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私の処方箋

今の暮らしになってから1年半以上が過ぎた。ここでの日々は静かに、穏やかに流れていく。ありとあらゆる存在が私を支えてくれているおかげだろう。打ち寄せる波の音も、どこまでも続いていく地平線も、季節と共に色を変えていく山々も、朝陽と共に歌い始める鳥たちも、今日は天気がいいねとご近所さんと交わす会話も、おまけでもらった干物も、日常の中にある全ての出来事が私の支えとなっている。

以前の私の支えは音楽しかなかった。だからこそ音楽へ注げたエネルギーは多かったし、できたこともたくさんある。でも柱は1本だけでは支えきれないように、音楽という柱へ寄りかかり過ぎてしまい、ある時ポキっと折れてしまった。一度折れてしまった柱を治すには時間がかかる。傷跡は残るし、完全に元通りにすることはできないだろう。だからこそ、折れないようにするために優しくなれるし、ゆとりを持てるようになったと思っている。


私は今でも躁鬱の薬を飲んでいる。100mgと少量だけれど、ブレーキ役になっているのを感じていて、いつかはそのブレーキを完全に外したいと思っている。なぜ外したいのかというと、波のない人生はつまらないからとかではなく、薬の代わりが見つかりつつあるからだ。わざわざ医者からもらわなくても、その辺に転がっている。増えすぎた観葉植物も、描きまくっている風景画も、長すぎるこの文章も、私にとっては薬なのだ。

躁鬱で一番不安なのが、今までと変わってしまうこと。躁になればやりすぎてしまうし、鬱になれば何もできなくなってしまう。だから心の中では、変わってしまうのではないかという恐怖が常につきまとう。でも、私の中でその恐怖心が薄まりつつあるのは、たとえ自分自身が変わってしまっても、変わらないものの存在が増えているからだと思う。自分がどうなろうが、世界は何の問題もなく回っていく。今日も海や山は美しいし、干物はおいしいし、野良猫たちは元気だし、観葉植物たちはすくすくと育っているし、ギターを握れば音が出る。そういった変わらないものに囲まれているおかげで、私は安心して躁鬱の波に身をゆだね、揺れていられる。

時として、自分が頑張らなければ回っていかないこともある。だから大事なのは、自分が頑張らなくてもいいことをたくさん持っておくこと。自分が頑張らないといけないことなんて本当に一部分で、ほとんどのことが勝手に回っている。世界は本当によくできている。それに気がつけた時、虚しさよりも安心感の方が大きかった。私がどんなに荒れ狂っても、変わらない世界があるのだと。

1本しかなかった柱は、今では100本以上になり、これからも無限に増えていくだろう。薬は何も医者からもらうものだけが全てではない。いくつもあっていいし、自分で作ってもいい。そうやって私は私に合う処方箋を作り続けていきたいと思っている。

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