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殴り合いに勝ちたい

究極のエンタメについて考えてみた。

合ってるか分からないけどエンターテインメント=刺激と一旦定義して考えてみた。

そうすると誰でも分かる刺激というか究極のエンタメは、殴り合いだと思う。喧嘩と言っても良い。誰かと誰かが喧嘩してるのは最悪なことにめちゃくちゃ面白い。実際SNSとかでも喧嘩の動画に勝てる数字をあまり見たことがない。僕自身ロシア人の喧嘩とかめっちゃ見てしまう。糞みたいな話だ。赤ちゃんでも分かるというか、多分もともと生存本能として、争い・怒り・殺し合い・マウンディングみたいなものに身の危険として関心を抱く、みたいなものがあるんだと思う。不快だとしても、見たくないと言いながらも、見てしまう。炎上とかもそうだし、ブレイキングダウンなんてまさにそうだし、TwitterやSNSなんてそういうコンテンツを知るためのツールみたいになっている気がする。戦争でさえ人間はエンタメとして捉えてるところあるんじゃないかと恐ろしくなる。

ジョブ理論っていうのがあって、どういうものかというと、顧客の課題を分析して明らかにして、それを解決するためにサービスや製品がある、生まれるっていう理論。例えば、道端で喉が渇くという課題を解決するために自動販売機があり生まれましたみたいな。

仮に、人は常に刺激が足りていないという課題があるとして、それを解決するためにエンタメというサービスがあるのだとしたら、もしかしたら戦争は無くならないかもしれない。そういえば、オリンピックの起源って確か戦争よりスポーツで決めましょうよ的な感じゃなかったっけ。これめっちゃジョブ理論的じゃないか。顧客のニーズを分析して戦争(殺し合い)じゃなくてスポーツでもそれ代替できるんじゃないって発想じゃんって思ったりした。

もちろん戦争ってもっと複雑だろうし、一理あるかどうかすら怪しい話をしているけど、おれの中で一回もうこれは正しいとして、殴り合いに勝てそうな、数字とれそうなエンタメって何だろうなというとこをトコトン考えたい。悔しいから。

赤ちゃんでも分かるエンタメ(刺激)って母と父の喧嘩みたいな➖的な刺激以外に、愛みたいな➕刺激もあると思うんだよね。自分の中の1番古い記憶ってそのどっちかもしくは両方じゃない?赤ちゃんでも分かるから刺激として凄いっていうのは短絡的かもだけど、なんか愛というものはやはり可能性を感じる。ただ個人的なエゴとしては、愛っていうのはエンタメにするよりも芸術として昇華したい。だめだ話逸れた。

いやー、エンタメとして音楽で殴り合いに勝てるようになりたい。でも、勝つためには殴り合いのシステムを利用するのも手かもしれない。オリンピックみたいに順位や勝ち負けを作るみたいなシステム。そういう意味で音楽で闘うみたいな。漫才でいうM-1みたいな。こういうシステムは芸術的な思想とは相淹れないところがあるとは思うけど。

アーティストとしての夢とか理想とはまた全く別の話だけどエンターテイナーとしてはとりあえず殴り合いに勝ちたい今日この頃です。

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