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「遠いデザイン」第15話

 七瀬は駅前のロータリーに立ち、途切れることのない送迎車をぼんやりと眺めていた。この日曜から三日間、市内のイベント会場で開催される地場産品フェア。JAの上役が顔を揃える初日だけは顔を出せと、三谷に駆り出されたのだ。同じく頭数にされた部下の車が三谷宅を回ってから、このロータリーで七瀬を拾うことになっていた。

 しかし、フェアに亮子も来るかもしれないと思うと、彼の心は晴れなかった。結局、新しい仕事が発生してから、彼女と会ったのは二回きりだったが、最後に目にした時の印象がいまだに頭から離れない。笑い声が響く打ち合わせブースの中で一人黙ってうつむいていたあの姿が……。

 しつこいクラクションに反射的に顔が向く。なかなか進まない車列の隙間に通信社の車が強引に割り込もうとしていた。落としたサイドガラスの助手席から三谷が手招きしていて、七瀬は慌てて走り出す。後部座席のドアノブに手をかけた時、フェアの広告を車体にまとったバスが背後を通過し、特設乗り場へ車体を横付けた。

「あのド派手なバスは会場直通のシャトル便だよ。ほら、フェアの目的は首都圏のバイヤーたちとの商談だろ。スーパーや外食チェーン、フランチャイズの本部の連中とか。そいつらの足替わりってわけさ」
 三谷はそう言うと、眠気を払うように両頬を叩いて、陽気な営業マンの顔支度にかかる。

 三谷の話では、春先から販売を開始したブランド産品は好調な滑り出しをみせていた。初回、県内にまいた五万部のチラシ、顧客リストをもとに発送したDMからの注文、それにネットショップを加えた売り上げは早くも一千万円を突破していた。次ぎに狙うのは、当然、首都圏マーケットだが、その試金石となるのがこのフェアだった。

 自走式のタワー駐車場にはすでに車列ができていて、三人がイベント会場の正面ゲートをくぐった時には、中央広場ではオープニングセレモニーが始まっていた。恒例の県知事や市長、主催団体代表者らの挨拶に続いて、何発かの花火が打ち上げられた。舞い上がった色とりどりの風船が青空に吸い込まれていくのを七瀬は足を止めて眺めた。

 中央広場を挟んで同型の展示館が並んでいてることから名づけられたツインサイト。今回のフェアでは南館は農畜産ゾーンに、北館は水産ゾーンに当てられ、地場産品でもないのに大手食品メーカーも協賛という名目で何社か出展していた。
 しだいに膨らみはじめた入場者の波に押されながら、三人はJAブースがある南館へと入った。館内は柱のないフラットな空間に迷路のようにブースが組まれていて、三人は西部エリアのプレート表示を探しながら奥へと進む。

 「高濃度水気耕栽培」「有機無農薬スローフード」「ビタミン強化ベジタブル」・・・・・・。そのままトレンド雑誌の食品特集に使えそうなテーマを掲げたブースの前では、コンパニオンたちのすらりと伸びた足が林立していて、入場者に秋波を送っている。
「亮子ちゃんの方が、ずっとカワイイのに」
 背中から聞こえた三谷のにやけ声を振り払うように七瀬は足を早める。入場者のあいだを縫うように進んでいくうちに、遠方に見慣れたシンボルマークがあった。
 筆を横に払った緑と茶の二本線、その上に浮かぶオレンジの円。大地と農作物と太陽を象徴しているブランド産品のシンボルマークが、大きなパネルとなってJAブースの正面を飾っていた。

 ブース内は、中央がブランド産品の展示コーナーとなっていて、霧吹きで水分補給した果実や野菜が並んでいる。トラベルチケットの抽選が行われている入口横には人の列ができていて、手回しの抽選器がカラカラと小さな玉を吐き出していた。奥にはオンラインショッピングの体験コーナーが設けられ、数名がコンピュータのマウスを動かしていた。

 三谷は、少し先のコーヒーラウンジで談笑しているJAの役員たちを目ざとく見つけ、愛想笑いを浮かべつつそちらに走る。七瀬と部下の男も慌てて後について義理の顔見せを果たす。本日の目的を前に、ローからセカンドへギアが切り替わったように勢いづく三谷の声が耳障りで、七瀬は挨拶を済ませると早々にその場を離れた。

 揃いのハッピを着てコーナーごとに立つJAの職員は、来場者の対応に追われていたが、そこに亮子の姿はなかった。
 ほっとする一方で、嫉妬心が芽生えてくる。この休日、デートしているかもしれない亮子の姿、その隣で細い肩に手をまわす男の姿が浮かんでくるが、その顔は不鮮明なままだ。

