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広告嫌いふたたび

母の日のPRで「ずっと小児」という表現が使われた切符モチーフのポスターが批判を浴びて撤去された、というニュースがありましたね。

個人的には「なんか引っかかるけど、もっと悪質なものはいっぱいあるのでは」という程度の感想ですが、気になるのはこれが広告であるところです。

もしこれが文学作品だとか、美術館で展示されているアートなら、まったく表現の自由であって何の問題もないですし、嫌なら見るな、という話ですが、広告には「見ない自由」がありません。
まして駅という公共の場にでかでかと掲示されているものは通行するだけで嫌でも目に入ってしまいます。

無理やり見させられていることでただでさえ怒りの沸点が下がっているのが、広告というものが炎上しやすい理由ではないでしょうか。

さらにこの広告、見る側には何のメリットもありません。母の日くらい教えてもらわなくてもわかっていることですし、母に会いに行くかどうかは自分で決めることで、広告に乗せられてもお金を使わされるだけです。

もともと「便利な機能が追加されました」とか「弊社商品の一部に発火のおそれがあり、回収を行っています」といった意味のある広告が炎上することはあまりないです。
「そこに広告費と空間があるから」という理由で視界を埋め尽くす広告が怒りを買うのです。

よく「広告のおかげで無料のコンテンツが楽しめるんだから我慢しろ」という意見がありますが、そもそも「有料でもいいから広告のない世界に住みたい」という選択肢はありません。

スマホやPCを買うとき、NHK式に「一定の受信料を払えば無広告でインターネットが使える(自分に広告が表示されないだけでなく、広告産業の支配を受けない情報だけが使える)」プランが選べれば需要はあるのでは、と思うのですが、そんなものは存在しません。

あるいは住民税を上乗せすれば「無広告特区」の自治体に住めるとか。
「ノー広告月間」が設定できるとか。

どれも難しそうです。

それを考えると、広告を見ずに使える note は貴重かもしれません。

以前書いた記事はこちら↓




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