悩ましい住宅ローン金利 【主婦の平成経験話】
先日、法事があり、親戚が集まりました。
法事後の会食の席で
数年前にマイホームを買った姪っ子の、家が広くて良いね~!なんて話を皆でしていたら、
姪っ子の旦那さんが、
「やー、でも変動金利でローン組んだんで、最近はヒヤヒヤしています。」と言いました。
姪っ子もローンを組んだ時は、自分の親からいろいろ聞いているだろうけど、(だいたい婆と同時期だったので)
その話の流れから、婆時代の住宅ローンの話になりました。
そのことを思い出して、ここにも書いてみようと思います。
婆達は結婚後、社宅(かなり古い)に入り、約7年3ヶ月そこで暮らしました。
間取りは、昭和っぽい6畳たたみ2部屋と、台所です。
もちろんお風呂はありますが、脱衣場なんてなく、
独立洗面化粧台なんてありません。
だから、着替えるのも部屋か台所で、
歯磨き洗面は、台所の流しでしていました。
女の子と男の子が産まれ、
社宅内に小公園があり、
親も子供も友達ができました。
社宅に入居する前は、
「社宅大丈夫かなぁ・・?不安・・・。」と、大変心配していたし、
社宅というものは、
月に1回掃除があったり、役員をやる ”時” も巡ってきたり、
面倒なこともあるのですが、
ラッキーなことに、たまたま先輩世代、同世代ともに『人』には恵まれ、
何より、それが一番の重要事項だと思われるので、本当にありがたく、
けっこう平和に年月を過ごすことができました。
一緒に遊んでいた、娘の友達が、幼稚園の年長になるぐらいの時期、
小学校に入るタイミングを見据えて、
実家に入ったり、もう少し広い社宅に応募したり、
家を探したりする機運がママ友たちの間にただよってきました。
(【ママ友】って使うと、なんか婆世代にとっては、お洒落な感じ✨しますが、うちらはそんなかんじではなく、【同志】って感じでした。
当時はまだ【ママ友】って言葉はありませんでした。使えて嬉しい♩)
それで、
最初、誰か一人から始まって、だんだん皆の気持ちにも広がっていきます。
うちも、女の子と男の子なので、
小学校ぐらいまでは良いとしても、
将来、いずれは部屋を別々にしなければならないかなぁ・・・、と考えてみたり、
学校途中で転校させるのもなぁ、と考えてみたり・・・。
さらに、女姉妹だったら服もオモチャも共有できますが、
女、男で、
まあ、しばらくは、息子がわからないうちは、家の中でお姉ちゃんお下がりのピンクのベビー服を着せていたり、外でもピンクの自転車に乗せていたりしていましたが、
そもそも誰が教えるでもなく、興味を持つ対象がそれぞれ違っていたので、
おもちゃも絵本も、倍の量になっていました。
この段階で手狭です。
さらに、社宅ママ友、一人が家を買うということになると、
家関係情報もいろいろ教えてもらえるようになったり、
引っ越してしまった後は、遊びに行かせてもらったりと、
だんだんそのモードになってきて、
社宅っていうのは、奥さん達の方からその気持ちにさせられ、
旦那のおしりを叩くという構造なんだと、つくづくわかりました。
競争意識というのとは違うんですね。
必要に迫られて、の中で、
経済状況が皆なほぼ同じ社宅のなかで、
友達も社宅から巣立って、ひとりひとり少なくなっていく・・・。
その中で、婆も、ママ友経由の情報を逐一あれこれ主人に流していくうちに、
主人もやっとその気になっていく、なっていってくれる・・・。
うちらママ友仲間の場合、どこのうちも、旦那は先に動きません。
全員、このパターンだったと思います、多分。
それで婆夫婦もマンションを探し始めましたが、買える価格の物件が
まったくありませんでした。
子供が生まれる前まで共働きで、
婆の職場にある新聞の折り込み広告は、都内の物件で、当時、億の値段のついたものも出ていました。
バブル景気、真っ只中の時です。
家さがしをする頃は、それから年月も経ち、価格もすこーし落ち着いてきて、
住んでいるのも都内ではありませんでしたので、価格も少しずつ下がってきたようにも感じました。
それでも買えません。
やっと同県の内陸部に、70㎡台、2000万円台の新築物件が出て、
主人は遠方への転勤はありませんでしたので、そこからも通えると思い、
主人もいいよ、と言ってくれ、
やったー!これなら何とか払える!
