串刺しにして考えよう─『融けるデザイン』
情報技術の発展にともない、ハードウェア、ソフトウェア、そしてインターネットはますます融け合い、それによって新しい世界の姿が現れつつあります。こうした世界においては、これまでのものづくりとは違う、設計のための新たな発想とロジックが必要です。本書は、インターフェイス/インタラクションデザイン研究における気鋭の若手研究者、渡邊恵太氏の初の著書です。これからのものづくりのための最重要キーワード「自己帰属感」を軸に、情報を中心とした設計の発想手法を解き明かします。デザイナーやエンジニア、そしてUXやIoTの本質を掴みたい人に、是非読んでいただきたい一冊です。
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「計算機」から「体験」へ
今やコンピュータは生活になくてはならないものとなった。しかし、コンピュータはもともと「計算機」だ。
その計算機がなぜこんなにも一般的になったのか。それがインターフェースの考え方から読み解かれている。それと同時にインターフェースは人間の認知や知覚システムを考える上で非常に重要になる概念を取り扱い、デザインし、進化してきている。
まず、コンピュータはGUIを取り入れたことによって一般化される。
コンピュータが「知的増幅装置として民生化したのは、あらゆる人にとってわかりやすいグラフィカルなユーザーインターフェース、すなわちGUIを提供したことによる。そして、わかりやすいユーザーインターフェースの中核となったのが「メタファ」の採用である。
20頁
これは、コンピュータ上で実現された機能を既存のものに置き換えることによって直感的に扱えるようにする(例えば、ファイルを削除するもののアイコンはゴミ箱、テキストエディタはメモ帳、といったようなもの)。
しかし、コンピュータで扱うものが現実には存在しないものになってくると(コンピュータがさまざまなアプリケーションを持ち始める。例えば、Twitterは現実世界で置き換えられるものはないと本書で言及されている←「つぶやき」を共有することなんてこれまでになかった。)、既存のものに置き換えようとすると逆に不具合が起きてしまう。
現実世界にはない発想のアプリケーションや見立てられないものの場合には、スキュアモーフィズムでは壁にぶつかるということだ。しかも、ここではスキュアモーフィズムや何らかのメタファを採用してしまうと、逆に本来の目的にはない類推や先入観を与えてしまう可能性もある。
28頁
そのため、今度はフラットデザインのようなわかりやすく整理するデザインが出てくる。しかし、それでは逆に情報を削いでしまう可能性がある。
そこで次に考えられたのが、人間が行うことすべてをそのプロセスやデザインの中に取り入れ考えようという、いわゆる「体験」をどう考えるか、「UX」の思考だ。
大きく言えば、「人間がやることすべて」とも言える。つまり、やることすべての結果は、体験だ。それを拡張、強化しようということだ。」
「近年、UXの重要性が問われるようになったのも、メタファを超えて、人間が価値を感じる体験からメタメディアを定義し、設計していこうという流れの結果だ。
33頁
本書では、この「体験」について考察されていく。
「自己帰属感」と「運動主体感」
人間はものを使う時にそのもの自体を意識しなくなる瞬間がある。
手に持つとそれ自体を意識せずに、釘を打つこと(対象)に集中できるようなあり方を理想であると考えるようになった。これを「道具の透明性」という。
44頁
「道具の透明性」
それが著者の目指すところだ。そのために著者は日常のさまざまなことに対して、疑問を設け、それがどのようなメカニズムになっているか分析を重ねていく。
そこで筆者は、「投げたボールはどこまでが身体か?」という命題を思いつく。
90頁
著者の分析からは、これまで私たちが当たり前に行なっていた行為、人間がそもそも持っている生態の部分からもののつくりかた、デザインを考えることがこれからの世界では求められているのだと言うことが伺える。
そして、著者は「道具の透明性」に行きつくためのひとつの要素として「自己帰属感」と「運動主体感」にたどり着く。
自己帰属感とは「この身体はまさに自分のものである」という感覚であり、運動主体感とは「この身体の運動を引き起こしたのはまさに自分自身である」という感覚である。
107頁
このように、動きの連動は自己の知覚にとって極めて重要であり、そして自己の知覚をもって初めて「世界」は知覚される。
124頁
ものとは止まった状態で認識される訳ではない。
私たち人間も止まっている訳ではないし、両者は常に動きを伴って認識し合う。だからこそ、ものを考える時、体験を考える時には「動き」を考えることが重要になる。
そして、「動き」から体験を通してデザインやメディアを考えると、物質と情報には境界線はなく、ただ「持続性」のあり方が違いのみがあるだけだと述べられる。
私たちは物質と情報は明確に異なるものであると考えているが、体験にとっては物質であるか情報であるかは実は致命的には関係していないのではないだろうか。
体験にとって物質と情報の違いは、その持続性のあり方だ。
213頁
しばしば媒体が異なるとまったく違う分野だとして思考停止してしまうことがある。しかし、この考え方に基づけば「媒体が異なる」ということ自体が幻であり、そこには本質的な違いは存在していない。だからこそ、私たちは媒体のことをちゃんと理解しなければならない。
今までメディアだった紙(グラフィック)、映像、音楽は、メタメディアの前では過去の文化としてのメタファとなり、そういったひとつのインターフェースとなる。
223頁
紙だのウェブだの言う時代は終わっていくのだろう。
これからの時代に、あることを伝えていくためにはどうすればいいのか。
それを考えるためには、まず人間自体の「観察」と「考察」が必要だと感じる。
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