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私のポンコツバッテリーの使い方

まるで水の底にいるかのような重たい身体を、地べたに横たえる。胸が締めつけられているせいで上手く呼吸ができず、脳に充分な酸素が行き渡らない。1秒先のことを考えるだけで精一杯。冷蔵庫の中にあった納豆や豆腐やレタスなどの調理しなくてもいいものを機械的に食べ、また地べたに横たわった。この傾いた世界を見るたびに私は、自分が躁鬱だったことを思い出す。

風景画展の準備のために大量のエネルギーを使い、バッテリーが切れてしまった。しばらくはコンセントに繋いで充電しなければならない。私は自分の鬱をそんな風に考えるようにしている。勝手にエネルギーを使いすぎて勝手に動かなくなる、ちょっと使い勝手の悪いバッテリーだ。躁鬱だと自覚してから1年半以上が経ち、ようやく自分のバッテリーがどんなものか分かってきている。SNSはどうしてもキラキラしているように見えてしまうから、たまにはちゃんとポンコツなところも見せておかないとね。

どんなものでもバッテリーが切れたら充電するしかないはずなのに、それが自分となると素直に充電できなくなる。スマホがまだ10%しか充電できてないのに、そのまま仕事へ持って行っちゃうみたいな。そんなセルフパワハラをしていると、弱っている自分を労ってあげられない自分への自己否定が始まる。自分が労基へ通報しに行き、自分が怒られるのだ。だから私はバッテリーが切れたら、とにかく充電するようにしている。


どんなに身体が動かなくても、制作はするようにしている。調子が良くなければ作れないみたいにしてしまうと、ずっと良くしておかなくちゃ!というプレッシャーを感じてしまうからだ。ベストコンディションを保つのではなく、ベストコンディションじゃなくてもできるくらいハードルを下げておくのが私のやり方。ライブのツアーをしていた時、声の出が悪い日はそればかりを気にしていたけれど、人間なのだから悪い日があって当然で、悪い日は悪い日のベストをやればいいのだと今は思えている。やりたいことを3割できていればOK。プロ野球選手でさえ、3割打者が超一流と呼ばれる。そうやって3割打率を1年半繰り返してきた結果が、今回の風景画展に繋がっているのだから充分だ。

創作をしていると、自然と鬱は抜ける。薬の代わりにもなっているのだろう。動くようになった身体を外へ連れ出し、海へと向かう。青い空と青い海の美しさに思わず息をのんだ。躁鬱でメリットがあるとすれば、切り替わる度にいちいち感動できることかな。自分が生まれ変わったような感覚を人生で何度も味わえる。前よりも海はキラキラして見えるし、人と話す喜びも増す。地べたに横たわって見る世界に絶望したり、全てが美しく見える世界に感謝したり、なんだか忙しい人生だけれどまあまあ悪くない。


そんな人生3割打者の風景画展&ライブがあります。よかったら伊東へ遊びに来がてらお越しくださいませ。

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