と喜び勇んで抽選に応募しました。
普通、マンションは立地、とよく言われますが、
それどころではないのです。
選べる余地がないのです。
新築2000万円台なんて初めて見ました。
大規模なマンションで、立地から価格が抑えられていたのか、
建物は中も外も、悪くありません。
自分たちにも払える物件があった!というだけで、夢のような
気持ちでした。
でも、
抽選におち・・・、
ふり出しに戻り、途方に暮れ、ズドーンと目の前が真っ暗になりました。
一択だったから、しょうがないとは言え・・・、
それからしばらく道が塞がって、なすすべもなく、進捗もなく
暗い毎日が続きました。
でも暗いのは婆のみ。
主人はそれほど暗くはなく、絶望に浸った婆を明るくなぐさめてくれました。
大丈夫だよ、そのうち見つかるよ。
そのうちって?買える物件がないのに。あれしか買えなかったのに。
あの様子から考えると、主人は別に家を買うということのこだわりはなかったんだと思います・・・。
それで、ある年上の方が「いつか買えるようになるから。」と言ってくれ、
その時は、単なるなぐさめ言葉だと思ったんですが、
不思議なことに、明るい展開になっていき、その言葉どおりになりました。
それが、今現在住んでいる家です。
ちょうど28年前の、この季節に引っ越してきました。
かなり郊外。
駅から歩いて30分。
バス停まで7分。
駅まで車で5分~7分。
5680万円+追加設備代(若干)。
1戸建て。
前面道路 公道。幅員4.5m。
土地100㎡、建物80㎡。(当時の住宅金融公庫の最低基準)
これが買えるギリギリでした。
利用したかった住宅金融公庫を使う為の、面積の条件を満たした、払っていくことが出来るギリギリの最高でした。
25年元利均等返済。固定金利。
この返済期間は、当時組むことの出来た、最長の長さだったような気がします。
(歳のせいで物忘れが・・・)
当時金利は
固定4.3%でした。
やっと下がってきたところでした。
当時は今のような低金利ではなく、
その中で微々たる下がり方をしているような状況で、その後は読めなかったし、長いローンなので固定金利にしました。
家探しの最初から、なぜかマンションという固定観念があり、
特に中低層マンションなどは、防災に優れ、かなり災害時には強いということもあって、
ずっとマンションを探していましたが、
考えてみると、賃貸ではなく購入の場合は、入居後のマンション住民理事会の諸々や、
管理会社の質や経費の心配など、
我が家だけの気持ちや都合だけではいかない事がある点も、もしかしたら、うちには合わないかも、とも感じたこともあり、
いったんは頭を一からまっさらにして、
管理費、修繕費、駐車場代の分を、
物件そのもののローンとしてみたら? と計算し直すと、買える物件の値段が上がり、
安い一戸建て(←定期的に管理費・修繕費・駐車場代を払わない)なら買えるかもしれない、というふうに考え直しました。
当時はそういう思考回路でしたが、
実際、安い一戸建てなんて、ありませんでした。
でもさらに、
マンションは抽選も多かったし・・・。
買える物件は、なかなか出なさそうだったし・・・。
計算上、いくら価格が上げられたか忘れましたが、
その分を25年払ったら、いくら?・・・、
なんていうザッとした見立てだったと思います。
数字に疎い上に、ちゃんとした計算なんて、出来ません。
(こわっ)
でも、主人が定年退職した時に、
退職金を年金保険とかに入れる?どうする?なんていう話を
同年に定年退職された方と、いろいろ話していたみたいなんですけど、
その方は、
「住んでいるマンションの今後の管理費、修繕費、駐車場代用に
取っておく必要のある分があるから、
1000万円はそのままで手をつけない。」
と言っていた、と言うので
よそ様のことで、恐縮ですが、
(ほんとに失礼、申し訳ありません!m(_ _)m💦)
もし管理費、修繕費、駐車場代が、それぞれ月10000円だったとしたら
月30000円。
30000円×12ヶ月×30年(60歳~90歳)=約1000万円
もうちょっと月支払が高いようだったら、25年計算とか?
婆の当時の計算も、そんなラフな感じだったと思います。
利息が入るから、ちょっと1000万より低く、
ローン期間が25年だから、30年よりは短く、ちょっと上がる?