 いきなり背中を突つかれて、七瀬は飛び上がりそうになる。振り返れば、課長が出入口の方に指を曲げて、これじゃあ、外の暑さと大差ないだろう、と部下にこぼしている。
 昼近くになって団体客が増えはじめた館内は、天井が高いためか冷房の効きが悪く汗ばむほどだった。七瀬も急に息苦しさを覚え、二人の後について外へ出た。

 三人は中央広場にある木陰のベンチに座った。地場産品とどうひっかけたつもりなのか、奥の仮設ステージ上ではカウボーイ姿の男たちがカントリー&ウエスタンを熱唱していた。両側には、ファンシーな装飾ののポップコーン売り場、ホットドックの大型模型を掲げたスナック店、可愛い消防車風のクレープショップなどが並び、どこかのテーマパークを思わせる。たくさんのハトが人の足元を縫って、食べ物カスをついばんでいた。

 やがて、遠方に浮かぶ缶ビール型の気球が目に入って、三人の足は自ずとそこに引き寄せられる。陽光の下、木々の枝葉がアスファルトに複雑な影を落としているその一画は、施設案内のパンフレットには「グリーンスクエア」とあったが、今はビールメーカーの六角形の大型テントに敷地を奪われた格好だ。

 前庭にも白い塩ビ製の椅子と円卓が並べられていて、ローラースケートを履いたウエイトレスたちが、陽光に銀色のコスチュームとトレイを光らせながらテーブルの間を滑り抜けている。
 三人がテーブルに着くと、すぐにオーダーシートを手にした一人が走ってきて、ローラーの乾いた回転音を止める。間近で見ると、宇宙服を思わせる女の胸元には薄型の液晶板が付いていて、このビールメーカーのTVCMがリピートされ続けている。

「おい、やっぱり来てるぜ、関東パブリシティのやつら」
 三谷の視線を追うと、すぐに彼らの見当がついた。人混みの中でも、同業者特有の匂いが感じられるのだ。
「あの黒の三ツボタン、女物みたいに細身のスーツのあの男。あいつが支社の営業だよ」
 その男の両隣には、役割分担でもしたかのように短かめの口髭とあご髭を相互に生やした男が立っている。
「きっと、東京本社のクリエイティブの連中が、視察に同行しているんだろうよ」
 舌打ちする三谷の目つきが険しくなる。

 地方都市では一、二を争う大きなイベント。それを昨年に続き独占受注した関東パブリシティは、固まりだした行政のパイプを伝って、県下のJAを統括する経済連ともつながりを持ち始めている。地方の仕事でも旨みのあるものは東京本社の精鋭がからんでくる。三谷が警戒するのも無理はないと思うと、このフェアの盛況ぶりも手放しに喜べなくなってくる。

 ジョッキの底に少しビールが残っていたが、七瀬は北館を覗いてくると言って席を立った。インフォメーションカウンターで手にした出展企業の一覧に、自宅近の水産会社の名前があったのからだ。展示テーマの欄には海洋深層水を使った商品名が書かれてあったが、練り製品主体の古い社屋でいつからそんな研究をしていたんだろうと興味を引いた。
「そういえば、関サバ、いい目みたねえ。あんた、せいぜいキロ五百円のところが、三千円とはね。いやぁ、うちも、大分県漁協さんにあやかりたいもんだね」
 通りかかった社屋の前で、甲板員上がりの社長からそんな話しを聞かされたのは、昨年の冬だった。

 七瀬は中央広場の人混みを避けて展示館の裏手へと回った。そこは無機質なコンクリートの壁面が続いていて、表側の喧噪とは反対に夏の静寂を映していた。
 前方には、淡いひさしの影を地面に落としながら、搬入口が規則正しい間隔で開いていた。搬入口から建物の奥へ伸びる通路上には機材や段ボール、台車などが雑然と置かれていて、さながら倉庫街を歩いているだった。

 一つの搬入口に差しかかった時、人影を認め、七瀬は足を止めた。顔を向けた瞬間、その柔らかな輪郭にからだが震えた。亮子が立っていた。
 彼女は陽が届かない通路の中ほどに立ち、じっとこちらを見続けている。薄闇の化粧が施された肌は静謐な白さに仄めき、黒い瞳が潤んだように濡れている。匂うような美しさだ。

 七瀬は声が出なかった。
足がほつれるように前へ出た時、亮子は身を返して建物の奥へと歩き出した。目に痛いくらいのコンクリートの反射光の先で、その姿は深い闇に溶け込んであいまいになった。
 


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