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儀式が人類にもたらすこと『RITUAL――人類を幸福に導く「最古の科学」』【読書記録】

『RITUAL――人類を幸福に導く「最古の科学」』ディミトリス・クシガラタス 著 田中恵理香 訳

生活や価値観が猛スピードで変化する現代。昔からある「儀式」は単調で、退屈で、無意味にみえる。でも、ほんとうに? 認知人類学者の著者は熱した炭の上を歩く人々の心拍数を測り、インドの祭りでホルモンの増減を測定。フィールドに実験室を持ち込んで、これまで検証されてこなかった謎めいた儀式の深層を、認知科学の手法で徹底的に調査する。ハレとケの場、両方にあふれる「儀式」の秘密と活用のヒントを探究する空前の書。

世界の各地ではアルミニウムを溶かすほど高温となった木の上を渡っていく火渡りの祭礼が行われ、アマゾンのサテレ・マウェ族は成人の儀式として「刺されると銃で撃たれたような痛みを感じる」とされるサシハシアリを大量に縫い込んだ手袋に手を入れる儀式を何十回も行う。
ヒンドゥー教の世界最古の祭りと知られるタイプ―サムの中で行われるカヴァディ・アッタムという儀式では、熱心な信者が自分の体に鈎針などを突き刺し、それを使って神輿をかつぐ。中には全身に何百本も針を突き刺す信者もいるという。

現在でも、聞くだけでも尻込みしてしまうような過激な儀式が世界中で行われている。「儀式」と仰々しく表現すると私たちにとっては遠い世界の出来事のように思えるが、入学式も卒業式も儀式である。また、一流のアスリートが行う「重要な試合で同じソックスを履く」だののルーティンも儀式と言える。

このように儀式は太古から私たちの生活に浸透し、現在でもそれは変わっていない。本書では儀式とは「人間の普遍的行動」と断じる。

1963年にトルコ南西部で発見されたギョベクリ・テぺは、一万二千年以上前に建設されたもっとも初期の祭礼のための構造物である。本書によれば、この建物の発見によって人類の文明についての常識が塗り替わる可能性すらあると言う。

一般的には人類の文明が誕生するきっかけになったのは遊牧民的な生活から定住生活に移行したからであり、そのきっかけは「農業」を始めたからと言われている。しかし、定住生活は文化が蓄積され始めてからそのメリットを享受できるものであり、狩猟生活から定住生活に移行した最初期の人類にとっては非常に壊滅的な影響を与えたことが示唆されているという。

こんにちでは、いわゆる農業革命が、最初期の農民に壊滅的な影響を及ぼしたことがわかっている。現代と古代の社会から得られた人類学上の根拠から、遊牧生活から定住生活への変化によって生活状況が急激に悪化したことが示唆されているのだ。狩猟採集民は、多様性に富む環境を利用して、比較的バランスのとれた食生活と健康で活動的な生活様式とを確立していた。たえず移動していると資源を蓄えられないので、狩猟採集民の社会はきわめて平等だった。労働時間は短く、それでも食の欲求が満たされ、より多くの自由時間が楽しめた。
対照的に、農業が始まると、わずかな種類の主食作物ばかりをとる食生活に依存することになった。あとは、乳糖に対する耐性ができた人、また発酵などの調理法を編み出した人には、乳製品があったくらいだった。このため、最初期の定住者は自然災害の影響を受けやすく、深刻な栄養失調に陥った。農民は基礎的ニーズを満たすため、長い時間働かなくてはならなかった。これは農業生活が厳しかったからでもあり、また余剰食料を生産するためには、余った食料を奪われないようにするための余分な資材は必要だったからでもある。ひと握りの支配層が富を蓄積し軍組織が編成されると不平等が生まれ、庶民が搾取されやすい条件がつくりだされた。人々はほかの人とも家畜とも近い距離で生活しているため病気にかかりやすく、疫病で共同体が全滅することも多かった。子どもの数は二倍以上になったが、成人に達するまで生きる者は少なかった。

046-047頁

では、人類はなぜそんな大変な状況に身を投じて定住生活を始めたのか。そこで「儀式」の登場である。
ギョベクリ・テぺは先に述べたように祭礼のための構造物であった。祭礼(儀式)が行われるということは多くの人が必要になり、そのための共同作業も必要になる。作業は数年にも渡り、自然と定住生活のようなものが始まっていく。ドイツの考古学者クラウス・シュミットは、そうした説を踏まえこう言ったという。

まず神殿があった。それから都市ができた。

儀式は私たちの日常生活に溶け込んでいるどころか、そもそも私たちの文明が儀式から始まったのかもしれない。しかし、一見合理的なメリットがないように思えてしまう儀式がなぜこれだけ求められ、行われるのだろうか。本書はそうした疑問に対して、実際にフィールドに飛び出し、心拍数やホルモン増加の測定など認知科学の手法で世界中に存在する儀式の効果について迫っていく。

本書内では、多くの事例と研究結果が示されるが、儀式とは集団に対して機能するある種の社会的テクノロジーであるという側面が大きくあるということだ。儀式を行うことで共同体意識が生まれコミュニティの結束が強まる、心理的な安全性が向上することで心身の健康に寄与するなど、多くの効果があることが本書の研究で示されている。

儀式が高度に構造化されていることで予測可能性が生まれ、心理的安全性が生まれるというのもある種の納得感がある。

儀式は高度に構造化されている。厳格性(常に「正しい」方法で行われなければならない)、反復性(同じ行為が何度も繰り返される)。そして冗長性(長時間にわたり続く)を備えなくてはならない。つまり、予測可能である。予測可能であることにより、日々の生活の混沌に秩序がつくりだされ、私たちは制御不可能な状況に対して制御できるという感覚をもてる。研究によると、人は確信がもてず制御できないと感じると、一定のパターンを見付けようとする傾向があるという。つまり規則性がないところに規則性を見いだそうとする。このようなパターンは、視覚的錯覚(雲間に顔が見えるなど)から、脈絡のない出来事に因果関係を見つけだして陰謀説をつくりあげるケースまである。こうした状況のもとでは、儀式化された行動に走ることも多い。

104頁

ここで興味深いのは儀式の内容とそれによって達成される目的の「因果関係が不明」であるという点だ。

儀式はそれ自体の性質として、因果関係が不明確だ。儀式にかかわる具体的行為と行為によって意図される最終目的とのあいだに明確な因果関係がない。これまで見てきたように、多くの儀式は目的不明でもある。つまり外の世界に向けた目的が完全に欠落していて、儀式そのものが目的になっている。

112頁

では、儀式がもつ力とは何なのか。それは「儀式で得られる経験」自体であり、それが本質的な力だと本書では説いている。

因果関係の不明確さが欠陥のように思われるいっぽうで、じつは特別で意味がある経験を生み出せるということが、儀式が本質的にもつ力なのだ。

113頁

その実例として本書では多くの儀式の具体的な例が示されるが、上記のような文面だけ見ていると、儀式はある種の演出表現とも言い換えられそうである。ある種の演出は何かの目的でなされるものではなく、それ自体が特別で意味がある経験を生み出す。それは人間が古代から儀式を行ってきた延長線上にある。本書は、そうした何かの創作を行う人間にとってもヒントが多いように思える(例えば、共同体意識を強めるために儀式的な行為を取り入れるというのは十分にあり得る)。

最後の方では、そうした儀式の力を活用した事例として「バーニング・マン」が紹介される。現在でも多くの熱狂を集めるイベントで儀式が意識されているのだ。


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