だから1000万ぐらい上げられる?の?かな?
プロの人から見たら、危ない笑っちゃう試算かもしれません。
それで当時は、先ほど上記の、物件価格で売られていましたが、
これは、バブル崩壊後数年ぐらいの時の金額だから、
まだバブルの価格の影響が大きく残っていて、
実際の価値と乖離した金額だったと思います。
でも、子供の年齢の理由で、うちには【あの時】しかなかった・・・。
本来の正常な経済状態の時代でしたら、
おそらく実際、新築3800万円ぐらいの物件だと思います。
今でこそやっと価格も婆達が買った値段に戻ってきましたが、
実際その時は、その後金利も価格も下がっていき、10年~15年ぐらい前に、この辺りに建てられた一戸建ては、そのぐらいの価格で、
価格が安くなったのに、土地建物ともに広くなり、(いいな~)
駅にも、うちより近くなり・・・。(いいな~)
現在と言えば、駐車場2台分ばかりになっています。
(うちは狭い1台💦)
損した気分~💦💦
・・・でも・・その時期に買えれば良かったとは思いますが、
うちにはうちのタイミングがあって、あの時期しかなかったので、
これも縁・・・。
社宅のママ友で、あの時一旦、広い社宅を借りなおして引越し、その後家を買った人がいたのですが、それはいろいろ聞いて、ラッキーだったなと思いました。
こればっかりは読めないし、その家庭ならではの事情もあることで、
本当に縁です。
月々10万円以内の支払いとし、ボーナス払いを併用しました。
月10万円台の支払いになると、我が家の場合、ちょっとキツイなと思いました。
その素人試算ですが、まずは、
【今まで払ってきた家賃の月額 】+ 【住宅購入用に毎月貯金してきた月額】=【とりあえず絶対払える金額】だよな・・・。
それに加えて考えるのは、
もしこれから広い社宅を借り直したとした場合の【家賃増額分】をローン分として、足してみる。
その増額分相当額は、
当時の主人のお給料から、生活費や、子供の学費の為の貯金等をしっかり確保した上で何とか残した金額を大部分当てるとし、
ちょっと不安な部分は、工夫して?節約しよう、などという甘い考えも加えながら、
あまり大き過ぎる無理の出ないように月の支払い可能額を予測しました。
大きな買い物に不安を感じながらも、
とにかく今の社宅に何十年も住み続けることは、婆達には出来ない選択なのは純然たる事実なのだから、さらに子供達のベストのタイミングも正に今で
これは必然の中での選択。もう頑張るしかない。
主婦として節約とかも頑張ろう!と、
気合いだけでやっていけるわけではありませんが、気合いも大事だと思いました。
力みなく買い物出来たら、それはありがたいことですが、
不安もあるから、空気合いを入れているわけで、
そういったギリギリの諸事情もあり、
ですから、『ボーナス払い』は使わないと払えませんでした。
そのボーナス払い・・・、
の話ですが、
ここへ越してきて10年以上も経ち、すっかり落ち着いた頃、
リーマンショックが起こりました。
畑だった所を開発した土地に、
建売の複数の物件が、ほぼ同時に売られていた所を買ったので、
ここでも、子供を通じて、ご近所さんと知り合いになりました。
日本中が大変になったあの時、
ここで仲良くなったあるお母さんが、
「○○さん(←婆)どうしよう。
うち、今回ボーナス出ないの💧
ローン!ほんと、どうしよう・・・!
