見出し画像

発生から17年「JR福知山線 脱線事故」

2005年4月25日(月) 午前9時18分
自宅からほんの1kmほどしか離れていない場所で、未曾有の列車事故が発生した。

兵庫県尼崎市と京都府福知山市の間を結ぶJR西日本の鉄道路線「福知山線」。
塚口駅〜尼崎駅間のカーブにて、宝塚発・同志社前ゆき快速列車が速度超過により脱線・転覆し、線路脇のマンションに激突。死者107名(運転士含む)、500名以上の重軽傷者を出すという、JR発足史上最悪の列車事故となりました。

当時、私は会社員として大阪市内の会社に勤めていた関係で、知ったのはこの日のお昼12時ごろ。
ネットニュースを見た瞬間、「ウソ?!」と声を失うほど、大ショックでした。

地元の人間より、事故を風化させないために。
今回は事故の経緯など専門的な話ではなく、事故後のゴールデンウィーク期間に撮影した現場付近や各駅の様子を紹介します。

※今回は事故後の期間に、コンパクトデジカメや携帯電話のカメラ機能で撮影したものが中心となります。
また、事故現場の様子を避けるなど、心理的に衝撃を受けない範囲で紹介します。

撮影は2005年4月30日〜5月4日の間です。
当時の私は撮影技術が無いに等しい状態であったため、構図や画質の程は何卒ご容赦ください。また、一部画像については「ぼかし」などの加工を行っています。

【本件の呼称について】
この事故についてJR西日本は「福知山線列車事故」、一部地元メディアは「JR宝塚線脱線事故」(JR宝塚線:大阪駅〜篠山口駅間の路線名称)など、各社局で呼称が分かれています。

間一髪で免れた二重事故

事故現場は、急カーブ横に建っているマンション。元々旧線路(尼崎方面)だった土地に2002年に建てられたものです。
その南側には、踏切があります。
事故発生当時、踏切を渡っていた女性が事故に気づき、緊急ボタンを押したそうです。
実は、ちょうど山陰方面へ向かっていた特急列車が、当該列車とすれ違う直前。この付近での通過がもうちょっと早ければ、巻き添えを食らうところでした。
(現在は緊急発報ボタンという、付近を走る車両を一斉停止させるシステムがあります。しかし事故当時はそのシステムはありませんでした。)
女性の咄嗟の判断が、二重事故を免れたとも言われています。

当該列車とすれ違う直前、事故現場手前の踏切で緊急停止した特急「北近畿」
※現在の「こうのとり」
女性の咄嗟の判断で、二重事故を防いだと言われている
特急「北近畿」の後ろには、快速列車も止まっていた
現場付近の道路には、現場を見ようと来た車が縦列駐車していた

ちなみに事故発生後から、付近の「日本スピンドル尼崎工場」従業員の皆様も、乗客の救出や病院への搬送などを支援したと言われています。

塚口駅付近に留め置かれた列車

当該列車の真後ろを走っていた大阪ゆき快速列車
現場のすぐ手前で止まり、しばらくこの場所に止められていた
上の写真と向かい側の方から撮影
フェンスには犠牲になった方々への花束が添えられていた
JR塚口駅北側の踏切より
右側の普通列車がホームに止まったままの状態

なお、事故直後から1ヶ月程は現場検証と合わせて、警察から「保全命令」を受けていました。
上の写真の通り、尼崎〜宝塚間で停められた列車は、保全命令中は一切動かしてはいけなかったためです。

あまりにも酷かったマスコミの報道体制

この事故の報道は、あまりにも酷いことが多かった時でもありました。
事故後にヘリコプターが何機も低空で飛んでいたり、記者会見では新聞記者によるJR関係者への暴言など目に余るものがありました。
このため、現場付近ではプロペラなどの音で救助活動に支障をきたしたというのだから、困ったものです。

それと、現場横には倉庫(もしくは工場)のスペースを使って、アナウンサーや記者による現場レポートも行われていました。
場合によっては、現場西側のマンションの通路から中継していた局も。(迷惑なケースの一つ)
その時のマスコミ報道の様子も撮影してました。

現場横では、在阪各局が現場からレポートしていた。
各局のテレビカメラがクレーンを使い、上から現場を映し出していた

復旧作業が始まるまでの間、現場付近はずっとこのような状況でした。
事故とは無関係と思われる検証までしていたテレビ番組もあり、マスコミならではの「異常」な光景も見られました。
各局には報道体制への反省を、と言いたいところですが、誰もがビシッと言えず難しいでしょうね。

