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配属ガチャを考える

4月26日の日経新聞で、「「配属ガチャ」の結果に悩むな」というタイトルの記事が掲載されました。

一昔前は、「企業に就職したらどこに配属になるか、いつ転属になるかわからない。決まった配属先でがんばるのみ」という考え方が一般的でした。この考え方も変わり、しばらく前から「配属ガチャ」などと言われるようになってきています。配属先に対する納得感は、働く側の満足・不満により大きく影響する要因になってきたようです。

同記事からの引用です。

どこの部署に配属されるか分からない「配属ガチャ」の結果に悩む人は少なくないだろう。だが、もし新入社員が納得のいかない配属を通知された場合、まずはその配属先で成果を上げることに力を注いだ方が得策だ。

人事側にも配属の意図がある。個人の能力やポテンシャルなどをもとに、今までの実績から最も社内で活躍できると思われる配置を想定して決めている。一方、自分自身の希望は、実業務の経験値ではなく、社員らから話を聞いた中でのイメージにすぎない。そのため、効果的な配属になる確率は人事側の配属の方が高いはずだ。

また、転属願いや転職はリスクが高い。「希望が通らなかったから、すぐに仕事を変える」という行動は、本人の〝甘え〟を少なからず印象づけてしまう。それでは、転職活動もうまくいかず、キャリア形成もできないだろう。

今やりたいことや理想は持っていても、それに縛られずに色々な経験を積むことが大切だ。目の前の仕事に主体的に取り組む過程でキャリアが形成され、新たなやりたいことが見えてくる。自分自身にとってもその配属をどう〝当たり〟にするかを重要視して仕事に取り組むことが必要だ。ただ、どうしても自分には合わないと思う時や体調を崩してしまいそうな時は、無理をせず、違う道を考えることも大切だろう。

大事なことは、自分で自分の道を納得して決める(選択する)ことだ。その先に待ち構えている未来は、どの道を選んでも、良い時もあれば、辛い時もある。そして、嫌だから辞めるのではなく、自分にとって、何が最良なのかを考え、選び、進んだ方がよい。さらにその先に、自分だけではなく、自分のまわりの人や社会を良くすることを目指し、歩んでいけると、人生は開けてくるだろう。

理想に固執せず、さまざまな経験を積んでいく。配属が全てを決定づけるわけではない。社会人のキャリアの大部分は偶発的な出来事から生まれるものだ。現在の仕事に積極的に取り組むことで、新たな目標やキャリアが形成されていく。進み出した道をすぐに変えてしまうのではなく、経験を積み、成長していくことを目指してみてはどうだろうか。

配属というテーマにどう向き合うか。いろいろな切り口がある中で、示唆的な考察の内容だと感じます。

同記事からは、大きく3つのことを考えました。ひとつは、組織(他者)の見る自分と、自分の見る自分は違う、ということです。

組織は、その組織としての付加価値を高めて最終的に利益を生み出すための、全体最適を目指して活動します。それに見合った判断や取り組みが常にできているとは限りませんが、少なくとも、わざわざ損すると予めわかっていることをやることもありません。配属にも何らかの判断理由があるはずです。

全体最適には、「今年度」など限られた期間の組織パフォーマンス最大化ももちろんですが、中長期的なパフォーマンス最大化の視点も含まれています。社員にはできるだけ長く勤続してもらい、その社員が最もよい形で組織活動に資する状態を目指しています。つまりは、個人の視点とも本来矛盾しないということです。

経営や人事には、本人の見えていない、その人材の能力やポテンシャルなどの強みが見えている可能性があります。そして、組織の全体像や、これまでの組織活動の結果の蓄積なども、個人より見えている面があります。個人にとっても利する判断かもしれないという目線で、配属という組織の判断を受け止めてみる必要もあるのだと思います。

2つ目は、組織と個人の対話の重要性です。

上記の前提として、個人の側としては、本人が認識している自身の職業観、キャリア感、能力やポテンシャルを組織に伝えておく必要があります。組織の側に、よりよい全体最適と、自分にとって納得感の高い判断につなげてもらうためです。

組織の側としても、よりよい判断材料を蓄積するため、そして配属後に張り切って職務に望んでもらうためにも、組織側の考え方を伝えながら、各人の状況を聞いておく必要があります。

従業員側の多くが終身雇用を望んでいた環境下では、個人は組織の決定に従うものという前提で、対話なしに辞令の伝達のみで個人を動かそうとしていた会社も少なくありませんでした。従業員の側の終身雇用に対する概念は希薄化しているものの、今でも時々そのような会社の話を聞くことがあります。

従業員は以前に増して、どんな環境変化にも対応し職業生活を生き抜いていけるスキルが身につくことを求めています。従業員に長く勤続して活躍してもらい、最大限のパフォーマンスを発揮してもらうには、自社がそれに値する理由と、本人が職業生活を生き抜く上でのスキルが身につく場であるということを、説明できる必要があります。組織の側は、こうした認識をもって各人とより対話していくことが求められると思います。

3つ目は、配属ガチャも企業勤めのメリットになりえるという点です。

「計画的偶発性」という概念があります。同記事にもあるように、キャリアの大部分は偶発的な出来事から生まれるとされている考え方です。

私たちは例外なく、何らかの固定観念をもっています。普段の意思決定や行動パターンも、自分の固定観念に沿っている部分があります。よって、何の仕事を引き受けるか、誰と仕事をするかについて、自分で自由に選べる環境ならば、自分好みで決めている部分が多いということです。しかしながら、自分好みで選ぶものは、範囲が限られてしまいます。

例えば食事がそうです。自分1人で食べ続けるとなると、多くの人がなじみの飲食店や自分の好きなメニューのある飲食店を繰り返し利用するものです。他の人と食事をすることで、自分1人ではあまり選ばないであろう飲食店にも行くことになり、そこで新たな発見や視野を広げることにつながります。

仕事でも同じことが言えます。個人として独立し動いている場合、仕事選びや人脈形成が同じ領域で固着してしまいがちになります。中には、自分1人であっても常に新しい飲食店を開拓し続けるがごとく、領域を広げていくことを行動習慣にできている人もいますが、すべての人がそういうわけでもありません。

会社員として、何を担当し、誰と仕事をするかをガチャにできることは、収入を維持したうえでキャリアを広げる可能性のあるシステムに乗っかることができるという、メリットのひとつでもあると言うこともできます。

組織の決定事項=自分にとってすべてが善というわけでもなく、同記事にもあるように時には相容れない場合もあります。そのうえで、上記3つの視点などで、配属ガチャに対してより能動的に向き合ってみてもよいと考えます。

<まとめ>
組織の全体最適と個人のキャリア開発との両面から、配属ガチャについて考えてみる。

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