それでね、主人が自分から、オレしばらくお小遣い1万円でいいから。
その代わり、朝おにぎり3個にぎって。昼はそれを食べる。
お茶も、水筒で持って行くから!と自分から言ってきたのよ!」
と、婆に悲壮な面持ちで訴えてきました。
一部上場企業の会社にお勤めと聞いていました。
そのお宅だけでなく、うちも不況の影響をひしひしと感じていましたが、
その話をただただ聞くことしか出来ず、
それに、うちだって人ごとではなく、
とにかく、お互い何とか凌いで乗り越えようと励まし合うことしかできませんでしたが、
うち、ボーナス出なかったらどうしよう・・・。
考えても、運を天に任せるしか当時の答えはありませんでした。
最低でもボーナス払い3回分ぐらいの現金を用意しておきたい・・、
・・・のはやまやまだけど・・。
でも・・・、
ローンを払いながらの貯金というのも、大きな金額をコンスタントに貯金できるものでは、なかなかありません。
将来の教育費などは、すでに貯金していなければならなかったし。
公による子育ての支援なども、今ほど、盛んという程ではありませんでした。
家を買う時や、買った後に、必要な費用も使っちゃってるし・・・。
それに・・・、
将来の支出として、例えば子供の成長に応じての買い物….。
それは小さくなってしまった"衣服" 等という面だけなく、
興味関心、知能の発達、等々。
その時、その時期、その年齢ならでは、という側面があり、
常に頭や心も成長変化、待ったなし!なので、
その時買わなければ意味がない、
時期を逃したら意味がないなどと思ってしまい、つい買っちゃうんですよね~💦
自分のものは我慢しても・・・。
例を挙げると、3才用の絵本を5才になってから子供に初めて与えたとしても、
喜びや効果が半減する、と思って、
3才用の本は3才の時か、それより前に、必ず買ってしまうんですよ。
オモチャにしても、運動具にしても。
もちろん図書館を利用したり、
玩具も、声をかけてくれたら有難くお古をいただいていたりはしていましたが・・・。
家を買う時には想像していなかった出費もいろいろ出てくる。
うちだって、できるだけ堅実に生活し、その時点ではもうパートにも出ていて、何とか一生懸命やっていたとは思うんですけど、
じっさい綱渡りと言える心境も、長い年月の間には、何回かありました。
・・・・・、
その後は、お互い、その話に触れることはありませんでしたが、
奥さんもパートとはいえ、手に技術を持っていたし、
その後徐々に時代も回復していき、
今はお子さん達もとうに成人され、
旦那様も定年も迎えられ、
もちろん今は穏やかに暮らされていること間違いありません。
それにしても、今でも、あの奥さんから聞いた旦那さんの言葉を
婆は忘れることができません。
買った時の話に戻ります。
住宅金融公庫と、自治体で利用出来る融資(←住宅ローン) の2本を使いました。
(2本立て)
住宅金融公庫だけの融資では足りなかった為と記憶しています。(たしか限度額が決まっていたのだった…と思います。記憶が曖昧ですが…)
5年後に支払い額が上がることになっていて、
その時のことが心配でしたが、
5年後は子供も学校に行っているから、その時になったら、少しの時間でもパートでも婆が働こうと思いました。
主人に万が一の事があった時は、
住宅ローンに団体信用生命保険がついているという銀行員の方のお話で、
住宅ローンはちゃらになり、支払が免除され、家は家族のものになるということで、ありがたいなと安心しました。
それで、マンションの管理費、修繕費、駐車場代の分を物件のローンとして計算しなおし、買える価格が上がり、
主人の親と、婆の親に、報告をしたら、
それぞれ数百万円~ずつ援助をしてくれ、なんとありがとうございます!🙏🙇
そこから物件探し、購入が叶いました。
それで、金利のエピソードですが、
婆が、昭和の終わりに近い頃、新卒、新入社員で入った会社(銀行ではありません)で、
入社後、社員研修が行われた中で、
福利厚生のオリエンテーションがあり、
その時、説明してくれた社員さんが、オフレコで
「皆さん、まだ新入社員でピンとこない話だと思いますが、
この先、住宅ローンを借りるときは、うちの会社内の、社内融資を使った方が絶対得ですよ!外で借りるより、金利が良いですから!
何%だと思いますか?聞いてビックリしますよ、何と3%ですよ!
こんな金利はありません。
だから、中には、わざとちょっと多めに借りて、金利の良い金融商品に預けてる人もいるらしいなんて聞くんですが、そんなことは絶対にやらないでくださいね!」
と笑顔で言ってました。
やらないでくださいね!と、いちお立場上、言ってましたが、
あの笑顔が、そのやり方、教えてくれてるん?という感じでした~。
当時ビックリするほど低い金利だと、自信をもって紹介された金利が3%です。
(固定か変動かは今となってはわかりません)
それを聞いた新卒生には、何のことかよくわからずビックリできませんでしたが。
今、その年の金利をネットで初めて検索してみたら、グラフが出ていて、
民間金融機関の住宅ローン金利の数字を確認してみると・・・、
確かに当時で3%という数字は、低い・・・。
(約40年後の今日、実感しました。)
それから数年経って、会社の同期の女の子に、養老保険というの良いよ、と勧められて、たしか当時は金利7%だったと思います。
そういうのに、ちょっとだけ余分に借りておいたお金を預けてたのかな?