事故後の各駅の様子

事故直後から運転再開(6月中旬)までの間、尼崎〜宝塚の間は不通。列車が一切通らない塚口〜中山寺の間の駅は閉鎖となっていました。(宝塚駅より北側の区間は運転)
列車が走らないということは、買い物や通勤・通学ができないということ。
日常の賑わいは一切なく、異常な程に静まり返っていました。

伊丹駅の改札の様子
不通を知らせる看板で改札を塞いでいる他、
行先案内は「調整中」の文字が表示されたまま
券売機は使用停止の状態だった
こちらは塚口駅の入口
不通を知らせる貼り紙がある

このような状況だったため、例えば伊丹駅東側の「ダイヤモンドシティテラス」(現在のイオンモール伊丹)では、買い物客が減っていました。
他に当時は猪名寺駅も見ましたが、静かすぎて呆然としました。(撮影は失念しました)
列車が通らないと、ここまでなってしまうのか、と。活気がなくなり、周辺店舗は閉店されてしまうのでは、という懸念もあった程です。

さらに言うと、不通期間中は阪急電車・阪急バス・尼崎市バス(現在の阪神バス尼崎市内線)・神戸電鉄などへの振替輸送が行われており、異常な混雑ぶりでした。
(朝ラッシュを中心に、積み残しなどで遅延がずっと起こってました)
不通期間中は「早く復旧してくれないかな」とずっと思いながらの通勤でした。

このような貼り紙も

現場手前に陸橋(名神高速・山手幹線)があるのですが、この陸橋下にこのような貼り紙がありました。
今までブログ等に出すことがなく、どうでもいいかと思ってましたが…
せっかく撮ったので紹介します。

誰が、どういう意図で書いたかは、もちろんわかりませんが…
カーブ上に駅があれば止まれるだろうという発想なのか、どうなのか。
まぁ、非現実的なので、これは軽く流してください。

事故を風化させないために、できること

事故の詳しい原因や背景は記事末尾のリンクから参照いただくとして、
大きな原因は「余裕のないダイヤを組んだこと」「乗務員への無意味な懲罰制度」じゃないでしょうか?(ここでは、これ以上の追求はしません)

それと、怪我をされた方々が「生きてることが申し訳ない」など罪悪感を持ったり、
遺族の後追い自殺など、遺族や怪我をされた方々の心の傷は計り知れないほど深いです。

実は事故発生の1年半程前まではJRの新快速で通勤していたのですが、
「すぐ遅れる」「事故や故障でよく止まる」
ことで、現在の阪急沿線に引っ越した経緯があります。
遠距離だったのもありましたが、JRでの通勤は流石に「限界」と思ったわけで、判断としては正しかったと思っています。
しかし、まさかJR史上最悪の事故が、しかも近所で起こるとは思っていませんでした。

西宮名塩駅の券売機横に設置されたミニバルーン
4.25を風化させない取り組みの一つとして、ブックマークが無料配布されている

あれからJR西日本は、「余裕のあるダイヤ編成」「懲罰制度の廃止」など見直されて来ています。
しかし、我々利用者にもこれらできることで、遅れや事故を防ぐことができます。

  • 駆け込み乗車をしない(時間に余裕を持って乗車)

  • ホームの端を歩いたり、歩きながらのスマホなどを操作しない

  • スムーズな乗り降り(乗った直後、降りた直後にドア付近に固まらないなど)

  • 踏切の無謀な横断をしない

地元で起こった事故ということもあり、忘れるどころか、忘れてはいけない。
これをブログやSNS、リアルな場で伝え、共有し、みんなで事故を起こさないという空気を作っていかないといけないのではないかと思います。
まずは、自分の発信・行動から。

全ての公共交通事業者への安全運行と、事故でお亡くなりになられた方々へのご冥福、怪我をされた方々へのお見舞いを込めて…
合掌。

※尚、事故原因や背景などについて、詳しくは下記ページをご覧ください。

お読みいただき、ありがとうございました。
よろしければ「スキ!」、もしくはご意見・ご感想などお寄せいただけると嬉しいです。

私自身の作品づくりはもちろん、カメラや写真の明るい未来を信じて活動します。 いただいたサポートは、喜んで有効に使わせていただきます。