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「人を思い遣る心」と「儒教とキリスト教の黄金律」、想像力を育むための読書

 今からもう12年も前になる東日本大震災という未曾有の大惨事が発生したとき、「自分に何ができるか」を考えた人は多いと思います。日本列島を自分の体に例えれば、体の一部が壊死しかかっているのですから他人事とは思えません。そういうときに大切なのは「人を思い遣る心」と「想像力」です。
 人を思い遣る心は実に人間的で美しく人を感動させるものがあります。孔子は「この一言なら生涯守るべき信条とするに足る―そういうことばはあるでしょうか」という弟子の子貢の問いに対して、「それ恕か。己の欲せざるところ、人に施すこと勿れ」(『論語』衛霊公)と答えています。「恕」すなわち「人の身の上や心の内を察して思い遣ること」が、人として生涯守るべき最も大切なことだと教えたのです。とは言え、人が心の中で何をどう思っているかは分からない。そこで「自分がして欲しくないことは人にもするな」と孔子は付け加えたのでしょう。
 新約聖書の「山上の垂訓」で述べられる「自分がして欲しいと思うことは何でも、人にしなさい」(マタイによる福音書7章12節)というイエス・キリストの言葉は孔子の言葉に比べて能動的ですが、私はこのキリストの言葉を知ったとき、「自分がして欲しいと思うこと」が必ずしも「相手がして欲しいこと」と一致するとは限らないのではないかと思いました。自分の方から働きかける積極性は評価するものの、親切の押し売りになってはいけないし、人の心に土足で踏み込むようなことになってはいけないとも思いました。しかし、キリスト教徒はそうは考えないようです。一般化するのは無理があるかもしれませんが、私がオーストラリアでホームステイしているときに次のようなことがありました。
 私がバスルームでシャワーを浴びているとき、ホストファミリーの高校生の男の子が私に冷たい水をバスルームの上から浴びせかけたのです。私は驚きましたが、それは親愛の情の表れであり、家族だと思っているという意思表示だということはすぐに理解しました。その後その子がシャワーを浴びているとき、ホストマザーがうれしそうに「今がチャンスだ。やり返せ」としきりに勧めてきました。私がやり返していたら家族は喜んでくれたに違いありません。しかし、私は「そんなことはしたくない」と答えました。彼我の文化の差を感じた瞬間でもありました。私たちは「人に迷惑をかけない」ことで心の平安を得ているように思いますが、彼らは、相手と積極的・能動的な関わりを持ち、その関係が落ち着いていて安定しているときに心の平安が得られると考えているように思われます。
 とは言え、「して欲しくないこと」にしろ「して欲しいこと」にしろ、多少の個人差はあっても大方は一致するでしょう。ただし、「小さな親切、大きなお世話」ということも考慮に入れなければならないので、人を思い遣ることは難しいことです。しかし、人を思い遣る心の大切さは、儒教やキリスト教に限らず多くの宗教が教える黄金律であることに変わりはありません。
 思い遣りを考えるときに必要なのは、人からされて嫌な思いをしたときや人からしてもらってうれしかったときなどに、そういう喜怒哀楽の感情を率直に相手に伝えることです。落ち込んでいるときに声をかけてもらってうれしかったとか、自分が気にしていることをからかわれて悲しかったとか腹が立ったとかを素直に伝えることは、互いが人の心の内を理解する重要な機会になります。また自分自身も、どうして自分がそういう気持ちになったのかを冷静に考えてみることや相手の立場に立ってその人の気持ちを考えてみることが大切です。
 では人を思い遣る心はどうすれば育まれるのでしょうか。思い遣りとは他者の心の内を他者が理解し、いたわりの気持ちを持つことを言います。であればそこに要求されるのは、何と言っても想像力です。そしてこの想像力すなわち実際には経験していないことを頭の中に思い描く力、これこそが人間にとって一番重要なものだと私は考えています。というのは、想像力に欠けていると道徳的にも堕落してしまうことになるからです。
 ギリシア神話に出てくるプロクルステスという盗賊は、捕らえた旅人の体をベッドの大きさに合わせて切断したり引き延ばしたりして命を奪ったと言います。そういう自分勝手なものさしで、私たちが人を判断し裁いていることはないでしょうか。自分の価値観を相手に押し付けたり相手が変わることを要求したりしていては健全な人間関係を構築することはできません。「プロクルステスのベッド」のような想像力欠如がもたらす没道徳性からは、人を思い遣る心が育つはずがないことは言うまでもありません。
 想像力を養うのに最も有効なのは何と言っても読書です。それも神話や伝説、童話といった夢のある物語をたくさん読むことが大事です。何の本に書いてあったかは忘れましたが、昔ある女性がアインシュタインに、自分の幼い子どもがアインシュタインと同じくらい賢くなるためにはどんな本を読めばいいでしょうか、と尋ねたそうです。「童話」と彼は答えました。「その次は?」とその女性が訊くと、「もっとたくさんの童話」というのが彼の答えでした。

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