そんなのが今あったらなー。
それで、婆達の住宅ローンの話に戻りますが、
支払額の上がる5年後が迫ってきて、
払えないことはないけど、かなりキツい。
月の支払額が10万円を越えてしまう…
何とかその金額を払っていくか、どうするか?
それで、その時は、買った当時より金利が下がっていて、3%でした。
社内オリエンテーションで聞いた金利になっていたのです。
そういった世の中の状況で、住宅ローンの借り換えがよく広報されていました。
・1000万円以上ローンが残っていて
・1%以上金利が下がり
・支払い期間が10年以上残っている
ようなら、絶対借り換えをした方がお得、というものでした。
そのタイミングで、今のメガバンクの前身の都市銀行でさっそく借り換えをし、
これで、4.3%の金利が3%に押さえられ、5年後の支払上昇がなくなりました。
それから5年以上は、この住宅ローンを続けていましたが、
さらにどんどん金利が下がって、ついに1%台になったため、
その後2回借り換えをしました。
その頃出始めていたネット銀行でした。
つまりですね、
婆の住宅購入時は、物件は小さく狭いのに価格は高く、
金利も高かったけれど、
その後、金利は下がり続けたので、だんだん楽になっていき、
子供の教育費のめどがついてきた頃は、ちょっとの金額でも
まめに繰り上げ返済がしていけました。
家を買った直後からずっと長い間、
月10万円弱の住宅ローンを
毎月払い続けていたわけですから、
月の支払額が、それより下がっても、当初のように10万円弱払っているつもりになって、差額を必ず毎月繰り上げ返済しました。
(手数料無料だった為。手続きもネットだけでその場で完結、簡単だった為。)
団体信用生命保険もついているし、
繰り上げ返済しないで、貯蓄や投資の方に回すという選択肢もありましたが、
その時はまだずっとデフレっぽい時代でもあったし、
とにかく主人が一定期間でも何らかの理由で働けなくなったりしたらどうしよう?など、主婦、母親としての立場からの不安も常に心のどこかにありましたので、とにかくできるものなら、出来るだけ早く返したいという一心でした。
今、後から考えてみると、
その分を繰り上げ返済しないで、ストックしておき、
有事の際は、そこから少しずつ切り崩して、住宅ローンの返済に当てる、
としても良かったと思います。
最後の借り換えの時は、ボーナス払いも必要なくなってくれ、
この時は、固定金利と変動金利のミックスにしました。
その歴史から見てみると、
現在の金利は、固定金利より変動金利の方が低いのは、
それはそういうものであるし、
そこだけ見るとそれは確かなんですが、
今の固定金利は、婆の生きてきた中では
破格に低い!
という数字なんです。
婆感覚では、固定金利のお宝金利と言える数字に感じます。(←あくまでも個人的感覚。)
なぜなら、金利は、
金利がまったくないのが0%ですから、
(=ボランティアでただで貸す)
固定金利が【フラット35】で1%台である今、
0%までの幅が婆の時ほどなく、
変動金利と上下の差を保ちながら、
今の金利以下にずっと下がり得るものでしょうか?
さらに婆の時代のように、これから下がっていくものでしょうか?
これが今後の底値であるかどうかは、こんな素人婆にはわかりませんが・・・。
とにかく、本当に、こんなに低い金利で借りられる時代が来るなんて、あの頃は思いもしませんでした。
逆に金利が上がる面を考えてみると、
婆の最初の時は4.3%。
それより15年ほど前の、
主人のお父さんの時は、7~8%だったそうです。
そんな時代があったのです。
金銭感覚的には、
そんなにこの30年の感覚は、変わっていないような気がします、個人的には。
今、アメリカでは、住宅ローンは何%なんでしょうか?
