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見返りを求めない芸術でありたい

売れたいという気持ちは、アーティストやクリエイターの多くが持つ感情だろう。私も20代前半ではそういう気持ちを持ったことがあるけれど、根本的には違うなと感じていた。だから私の口から、メジャーデビューや紅白歌合戦出場などの夢を語ったことはないと思う。メジャーへ行ったら好きなことをやらせてもらえなさそうだと思っていたからだ。私は皆んながやっていなさそうなことを見つけて、好き勝手にやりたいのがある。言ってしまえば、とんでもなく自己中なやつ。そもそも皆んな一緒みたいなのがあまり得意ではない。同じであることを求められる学校生活の12年間は、かなり苦しかった。でも皆んなと違うことをすると、どうしても最初は一人になってしまう。その寂しさや、前に人がいない不安や、やっぱり誰かには認めてもらいたい気持ちが入り混じり、今思えば本当は行きたい場所があるのに、常にブレーキを踏んでいるような感じだったのだろう。

だから私にとって本当に必要だったのは、誰かからの承認ではなく、一人になる覚悟だった。これは山にこもって世間との繋がりをシャットアウトするとかではない。誰にも認めてもらえなくていいから、やりたいことをやるという覚悟だ。やりたいことを自分勝手にやるのだから、見返りは求めないようにしなければバランスがおかしくなる。個性を売り物にするアーティストやクリエイターが売れたいのに売れなくて苦しいという気持ちになるのは、このバランスが崩れてしまっているからだろう。本来、見返りがほしいならば個性ではなく、多数派の要求に答えられる平均的なものを提供しなければならない。

私は芸術を心底愛しているけれど、同時に大したものではないと思っている節がある。水や食料や服や家具や家などの方がよっぽど重要で、生きていくためには必要ないものって言ったら怒る人もいそうだけど、私はそう思っている。生活に困窮している時にほしいのは千羽鶴ではなく、やっぱり食料だ。芸術とは、絶対的な平和の上で成り立つものだということを忘れてはいけない。だから自分たちは生きていくために必要ないものを提供できるほど、平和な世界で存在していられる社会に感謝をしていないとどんどんバランスが崩れていき、わずかな応援では物足りなくなっていってしまう。私はこの12年間、芸術家として生きながらえさせてもらいとてもありがたいと思っている。そしてこの先やっていけなくなったとしても、必要ないものだったとして消える覚悟を持っている。娯楽である芸術なんてそれくらいのものだし、それくらいのものであってほしい。

だからよく応援してほしい、お金を落としてほしいという言葉が散見されるけど、そもそも好き勝手にやっていることであり、生活に絶対必要なものではないのを踏まえると、言ってることとやってることがチグハグで苦しいだろうなと思う。お金を落として応援してくれないと続けられないのは事実ではある。でも私は好き勝手にやっているし、たかが娯楽なんだから、応援されなくても貧乏でも仕方がないと思っている。見返りは受け身であるべきで、要求するものではない。だから応援してもらえるのが奇跡であり、不思議であり、今のところ存在していてもいいんだなとありがたく感じている。

そんな風に考えるのは、私には10年間ただひたすらに絵を描き続けていた子供時代があるからだと思う。見返りを求めず、好き勝手に作り続けていたあの頃の自分に戻りたいのだ。売れたいという葛藤は、世間を知った大人の自分があとから作り出した虚像であり、私が本来何かを作り出そうとしたきっかけではない。だから大衆に売れないという理由なんかで愛する芸術を手放したりしないように、子供の頃のように私と芸術が仲良く手を繋ぎ続けられるように、大人の自分があとから流されて付け加えた気持ちは、こうして定期的に排除しておかなければならない。しょっちゅう喧嘩別れしていたけれど、最近になってようやく同じ空間にいても喋らないままで平気なカップルみたいになってきている。この先も純粋に芸術を愛し続けられるように、私は好き勝手にやりたいと思う。たとえ共倒れしたとしても。

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