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写真も撮れる“取材ライター”は生き残れるのか?現役15年以上のリアル

 もはや文章を書くことだけがライターの仕事ではない——。Webメディアで求められるスキルは多岐にわたるが、とくにここ数年で賛否両論ありながらも「写真も撮れるライター」の活躍の場が広がっているように感じる。

 誰もが生き残りをかけて熾烈な競争を繰り広げているなか、「取材ライター」向けのノウハウやアドバイスに「撮影」スキルをオススメする記事をよく見かけるようになった。そこで、僕自身の15年以上の経験をすこし書いてみたい。メリットも大きいが、苦労も少なくなかった……。


誰もが生き残りをかけて…

※写真はイメージです。以下同

 僕は現在、週刊誌系Webメディアに所属しているが、今風の言葉を借りると「取材ライター」ということにもなるのだろうか(自分ではいろいろひっくるめて「ライター」だと思っている)。

 15年以上前になんとか出版業界に潜り込んで以来、ストリートスナップをはじめ、水着グラビアや各種イベントリポート、インタビューのポートレート撮影など、現場で“写真も撮れる”編集者・ライターとして活動を続けてきた。

 そもそも「取材ライター」や「インタビューライター」という呼び方が登場したのはごく最近である。AIの技術が発達し、将来は在宅で情報を調べて書くことがメインの「SEOライター」は仕事が減るなんて噂が囁かれるなかで、現場での取材やインタビューによる“オリジナリティ”が強みになるうえ、ギャラの単価が上がるかもしれない……恐らく、そんな狙いがあるのではないだろうか。

あえて「写真も撮れるライター(編集者)」と名乗るワケ

ライカを構える筆者(藤井厚年)。ちなみに取材の現場でライカを使ったことは一度もない(笑)

 Webメディアでは編集者やライターが取材の現場で写真を撮ることも珍しくなくなっているので、今さらこんなことを言う人も少ないと思うが、数年前にはTwitter(現X)で「ライターは写真を撮るべきではない」と炎上したこともあった。

(現在は副業で写真を撮る人もたくさん出てきて、カメラマン同士が「本業 VS 副業」で口論しているのも目にするけど……)

 シンプルに「クオリティがひどい(写真が下手)」のほか、プロが機材にめちゃくちゃ投資しているなかで、安く撮影の仕事を請け負うことで「プロのカメラマンの仕事が減る」「ギャラの単価が落ちる」。僕も過去に「今後お前みたいなのが業界に増えていくと困るんだよ!」と怒られた経験がある。

 とはいえ、僕だって変化が大きい今の時代を生き残るのにめちゃくちゃ必死だし、写真を撮ることをヤメようなんて一度も思わなかった。

 それは前にもnoteで書いたとおり、学生時代に“メディアの世界(出版業界)に入ろう”と思った理由のひとつが「写真」だったから。10代の頃からカメラが趣味で、一眼レフを片手に東南アジアを旅している途中、貧困に苦しむ現地の人から「撮って世の中に伝えてくれ」と言われたことをきっかけに、もしかすると編集者やライターではなく、カメラマンになっていた可能性だって大いにあったのだ。

 結局は自分なりの信念をもって続けていれば、次第に何も言われなくなる。

 当然、クオリティでいえば「餅は餅屋」は疑いようもない。僕は機材も貧弱なので、取材先や被写体、クライアントからなんらかの要望があっても全部は応えられない場合もある。そのため、プロのカメラマンに対するリスペクトも含め、なるべく“適材適所”で競合しないように、僕は自らを「カメラマン」とは名乗らず、あえて「写真も撮れるライター(編集者)」などという表現を使っている。

好きな媒体の“適材適所”に幅広く当てはまるように…

 僕は10年近くフリーランス(業務委託も含む)で生計を立ててきた。企画全体の指揮をとる「編集者」として仕事をする機会も多いのだが、クオリティとコストのバランス調整に頭を悩ませてきた。

 文と写真のどちらで魅せるのか。たとえば、全体のクオリティにおいて写真が重要なファッション雑誌だったらカメラマン、文が重要な週刊誌や実話誌だったらライター(記者)にコストをかけるのは当然である。

 編集者(媒体側)はクオリティとコストのバランスを見ながら、どこでどういう人が必要になるのか、“適材適所”を考えている。僕はどちらの立場も行き来しながら、好きな媒体の適材適所に幅広く当てはまる人間を目指してきた。

 その媒体でライターにはどんな写真が求められているのか?