経済は、宅配ピザと違って、なんでもアメリカのものが後から日本にくるわけではありませんが~。
ちなみに主人のお父さんの時代、
(生きていたら、今80才台後半)
インフレで物価もお給料もだんだん上がっていった戦後10年弱ぐらいからの昭和の時代。
当時、初任給は1万円以下?とか、1万円台?とか、誰かに聞いたことがあります。
お義父さん、
最初は、新婚で長屋の賃貸アパート、
その後、主人が小学校1年生の何学期かの途中で団地を買って引っ越し。
(主人は転校生)
その後、主人が中学1年生の何学期かの途中で公団のマンションを買って引っ越し。
(主人はまたまた転校生)
その後、主人が高校の終わり頃、
一戸建てに引っ越し。
(高校なので転校不要)
建物の方は、ふるさとから一緒に上京してきた、工務店をやっている幼なじみに、安く良い家を建ててもらう。
買った土地は、勤めていた会社に営業にやって来た、電鉄会社の不動産部門の営業マンから勧められ、当時なかなか売れなくて困っていたらしく、たいへん安く買えたとのこと。
その為、買って住んでみたら、
お隣と、はす向かいは、同じ会社の人でした💦
物件を売り買いするたびに、ヤドカリみたいに家が少しずつ広くなっていった。
団地を売った時も、公団のマンションを売った時も、
どちらの時も買った時よりかなり高く売れたそうです。
だからそういうことも出来た。
最後の一戸建てのローンの時は、
細かい詳細はさすがに全く知らないた為、あまり参考になりませんが、
年齢の上でやむを得ず、主人との親子二代ローン?みたいなローンを組んで、
もちろん、お義父さん一人ですべて返し終えるつもりで、実際返し終えてくれました。
(いつローン支払い完了したのかも、もちろん知りません)
金利は7~8%とはいえ、
最後のほうの支払いは、月1万円台ぐらい?だったそうで、
ぜんぜん負担にならなかったそうです。
それが、お金の価値が変わっていく、
昭和のインフレのなせる技?
ずごい金額だと思っていた金額が、年月を経て、たいした金額でなくなってしまう?
それもそういう時代だったのか?
平成の時代に家を買った、婆達の時とは
全く違います。
婆達には、お義父さんのような買い方は、とてもとても出来るものではありませんでした。
(お義父さんが組んだ住宅ローンが変動金利だったのか、固定金利だったのかは、わかりません。)
(主人から聞いた話、お義父さんの話、お義母さんの話、それぞれ別々に耳にした細切れの話を総合して書きました。)
令和の時代はどうなるのか?
変わっていくのか、現状維持でいくのか。
姪っ子の旦那さん・・・。
もし、現在の変動金利と固定金利の、実際の返済金額の差が、何とかなる、何とか払える、ものだったら、
その差額が、
姪っ子の旦那さんが、ヒヤヒヤしてしまう、
その不安をなくし、
心の平安を保つ、掛け捨ての保険料、と捉えてみるのも一つかもよ、
自動車保険の保険料を支払っている感覚よ☝
心の平安料,゚.:。+゚,゚.:。+゚,゚.:。+゚
大事かもよ、それも。
それで、もし万が一、金利が逆転したら・・・と仮定したとして、
これからの変動金利の数字が、現在の固定金利の数字をもし上回ったとしたら、
その段階で、それはもはや保険じゃなくなってくれるわけだし・・・。
そうなるかどうかは、わからないことだけど・・・。
と話題にはのぼりましたが、
それぞれの家のことなので、
他人には知り得ない、実際の資金計画上のこともあるだろうし、
人の考えは十人十色、人それぞれだし。
あくまでも参考資料的という話なんですが。
・・・・・。
逆に固定金利が全期間だったら、約30年後まで月の支払い額は変わりません。
今よりもっと低くなったら、借り換えも出来ます。
(今より1%以上低くなり得るのかはわかりませんが・・・。)
婆は計3回借り換えしました。
手数料かかりましたが・・・。
それで、ずっと変わらない低い固定金利で、
その間、物価が上がっていったら、
すっごく得って気がします。
なにより、返済計画が、最後まではっきり掴めます。
それで、じゃあ、変動金利が上がっちゃったら、固定金利に変えようという考え方も理解できますが、
先に固定金利が上がってから、変動金利はその後に上がるようになっているそうで、
その時、固定金利で返済できる金額なのかは、どのくらい上がっているかで計算しなくてはわかりません。
また、変動金利が上がったとしても、実際の毎月の支払額は、無理のない程度に抑えてくれるというルールがありますが、
上がった分は、最後まできっちり、払わされます。
返済期間が長くなるということなんでしょうか?
