そのイスは誰の為にBy南雲すみ

   無事、二年生に進級できました。南雲すみです。
 文学部のnote.更新が始まって早9か月が経ちました。光陰ナントヤラ。

 さて、社会における人々の役割や立ち位置というのは、時々「イス」に喩えられることがあります。僕が今座っているイスの一つは、「松本深志高校二年生の一人」です。たとえ僕がこのイスに座っていなくても(一年前入試で落ちたとしても)、僕とは違う誰かが座っているはずです。

 つまり、ここでいう「イス」とは「社会的に用意された」という感じです。よって、「深志高校文学部の一人」は「イス」ではないということですね。その立ち位置に、僕以外の誰かが入る理由はないですから。

 ここである状況を想像します。あなたの家にある男がやってきました。曰く、「とある罪人の死刑が執行される。このボタンを押せばすぐに死刑を執り行うことができる。あなたはこのボタンを押すために国民からランダムに選ばれた」と。そこに付け加えるように男が言う。

「勿論押さないという選択肢もある。その場合、隣の住所の人間にその権利が移る」

 皆さんだったらどうしますか? こんな荒唐無稽なシチュエーション、考えるのも無理な話ですが。これも、公的に用意された「イス」を取り扱った話です。

 あなたがそのイスに座らなければ、隣人が座ることになる。その隣人が拒めばまた次の隣人に……。いつの間にか罪人は老衰で死にました。どんな結末がお好みですか?

 イスが用意されているだけありがたい話です。人生というのは、自分でそのイスを勝ち取らなければならない「イス取りゲーム」なのですから。残酷な話です。イスに座れた者は、イスに座れなかった者のことを考える暇もなく、次のイスに座らなければなりません。

 僕もそんな「イス」に座っていることに日々感謝しながら、三角関数と向き合います。
                        By(文系の)南雲すみ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?