見出し画像

ハンカチ王子ブームと人知れず消えた「王子」

 今でも世間を賑わせる斎藤佑樹投手。2006年の夏、早稲田実業高校のエースとして甲子園を沸かせた。端正な顔立ち、ハンカチで上品に汗をぬぐう仕草から「ハンカチ王子」と呼ばれた。

 流行語大賞にもノミネートされ、巷ではブームに乗っかろうとする「●●王子」が急増。約15年前の出来事にもかかわらず、新しい王子が現在も誕生し続けているのだから、その影響力はすさまじいものだ。

 しかしその裏で、人知れず消えてしまった王子も存在する。コーモン王子だ。誰だそれ……僕のことだ。

人知れず消えた「王子」

画像1

 渋谷系ファッション&カルチャー雑誌『men’s egg』編集部に配属されると、編集長からホーリーネームが授けられる。編集部員は全員誌面に顔出し、原稿まで書くので、芸名やペンネームみたいなものである。

 早稲田大学に進学した斎藤佑樹投手は、相変わらず大きな注目を集めていた。それに少しでもあやかろうということで、僕は「コーモン王子」と名付けられたのだ。

 ホーリーネームは、たいてい下ネタが多かった。意外と思われるかもしれないが(?)、『men’s egg』はエロ本メインの出版社が出している。編集部には、そこらじゅうに自社が出版するエロ本が落ちているぐらいなので、特に違和感は覚えなかった。

 そもそも僕は、小学校1年生の頃から「ケツくん」「お尻」と呼ばれていた——。

 クラスで椅子取りゲームが開催されたときのことだ。友達が次々と脱落していくなか、最後の椅子をめぐる決勝戦に残った。どちらが勝つのか。みんなが固唾を呑んで見守る。

 音楽が鳴り止んだ。わずかに出遅れてしまった。でも、絶対に負けたくない。僕は後ろから思い切り突っ込んだ。その瞬間、誰かが叫んだ。

あー! お尻ー!

 その日から、そう呼ばれるようになったのだ。ひでえアダ名と思われるかもしれないが、困ったことは一度もない。むしろ得したと思っている。

 たとえば、クラス替えや中学校にあがるタイミングでは、知らない人ばかりで不安になるはずだが、「ねえ、ケツくんでしょ?」と声をかけてもらえることが多かった。

 それは、僕が『men’s egg』編集部員としてコーモン王子となってからも同じだった。

女子高生からファンレターが届いた

画像2

 『men’s egg』は“ガチ”の企画が人気だった。バラエティ番組のお笑い芸人さながらに読者モデルたちが体を張り、何かを競いあったり、挑戦したり。雪山で赤フンドシ一丁になるぐらいは当たり前。

 では、なぜ編集部員が顔出しで誌面に登場しなければいけないのか。「さすがにこれは読者モデルには無理だろう……」というものを、代わりに編集部員が体験リポートするのだ。

 たとえばエロ企画ならば、読者モデルがSMクラブでろうそくを垂らされたり、鞭で叩かれたりする。それ以上のプレイは編集部員の役目だった。とはいえ、コンビニに並ぶ一般紙の扱いである。実際の誌面ではカットせざるをえないシーンも多いのだが、とにかくギリギリまで頑張ることで絵に迫力が生まれていたことは間違いない。

 新人時代、編集部に貢献するためにはどうしたらいいのか思案した。その結果、とにかく「NGナシ」を心に決めた。

 そんなことを続けていくうちに、ある変化が起きたのだ。

 渋谷を歩いていると、“キューツー”(渋谷109-2)のアパレル店員らしきギャル男から「コーモンさん!」と声を掛けられるようになった。読者と思われるギャルから「いっしょに写メ撮ってもらえますか?」と頼まれることも少なくなかった。さらに言えば、コーモン王子宛に女子高生がプリクラ付きでファンレターを送ってきたことさえあった。

 自分はたんなる一般人に過ぎないので驚いた。『men’s egg』の人気と知名度を実感した。

「お前が本物のコーモン王子か」

 関東某所、とあるローカルタウンで「ギャルスナップ」に掲載するためのキャッチをしていたときのことだ。何人か撮り終えたところで、強面の男性が近づいてくる。そして、ドスのきいた声で「おい、ちょっと来いよ」と言う。

 この街にはこの街のルールがあるのだろう。これはまずいことになったな……。どうなってしまうのだろう。冷や汗が止まらない。男性に首根っこを掴まれた状態で路地裏に連れていかれた。そこまで1分ほどの時間なのだが、やけに長く感じる。

「説明しろ」

 足を震わせながら事情を話すと、男性の声色が一転。

「もしかして、あのエロ企画によく出てくるヤツか! お前が本物のコーモン王子か。そうかそうか、じゃあ今日だけは特別に見逃してやるよ。まあ、この場所は難しいと思うけどな」

 相手が読者だったことで事なきを得たが、顔と名前(コーモン王子)が知られることは、良いことばかりでもなかった

自分の名前が悪用される

 ある日、編集部に女性から電話がかかってきた。

「すいません、編集部員にコーモン王子って人いますか?」
「はい、私のことですが」
「えっ……」

 少しの間が空いたのち、彼女は「どういうことだろう……」とつぶやいた。困惑している様子だった。よく聞いてみれば、つい30分ほど前に『men’s egg』編集部員のコーモン王子を名乗る男からしつこくナンパをされたというのだ。それで、クレームを入れるべく電話したらしい。場所を聞けば、大阪だった。

 僕は今、渋谷の編集部にいる。大阪までは、新幹線に飛び乗ったとしても約3時間はかかる。ニセモノということは明白だ。

 コーモン王子に限らず、『men’s egg』編集部員の名前を騙るナンパやスカウトなどが各地に出現するようになっていた。

 雑誌の誌面やホームページなどでも注意喚起を呼びかけることになったのだが、自分の名前が悪用されてしまうのは気分が悪かった。

『men’s egg』は休刊に

 あれから時は経ち、『men’s egg』は休刊となった。今では自分がコーモン王子だったことさえ忘れつつある。しかし、スポーツ新聞やネットニュースで「ハンカチ王子」の名前を目にするたびに、甘酸っぱい記憶がよみがえるのだった。

<文/藤井厚年>

この記事が参加している募集

スキしてみて

ライターの仕事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?