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「国民こぞって」への違和感

今年は、年号が変わる(天皇が変わる)ことが事前に分かっていたためか、ゴールデンウィークの真ん中、5/1が祝日になり、祝日法の適用で、前日も翌日も祝日になり、十連休になる

と知ったのは、先月末。 
 

ちなみに私の職場で、十連休が話題に上がったのは、ついこの間である。

カレンダー通りの休みでない職場だと、ゴールデンウィークだろうが、シルバーウィークだろうが、関係ない。
むしろ、仕事としては忙しい日が続くことになるのでしんどい。

「十連休とかまじどーでもいい」
そう思っていた矢先、こんな新聞広告が目に入った。

▲某地方紙の一面に載っていた

これは圧力だろうか?
「国民こぞってお祝いしましょう
 そのために、即位の前後は大型連休にしました」

そんな風に見える。


「国民」って言葉が使われるのは、祝日法でも。
祝日は建前上は、「国民の」祝日。

めったに祝日に休めない仕事に就いている私のような人は「国民」からは外れているのだろうか。

いや、でも、「国民の休日」っていうぐらいだから、本来その日は九割九部九厘、ほとんどの「国民」が休んでしかるべきではないのかしら。

もう20年ぐらい前、イースターの時期に、ニュージーランドへ行っていたことがある。

キリスト教圏では、イースターの時期に、驚くほど働いている人がいない。不便だけど、仕方がないし、みんなそれは大前提で動くからさして混乱もない。

脱線してしまった。
しかし、休日ですら「国民の」といいつつ、「国民」の多くが取れないこの国で

「国民こぞってお祝い」
ってなんなのだろう…と思う。
 
 
祝いたい人もいる。
そういうことが嫌いな人もいる。
全く関心が無い人もいる。
それぞれ一定数いると思われる。
 
もはや、働き方も、暮らし方も、好きな音楽から、余暇の過ごし方まで千差万別、多様なことが当たり前のこの平成31年に

「国民こぞって」

これをなんだかとても古くさいものに感じた。
そして、関心の無い自分を思った。
 
  
「国民こぞって」
それに私は合意しかねる。
だって、どうだっていいのだもの。

正直、今生天皇にも思い入れが無いし、次の天皇にも思い入れが無い。会ったことも無い人だし。

そういうことを言いづらくさせる広告だなと思った。

なんせ
「国民こぞって」
 

ふと戦前のことを思う。

「国民はこうすべき」
というものがあって
「自分はそうは思わない」っていう人が
「非国民」と呼ばれていたのかなと思った。
 

「非国民」
その空気を、この広告で一瞬感じた。

きっと政府広報に「そんな意図はない」のだろう。

それが、怖い。
「そんな意図」なく、こういう広告を全国の新聞にうてるのは、「天皇の事で国民は一つになる」という感覚でいるからだろう。
 

平気で、こういうことをできる感覚が怖い。
いつか
「国を守るために国民こぞって立ち上がろう」
とか言われそうで怖い。

「いや、そんなの興味ないし」
って言ったら、きっと言われるんだ。
 

「非国民!」

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