普通って何?映画「ニモーナ」でマイクロアグレッションを知る
映画「ニモーナ」観ました!
モンスターを倒すため、騎士たちが女王を守る世界……というと一見ファンタジーなのですが、本作の舞台はRPGぽい雰囲気を残しつつ、高度に科学技術が発達しています。サイバーファンタジーってかんじ。
主人公バリスター・ブラックハート(ひげのおじさん。終始子猫のごとく目がウルウルしている)は庶民の生まれながら、恋人のアンブロシウス・ゴールデンロイン(金髪のイケメン。人気者)とともに日夜訓練を頑張ってきた。(ちなみにこのふたりはここぞとばかりに作中いちゃいちゃしている)
しかし、騎士として任命された日、バリスターは女王殺しの犯人として王国を追われます。バリスターは決して犯人ではないのですが、国中が彼を「敵(ヴィラン)」と決めつけてくる状態。
そんななか突然現れた赤い髪の少女、ニモーナ。
彼女は怒りっぽく、おしゃべりで、変幻自在に自分の形を変えることができる人外の存在――いわゆるモンスター。
バリスターなら嫌われ者の自分の味方になってくれると思い、相棒を申し出て、破壊や復讐をそそのかします。
バリスターは無実の証明を目指してあれやこれや奮闘するのですが、世間の目はなかなか変わらず……。
感想
少しネタバレあるよ!
ニモーナのすべてがかわいかった。すごく好きな要素が多くて、好きを通り越してちょっと怖かった。見透かされている……?(何を)
バリスターとアンブロシウス、絶対つきあってるじゃんと思ったら、本当につきあっていた。見落としでなければ、ふたりが同性愛者であるということは作中では特に言及されていません。そこがよい。
ニモーナが変身して戦うところの気持ちよさといったらない。せめてそこだけ観て。かっこいい。「自由!」って感じ。我々は何にでもなれるし、何になったっていいんだ。
バリスターは序盤、ニモーナに対して無意識に「普通の女の子でいること」を強要する。「みんなが俺みたいに寛容じゃないんだから」と不寛容な言葉でニモーナを何かの枠に押し込めようとする。「女の子の姿でいたほうが楽だろう」というバリスターに対してニモーナは言う。「誰にとっての楽?」
ヴィラン扱いされるなかでだんだんバリスターがニモーナの孤独に寄り添っていく。皮肉だなあ。
アンブロシウス、一見クールなイケメンなんだけど「バリスターはずっと恋人である自分を騙してたってこと!?」という想いと同じくらい、ニモーナに対して「あの女だれ!?」となっていてかわいかった。情緒が忙しい。
作品を観ているなかで、「マイクロアグレッション」という言葉を思い出した。語弊を恐れずにざっくり言うと「無意識下の差別行動」のことで、たとえば下記が該当する。(もちろんシチュエーションや文脈にもよるので、言葉そのものを発していけないというわけではない)
「女性なのによくできるね」
「どこの国から来たの?」
「若いのに偉いね」
「日本語うまいね!」
「将来はいい奥さんになれるね」
「年だから無理でしょ」
世の中のほとんどの差別はきっと悪意がない。「自身の中に悪意はないから自分は差別はしていない」と思い込むことの恐ろしさを考えます。
本作は第96回アカデミー賞長編アニメーション賞にもノミネートされています。(受賞は別作品でしたが)
Netflixを契約している方はぜひ観てみてください!
最後に、この映画を観終わってからふと思い出した曲。
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書いてみたいもんだぜ……いい文章、ってやつを、サ。