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「遠いデザイン」第12話

 壁掛け型のCDチャージャーにセットされた盤が高速で回っている。広がらない音をわずかに反響させているスチール机の上には、Mac製のディスプレイが置かれていて、電源の入っていない画面が二人の顔を冷ややかに映す鏡となっている。
 七瀬が木田萌子のマンションを訪れたのはこれが初めてだった。そこは2LDKの間取りで、玄関からキッチンを抜けた洋室を萌子は仕事部屋にしていた。
 
 室長のカーディラーの仕事で知り合った萌子から、仕事を頼まれるとは思ってもみなかった。大手家電チェーンがT市に初出店する店舗のオープン広告。それはチラシやポスターといった紙媒体だけでなく、テレビやラジオといった電波媒体もからむ予算の張るものだった。元請けは地元の印刷会社だったが萌子はそことは古いつきあいらしく、これまでも地味な仕事をコツコツとやり続けてきたらしかった。
 
 床の上にはイラストレーターで描かれた奇妙な動物の出力紙が散乱していて、萌子はさっきから一枚一枚、顔を撫でつけるように近づけて動物絵に微笑みかけている。
 この部屋に通されてから、どこか居心地の悪さを感じていた七瀬は折り畳み椅子をフローリング張りの床へ広げながら、「キャラクターにからむキャッチだけでいいんだよね」と、昨日、電話口で告げられた要件を復唱した。

「電マル、っていうの、この子。電化都市に住む知的生命体」
 パステルピンクのキャミソールを着た萌子が、薄笑いを浮かべつつ消え入りそうな声でしゃべり出す。
「頭から突き出ているこのプラグをバカでかいコンセントに差し込んで、ゴックン、ゴックンと、ジュースみたいに電気を飲むの。一人っ子だから、性格は内気でちょっとわがまま。胸に内蔵されているメール発信装置で、相手に自分の気持ちを伝えられるの」
 
 自分が生んだキャラクターへの異常なまでの思い入れが伝わり、七瀬はこれからこの奇怪な動物に付けなければならないキャッチフレーズが震えてきそうだった。
 萌子から手渡された出力紙をパラパラと捲ってみた。頭に二本のプラグを突き立てたパンダのできそこないみたいな動物。それがいろんなポーズを取りながら紙面に展開されている。トラみたいに黄色と黒のシマ模様を配した丸々としたボディは、細かいギザギザの入った輪郭線のために感電しているようにも見えた。
 
「このキャラ、けっこう、ユニークなんだね。でも、チラシやテレビのコマーシャル、それに店内のポスターやPOPなんかにも、この子が使われるんだろう。着ぐるみとかになって店頭で飛び跳ねたりしてさ。店には子連れの客も多いわけだし、このくらいインパクトあった方がいいよね。プレスにも取り上げられやすいし」
 
 賃貸しマンションの一室を仕事部屋にしている点は七瀬と同様だったが、萌子のマンションは市の中心部ではなく南端の漁港近くにあった。駅前から伸びる商店街の中ほどにあるこのマンションに七瀬はJRを二駅下ってやってきた。降り立った駅前には目ぼしいビルの影もなく、通りを歩いていてすれ違ったのは粗末な釣り道具を手にした老人一人きりだった。
 古びた商店の店頭には、黒光りする年代物の木の棚に似つかわしくないカラフルなお菓子やファンシー文具などが並べられ、時折、漁港の方から響いてくる漁船のエンジン音が人気のない通りを抜けていった。
 
 飲物でも出すつもりなのか、萌子が無言でキッチンへ入っていった。一人残された七瀬はあらためてこの室内を眺め回してみた。八畳ほどの空間はコンピュータが置かれた大型デスクを中心に、絡み合うケーブル線でつながれたプリンタやスキャナー、コピー機などで占められていて圧迫感すら覚えた。
 壁際には、なぜか、場違いなラブソファーが置かれていて、その座面には下着のようなものが丸まっている。それを目にしたとたん七瀬は急に落ち着かなくなった。それはプライベートな生活の場となっている隣室にあるべきもののはずだ。

 三十代も終わりにさしかかっている萌子だったが、室長からはまだ独身だと聞かされていた。同じ女のデザイナーとはいえ、萌子と美紀では、外見も性格も全く違うが、色気を感じさせないという点では一致していた。
 生まれつき女らしい女は、最初からデザイナーになろうなどと思いもしないのだろう。七瀬は常々そう思ってきたが、年とともに知り合う女のデザイナーが増えて、それはもはや確信となった。いや、やつらも、最初は女性ホルモンの量も他の女と変わらなかったのかもしれないが、仕事で男と張り合っているうちに枯渇してしまったんだろう。

 いずれにしても、こいつらの目には揃って減点と映るオレの正統さや、生真面目さが、亮子にそのまま加点となることは間違いない。正統的な美の資質のかけらも持ち合わせていないため、それを個性という言葉でねじ曲げ、ごまかすことしか能がない連中。オレは元来、あんな奴らと群れながら生きていく人間じゃなかったんだ。今までてんで価値観のズレた奴らに囲まれて、不当な気苦労を強いられてきたこと自体、不幸だったんだ。
 
 鼻先にコーヒーカップを突きつけられて七瀬はびくっとした。顔を上げると薄笑いを浮かべた萌子が立っていた。子供向けキャラクターがプリントされたスリッパの片方を宙にぶらつかせながら何かぼそくっているが、ちょうど窓外から流れてきた行方不明者を問うアナウンスの声と重なって上手く聞き取れない。

 自分の仕事部屋にいる時も七瀬はたびたびこの手のアナウンスを耳にしていたが、不思議と街中に設置されているはずの拡声器を見かけたためしがない。
 アナウンスが消えると、室内には再び沈黙が訪れて妙な間だけがそこに残った。
 七瀬はこの世界から反対側へ抜け出ようとして、もう一度亮子のいる世界を想像してみた。でも、この圧倒的な現実感を前にもうその感触すらつかめない。

「なに? 木田さん、なに? 今、何ていったの?」
 七瀬は急に不安になって、今日初めて萌子の顔を直視した。
 

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