元本がなかなか減らず、利息部分を多く払っている状態になります。
日本のすべての銀行さんが、
長いこと、低金利で喘いでいる現実もあります。
銀行さんとは立場が逆の消費者としては、
このまま、低金利が続いてくれることを、願っちゃうんですが・・・。
(_ _)
『陰極まれば陽』
という諺があります。
『歴史は繰り返す』
という諺もあります。
20年~30年超の長いローン返済だからこそ・・・。
また、余計なお節介言ってしまいました💦
m(_ _)m
【追記】
ここのところ、固定金利がじわじわ上がってきていましたが、
今日、令和5年3月29日(水)、
政府は、子育て世帯や若年夫婦を対象に、
長期固定金利の住宅ローン「フラット35」の金利を引き下げることを
決めた、とヤフーニュースで見ました。
朗報だと思います。
なぜ今回、固定金利、超長期住宅ローンか?
これからの日本の大事な宝である、若い人達に対するこの決定、
今後の金利動向の可能性の考え方と、
政府のこの決定の意向を想像してみましょう。
政府も良いことをしてくれました!
♥
【さいごに・・・】
婆の住宅購入の時代は、金利も高く、
未熟な自分たちには、これから下がるのか、上がるのか、
予想することさえも能力的に出来ず、(今もですが・・・)
もちろん、世の中にはなにが起こるか常にわかりませんから、
専門家の方でさえも、予想することは出来ても、それが本当にそうなるのかはわかりません。
そんな中で、ただただ、
住宅ローンを組んだ、その時以上に金利が上がったら、
婆たちには払えませんでしたので、
固定金利しか考えられなかったのでした。
固定金利の利率と、
頭金の額と、
月に返済できる額、
この3点から、
買える金額を出し、
その金額から物件をさがす・・・。
( ネット銀行のホームページでは、ネット上で試算できますし、
物件の販売会社に行けば試算してくれます。一生の高い買い物、全員がその物件を買うわけではありませんから、試算までのお客様さん、大多数だと思います )
変動金利に比べて、固定金利の損は承知でしたが、
損をしたとしても、
長い年月の間に、支払い金額が上がることが起き、払えなくなる可能性が皆無ではないことが、どうしても心配で、
損よりも心の平安と、
計画段階において、子供たちのいる家族生活を、ローン期間の最後まで
何とか無事に営んでいけそうな、とりあえずの確証が欲しかった。
守りに徹したと言うと聞こえは良いですが、臆病だったのかもしれません。
実際、婆達の時の住宅ローンの金利は、
最初から最後まで下がる一方でした。
未来を視る力があったとして、
全期間、変動金利にしていたら、文字通り→ どんだけ~??!!!~¥♬
と思います。
文章中にもあったように、
もしかしたら、金額的には、かなり損をしたかもしれません。
住宅ローン返済中のある時期、
「これからは完全に金利は下がる一方だよ。」
と、詳しい方にアドバイスいただき、結果的にその通りになりましたが、
そのアドバイスを聞いた後でさえも、
変動金利一本に借換えする勇気がありませんでした。
実際、金利だけでなく、新築物件価格も下がっていき、
その物件価格の下落も換算したら、
数千万円の違いがあったかもしれないとも思います。
それでも、古くなった小さな家で、
うちの場合は、損があっても、これで良かったんだと今、思っています。
新年度毎の昇給が必ずあった昭和の時代とは違って、
平成の時代はそれもあまりなくなりました。
でもこれからは、
この春の報道でも、そうであったように、
お給料もしっかり上がっていくかもしれません。
それによって住宅ローン返済の、金銭的な負担感覚も変わっていくかもしれません。
それぞれのお宅の事情や、
個々人の性格、考え方は十人十色のなか、
また世の中も、人の思惑を超えていろいろな事が起こったり、変わっていくもので、
正しい答えなんてわからないし、
それこそ、やっぱり良かったと思える答えも十人十色なんだと思います。
変化の世の中で、
この問題に今、向き合っておられる方が
いろんな話を聞いて、
いろいろな情報を取られて、
いっぱい考えて、
うちはこれでやっぱり良かった・・・、となる、
参考エピソードの一つに、このお婆ちゃんの長話がすこしでも
なったらいいな、
と思います。