 過去に僕が受注した撮影込みのライター仕事で、編集部からは「ピントさえ合っていればいいよ」と言われたこともある。

 言葉の表面だけで受け取るとテキトーな指示だと思われるかもしれないが、編集者の真意としては、現場で起きた出来事(事実)がきちんと伝わればいい、取材の記録や証拠として写真がほしいということだ。つまり、すべての場面でファッションやグラビアページのようなクオリティの写真が必要なわけではないのである。

甘くはない現実と苦労「写真はシャッターを押すだけではない」

 ここまで書いてみて、なんだか要領良く生きてきたと誤解されそうなのだが、少なくとも雑誌界隈では「写真も撮れるライター(編集者)」は少数派だった。裏を返せば、すべて手探りなので、苦労も多かった。ここからは、そんなに甘くはない現実についても触れていきたい。

 前述のような「ピントさえ合っていればいいよ」みたいにカメラを持っていれば誰でもできるような“シャッターを押せばいいだけの仕事”とは限らないし、プロのカメラマンがいるなかで、あえて“自分”を選んでもらわなければ意味がない。

 たとえば、現場で求められる動きとして、編集者に言われなくても必要な写真を逆算して撮っておくことだ。

 編集者は取材先だけでなく、間に入っているマネージメント会社や広告代理店、撮影場所となっている施設の担当者など、やりとりしなければならない相手が多い。現実としては「写真はお任せします」に近い状態となってしまう場合も少なくないのだ。そこで、ライターならではの機転をきかせる(僕の場合は編集者でもあるけど)。

 ただし、場数を踏んでいるプロのカメラマンならば、すぐに状況から判断し、間違いのない写真が撮れるだろう。果たして、カメラを持っているだけのライターにそれができるのだろうか?

 最近のカメラは性能がいくらあがっていると言ったって、シャッターを押すだけで勝手に写真が良い感じに仕上がるわけではない。一緒に仕事をしている人なら知っていると思うけど、僕は今でも自分が写真を撮る場合、遅くとも1時間前には現場に到着してひとりでロケハンを行っている。だからこそ、集合した直後に「写真はココでこう撮りましょう」と言えるのだ。

 つまり、きちんとクオリティを担保しようと思ったら、それなりの準備が必要なのである。

 取材先からレタッチの指示が細かく入る可能性もある。紙媒体ならば印刷所にお願いするという手もあるが、総じて予算の少ないWebメディアでは、自分でやらざるをえないかもしれない。自分がどこまで対応可能なのか。編集部から別料金を払ってもらえばできるのか、そもそもレタッチ自体ができないのか。トラブルを避けるためにもあらかじめ相談しておいたほうがいいだろう。

労力は確実に増えるが対価は微妙?

 実力未知数のライターに“おいしい仕事が急にまわってくる”なんてことは基本的にないと思っていい。大小さまざまな企画があるなかで、“プロのカメラマンがやりたがらない仕事”だってある。プロのカメラマンがやりたがらないならば、僕がやりますよ、というスタンスで徐々に示していくしかない。

 詳細は控えるが、それを“修行のつもり”でレギュラーで引き受けるなどして、僕は地道に励んできた。単刀直入にいえば、お金の面である。

 現場でライターとして誰かの話を聞いたり何かを体験したりするだけでなく、写真も撮るわけだから、それだけ体力と精神力がいるし、“頭のチャンネルを切り替える”必要がある。(自分の場合は、“頭のチャンネルを切り替える”のがストレッチみたいなもので快感なんだけど)普通の人にとっては「めちゃくちゃ大変じゃん!」と喉元まで出てきそうになるはずだが、そのぶん、しっかりと対価が支払われるのかといえば、そんなわけがない。

 編集部の本音としては、プロのカメラマンに発注するだけの予算がない、あるいは少しでも節約したいというネガティブな事情があるなかで、ライターに写真までお願いするケースがほとんどだろう。

 僕自身、引き受けたからにはやるものの、最終的に「これじゃあ、ぜんぜん割りに合わない」って嘆いた仕事も数えきれない。出版不況が続くなかで「生活が維持できない」と業界を去ってしまったライター仲間も少なくないが、ぶっちゃけ(いや、ぶっちゃけるまでもなく)よっぽど大手をのぞいて、雑誌もWebメディアも予算は厳しくなっている。

「媒体側はしっかりと労力に見合った対価を!」

 定期的にプチ炎上している問題だけど、これは僕がメディアの世界に入った当初から言われていることでもある。労力に見合った対価が払われるべきだと思う。しかし残念ながら、斜陽産業と言われるだけあって、まったく改善されていない。出版社や編集部を批判したって仕方がない。それをわかったうえでもやりたい仕事ならばやればいいし、ライター(編集者)の仕事は、従来の“メディア”の外にも広がっているのだ。

 出版不況とは関係のない広告・PR業界や一般企業のオウンドメディアにおいては“そんなにもらっていいの?”と内心ビビってしまうような予算設定の仕事も存在する。お金はあるところにはある。自分の仕事に価値を感じて、納得できるお金を払ってくれるところを探せばいい。問題は、最初にギャラを提示しない、あるいは後から値下げしてくる“ズルい担当者”がいるってことなんだけど……。業界は狭いので、そういう人の噂は広まっていく。

 さて、今の流れで言えば、写真も撮るライターは確実に増えていくだろう。競争率があがっていくなかで、“安かろう悪かろう”では生き残れないのも事実。ちょろっと撮れるようになってもあんまり意味はないかもしれない。それでもやるのかどうかは自分次第である。

 僕自身としては、書くことだって、撮ることだって、伝えるための手段。なにより表現できる幅が広がるのは楽しい。労力が増えることは間違いないが、場数を踏んで慣れてくれば、むしろ入稿までスムーズになることだってある。もちろん「やってらんねえぜ……」と思った仕事もあるけど、好きが上回っているから続けてこれた。歩んできた道に後悔はない。

<文/藤井厚年>

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