関係『空間の未来』【読書記録】

3月はなんだか社会に出てきてから一番家族的な行事が多かった月でした。
子どもが生まれると、本当にこれまでまったく経験してこなかったようなことに気づいたり、挑戦したりすることになるんだあと改めて。
ちょっとペースが崩れてしまったので、立て直しつつマイペースにやっていこうと思います。

『空間の未来』(ユ・ヒョンジュン 著 オ・スンヨン 訳、2023年、クオン)

望ましい未来を創造する鍵は、階層間移動を可能にする〈新しい空間〉にある
いま韓国でもっとも注目される建築家が、住宅、学校、会社、商業施設、自然環境などの問題を通じて語る、ポストコロナ時代の革新的な都市文明論。

韓国の人気テレビ番組に出演し、多くの登録者を持つYoutubeチャンネルを持つ韓国における人気建築家(「人文建築家」と呼ばれているそうだ)による書籍。
内容としては、コロナ禍によって変容した日常生活を題材に建築や都市のあり方を問うというものだ。

建築を成り立たせていた物質的な要素以外の部分を抽出し、それらの分析から未来の空間のありようを提案していく。著者が言うように、実現性は置いておいて誰かが感化され進めていくためのボールを投げるような書籍だ。
ユ・ヒョンジュンはK-POPアイドルも熱心に読んでおり、韓国の国民にとっては彼の思想や発言は強い影響力を持ち、ソウルではその影響からか、本書で言及されているような「ソーシャルミックスのための公園」や「ベンチの設置」などが実現し始めているという。

本書を読み進めていると日本の話かと思えるほど抱えている問題などが共通している。一方で、日本と韓国の違いももちろんある。韓国では「オンドル」と呼ばれる薪を炊いて温める暖房システムが主流だったため木造建築の多層化をすることが難しく、一方日本では畳に火鉢を置くような簡易な暖房システムだったため木造でも多層化することができたことから、いち早く都市の高密化が実現できたのでないかという。今では韓国は地震が少ないからなのか急速に大型の集合住宅などが建てられ高密化は進んでいる。しかし、今度はそれによって賃貸と分譲の格差が生まれる(NETFLIXで配信されている『HAPPINESS/ハピネス』にもそのような描写が見られる)だとか、建築の意匠的な多様性が生まれにくいだとか、さまざまな課題があるという。

本書で触れられているようにソウルでは公園やベンチのような街中でゆったりできる空間が少ないようだ。それと連動するのか、韓国の子どもたちの多くは塾をハシゴし、多くの時間を勉強に使う傾向にあるようだ。

日本と同じく小・中・高・大と進むいわゆる「6-3-3-4制」の教育課程を基盤とする韓国だが、その仕組みを大きく特徴づけているのは、高校卒業までの入学試験をなくした「平準化」政策である。中等教育での苛烈な受験競争を緩和するため、教育人口が一定以上の地域では、原則的に居住地に基づいた抽選によってシステマチックに入る学校が決まるという施策だ。なんだ、高校入学まではのびのび過ごせるのではないか……と早合点しそうになるが、事はそう単純ではない。1970年前後からこの画一的な教育制度が段階的に導入されると、たとえ裕福でなくても、保護者が大学を出ていなくても、女性であっても、努力さえすれば平等に大学への門戸が開かれるのだ、とする能力主義信仰が加熱した。だが一方でそれは、出口としての大学受験の苛烈化、それに伴う受験に有利(とされる)中学・高校がある地域への転入増と不動産価格高騰(江南区はまさにその筆頭だ)、そして、私教育、すなわち学校外での塾や習い事の拡大を招いた。平準化された学校教育の構造が、結果的に子どもたちの学校以外での時間の過ごし方を根底で形づくってしまっているともいえる。

YOKOKU Field Notes #02 韓国・勝ち敗けのあわい』20頁

当たり前のようだが普段は意識しない、都市の中にいる人びとの活動から都市空間は形づくられていく。韓国の都心部の空間について理解を深めるためには、こうした社会的な状況についても認識しておく必要があるのだろう。
このように空間のつくられ方から社会のありようの一端が感じられるのは興味深い。

本書で触れられている話題は建築から都市、不動産の仕組みまで多岐に渡るが、著者が建築を一種の「権力構造」として見ているのは興味深い。

第一に人々の視線が一か所に集まるところにいれば、権力を持つことになる。第二により多くの人に同時に見られれば、権力はさらに強化される。

本書97頁

宗教施設は比較的理解しやすいが、学校やオフィスもそうした権力構造が如実に空間に現れる施設として計画されてきた。近代的な学校は「最小限の教師で最大限の生徒を教える(96頁)」という効率性を重視してつくられたものであり、そのためにひとつの教室に生徒を集めて1人の教師が教えることに特化した空間構造になっている。しかし「知識伝達」は学校のひとつの機能でしかない。リアルの学校空間はコミュニティ内での身の振る舞いの経験であったり、多くの機能を持っている。そしてコロナ禍による強制的なオンライン授業によって、知識伝達のある程度の部分はオンデマンドの動画でも賄えることが分かってきている現在、果たして学校という空間がその前提に則ってつくられ続けるべきなのかは考える必要があるのかもしれない(そのように考える動きはちらほら見られる)。

そのように、コロナ禍は既成の権力構造が既に時代遅れになっており、新しいあり方が必要であることを結果として強制的に炙り出してしまった。少し話はずれるが、コロナ禍の影響か話題になったDAOだのWeb3だののようなバズワードの本質は既成の権力構造への抵抗という面もあるだろうし、そもそもWeb2ですらそうした側面があったのだから、それに対する「空間」というものをきちんと考えてみることは必要だなと感じた。

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