見出し画像

ひとり1言語&1楽器主義の国

「あったらいいな、こんな国」というお話です。


この国では赤ちゃんが生まれると、出生届と同時に「言語」と「楽器」が指定されます。
たとえば「ケチュア語」と「フルート」を指定されたとします。
指定方法はただのくじ引きです。
(ただし公平を期するため、英語や中国語などのビジネスに役立つメジャー言語は除外されています。またピアノやパイプオルガンなどの自力で運べない楽器も除外でしょう)

指定されてどうなるかというと、ただ「あなたは運命によって、ケチュア語とフルートに選ばれました!」と言われ、その言語と楽器を学ぶ機会が優先的に付与されるだけです。
具体的にはまずフルート本体が貸与され、ケチュア語のテキストやフルート教則本が段階的に送られてきて、教室やオンラインでのレッスンも受講でき、ケチュア語文学・映画作品・フルート演奏会・名演集の音源鑑賞などが無料になります。学習者コミュニティへの入会資格が与えられ、「ケチュア語友の会」から会報が送られてきたりします。
運転免許の更新くらいの頻度で検定試験があり、好成績ならちょっとした褒賞が受けられますが、成績が悪くても罰則はありません。

何のためにやるのか

目的は、国民全員に「ある言語の学習者」「ある楽器の奏者」というアイデンティティを付与することにあります。
そもそも民族や人種・性別、家柄などの一般的なアイデンティティだって要するに偶然ですから、言語と楽器を人工的に追加することもできるはずです。

もちろん人によってコミットする度合いは様々で、熱心に練習する人もいれば「なんか毎年スワヒリ語のテキスト送られてきて、家にホルンもあるけど、どっちも使ったことない」という人もいるでしょうが、それは毎日仏壇に向かって読経する人もいれば葬式でしか仏教と関わらない人もいるようなもので、それでいいのです。

どうしても別の言語や楽器に変更したい、というなら可能ですが、気軽にホイホイと変えられるとアイデンティティの意味がないので、国籍変更くらいのハードルがあります。

何の役に立つのか

何の役にも立ちません。
むしろ、役に立たないことに意義があります。
「役に立つ」ことを目的にすると、役に立たなくなった瞬間に無意味になってしまうからです。

たとえば20世紀中頃には「和文タイプライター」を習得する人が多くいた時代がありました。その時点ではけっこう需要があり就職にも有利なスキルだったらしいのですが、ワープロソフトが出現して存在意義がなくなってしまいました。役に立つと思って習っていた人は「今までの努力は何だったのか」と思ったのではないでしょうか。

物好きで習っていたことなら、時代状況や経済動向を気にする必要がありません。
役に立たないことは裏切らないのです。

つながることができる

たとえば初対面の人と言語・楽器の話で「エスペラント?いいなあ私なんてハンガリー語ですよ。なんでこんな難しいのに当たったんでしょうねー。ちなみに楽器は鼓で…えっ、三味線なんですか?今度合奏しましょう!」などと盛り上がる可能性もあります。
日本の人口を1億2千万とすると、世界では7000くらいの言語が使われているらしいので、同じ言語を割り当てられた人に6%くらいの確率で出会う計算になります。楽器については細かく分類したら何万種類にもなってしまうでしょうが、ざっくり同じ奏法が通用するものや合奏できるものも多いので、仲間に出会う可能性は高そうです。

地球の裏側のボリビア人とケチュア語でチャットしたり、ハンガリー語友の会会報に詩を投稿したり、オフ会で動詞の活用が複雑すぎることの愚痴をこぼしあったり、南米系楽器メンバーを集めてバンドを結成したりする人もいます。

閉じることもできる

一方で無職でひきこもりでもホームレスでも、語学と演奏を続けることはできます。
人類滅亡後にひとり取り残されても、チェコ語の小説を読み、バンジョーを弾いて過ごすことはできるのです。

仕事など辞めてしまえばそれっきりですし、家族も離散すればそれっきり、友だちと疎遠になることも、生まれた土地に住めなくなることも、国を追われることもあるかもしれません。

それでも言語と楽器は見捨てないのです。

言語と音楽の国の豊かさ

役に立たないと言う割には、メリットもいろいろあります。

まず語学教師やテキスト執筆者、楽器職人、演奏家の需要が増えます。語学や音楽はなかなか専門性を生かして食べていくのが難しい分野なので、雇用の改善になります。

外国人からしても、どの言語も学んでいる国民が一定数必ずいるという国は便利ではないでしょうか。

さらに言語の習得や楽器演奏は脳の老化防止に劇的な効果があるという説もありますし、健康増進にもなりそうです。

公共事業として考えても、ハコモノを建てるより環境負荷が小さく、後始末もラクです。楽器は手入れをして長く使えますし、あるクラリネット奏者が亡くなっても、次にクラリネットに選ばれた赤ちゃんに引き継げばよいです。

また世界には消滅の危機にある言語、年々演奏者や職人が減っている伝統楽器も多いです。国民全体の頭脳が失われつつある文化を保存・継承する大きなひとつの図書館として活用できるかもしれません。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?